ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

守田さんリポート「『つなぐ京都』福山選挙を振り返って」&わたしの個人的なお詫び

2018年04月13日 | 日本とわたし
京都府知事選が終わった日の翌日に、日本時間でいうと翌々日に、京都の田舎で暮らしている友人と話をしました。
残念でたまらない気持ちを、お互いに慰め合うためでした。

3月の中旬に知った福山さん。
愛と温かさにあふれる知事を!と、守田さんからの熱い訴えを読み、22日の告知後からどんどんと送られてくる動画を見て、ああこの人なら応援したいと思いました。
京都、京都、京都…みんな見事にずっと音沙汰なしの人ばかりでしたが、とにかく電話して、福山さんに投票して欲しいということを伝えました。

「なんでアメリカにいるあんたが、京都の選挙の話するために電話してくるわけ?」

呆れたような、居心地の悪そうな声で、まずそう聞かれました。
そして、「いや、そもそもそんな選挙あるって知らんかったし」と言う彼女らに、「じゃあ電話で一方的に話すのもなんやし、ちょっと見てもらいたいもんあるから送るわ」と言って、電話を切りました。

それからは毎日友だちに、そして彼女たちの友だち、さらにわたしの古い友だちに、福山さんの演説や街宣の様子を撮ったビデオや、関連する記事を送り続けました。
すると、「なんやええなこの人」と、一人二人が言い出して、「わたしも勧めとなってきたわ」とまで言ってくれるようになったので、「ほな手分けして電話しいひん?」と誘ってみました。
中の一人は、なにしろ田舎の嫁(もちろん今では堂々たる還暦おばさんですが)ということもあって、地元はさすがにやりにくいと言います。
わたしもドがつく田舎で13年嫁をしていたので、その雰囲気というか空気はわかります。
なので、そこはわたしが引き受けることにして、地元以外のところを数人で担当してもらうことにしました。
京都市内に住む人たちは、そこまでのしがらみは無かったので、お任せにしました。

といっても、大きな声で言えるような数ではありません。
でも、「死ぬかと思た」「心臓が喉まで上がってきた」「めちゃくちゃ冷とうあしらわれた」「話聞いてもらえて泣きそうになった」と、
日に日に伝わってくる武勇伝(?)を読んでいると、わたしも頑張らな!という勇気をもらいました。
小さな、そして短い間の活動だったけれど、SNSで伝わってくるワクワク感を支えにして、一緒に頑張ったわたしたちでした。

そして投開票が終わり、いろいろなデータが出てきました。
チャットで話しているうちに、投票率の低さのことが話題に上がりました。
「低いなあ…」
「でもまあ、わたしも選挙があるって知らんかったしなあ」
「ああ、わたしもそうやったわ」
「それはあかんやろ」
「なんで知らんかったんやろ?」
「お知らせあった?」
「あったんちゃう?」
「なんか思いっきりよそ事やし」
「自治体とか学校とか職場とかで、もっときちっと選挙のこと言うたらええんとちゃう?」

その夜はまた、夫の家族の、前々からずっと調べていた癌の種類と進行の度合いがわかり、とてもショックを受けていた日でもありました。

いろんな負の感情が混ざり合ったまま、こんなメッセージを書いてSNSで発信しました。

『京都府知事選挙、35%の投票率だったって…それって例えば100人しかいない村で考えると35人中の何人かの選択が残りの65人+αも含めた暮らしのいく末を決めたってことだよね。‬
‪こんなのは選挙じゃない。‬
‪やり直しや罰金制度が必要なくらいの劣化だよ。‬
‪有権と民主主義の自殺だよ』‬

このメッセージを読んだ少なくない人が、悲しみや怒りを感じたと、直接に、あるいは間接的に、伝えてきてくれました。
「ずっとずっと前から続いていることなのに、何も変わっていないのに、そのずっと前から数年前まで、何も考えずに、何も取り組まずに無関心でいたくせに」
「(現場で必死で活動していた人は)皆、色んな思いをのみこんで前を向いてるのに」
「こういう事態は自分のせいだと自覚があったら、こんな言葉は出てこない」
「自分はやっていると自負があるから、出てくる言葉だ」
「政治の事を考えている人とそうでない人を分けている」
「なぜ、知っている人の1段上目線なのか?」

わたしは無意識のうちに、誤った自負を持っているのだろうか…一段上目線なんて一番忌み嫌う態度なのに、そんな風になってしまっているんだろうか…。
これまでにも、ブログの記事を書くときに、そんなものがにじみ出ていたんだろうか。
本当に落ち込みました。
でも、自分をよく見つめ直す機会だと思い直して、じっくり考えたいと思いました。

福山さんを応援するため、文字通り身を粉にして支えたスタッフの人たちは、この選挙を通し、「つながるってこんなに面白い」「政治ってこんなに面白い」ということを心の底から実感し、京都の市民運動の中での歴史を画する選挙であったと、前向きに進んでいこうとしています。

わたしが放った言葉は、それとは真逆の、後ろ向きのトゲトゲしいものであったこと、そのために、人を悲しませたり傷つけたりしたことを、ここでお詫びします。

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さて、守田さんからの、怒涛の「福山選挙を振り返って(1〜4)」リポートを、何回も読ませてもらいました。

「新しい京都府政のありかたの一ページを切り開いた!」~福山選挙を振り返って―1
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/4761cd819e3b33d7f94f6dc0b2d727e1

「つなぐ京都」は京都の市民運動のカラを大きく破った!―福山選挙を振り返って―2
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/43488c9971aa34adf9a6e2712d8e246a

「つなぐ京都」はどんどん進化しながら選挙を闘った!―福山選挙を振り返って―3
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/4e84b1a6b610aef15daa55b8b179653d

デジタル民主主義の活用などさまざまな手段を駆使していけば鉄板のような「組織票」を覆して次は勝てる!―福山選挙を振り返って―4
https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/32ff390ae8211281c2b37a7df49a1c5c

4つの記事から部分的に引用(多少の省略も含む)して、紹介させていただきます。
元記事には、細かなデータや、選挙中の「つなぐ京都」の方々の詳しい様子が書かれていますので、ぜひそちらの方も読んでください。


素晴らしい発信を続けてくださった福山和人さんを、勝たせてあげることができなかった。
京都府内は言うに及ばず、全国のみなさんに何べんもお願いして、本当に大きな力を貸していただいたのに、勝ちに結びつけられなかった。
申し訳なく思う。

私たちはこの選挙を通じて、大変大きなものを積み上げた。
間違いなく、京都の市民運動の中での歴史を画する選挙になった。

「つなぐ京都」の面々の、堂々とした受け止めをご覧いただければと思う。
得票数がどうあろうとも、これが私たちの選挙だった。

以下↓の言葉は、まだ開票結果が出ていない時点でのものです。

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「新しい京都府政のありかたの一ページを切り開いた。今日のこの日が終わりの始まり」
福山和人さん
https://www.facebook.com/toshiya.morita.90/videos/pcb.10213497195122593/10213497188802435/?type=3&theater

お集まりのみなさん、今日まで本当に、支えていただいてありがとうございました。
まだ、開票の結果が私のところに届いておりませんけれども、私を支持していただいた府民のみなさま、そして支援をしていただいた団体や政党、そして個人のみなさん、そしてこの間、選挙戦を本当に身を粉にして支えていただいたスタッフのみなさん、ボランティアのみなさんに、まず心より、御礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。

今回の選挙戦ですけれども、残念ながら、相手陣営の方に当確がついたわけですけれども、
私たちとしては、本当に、市民のみなさんと一緒に、普通の言葉で政治を作っていく、ボトムアップの形で、府民のみなさんの願いに応えていく府政を作り上げていくことをめざして、この間頑張ってまいりました。
そうした私たちの取り組みは、新しい京都府政のありかたの一ページを切り開いたのではないかということを、みなさんと確認したいと思っております。

まだ、開票結果がどのようなことになるのか分かりませんけれども、多くのみなさんが私たちの訴えに耳を傾けてくださって、そして支持をいただいたということは、非常に大きな重みがあることだろうと思います。
もちろん、残念ながら当選を勝ち取ることができなかった、本当にその点に関して言えば、私の不徳の致すところだと思っております。
あらためてお詫び申し上げたいと思います。(そんなことないよ~~という多数の声)
しかしながら、こういう結果になったことについては、きちんとリアルに受け止めて、私たちはこれで終わりということではないと思いますので、
京都府政をさらに改革していく、そういう流れ、これはもう押しとどめることができないものだと、私たちは思っております。
その意味で、今日のこの日を、「終わりの始まり」と考えておりますので、引き続き、府民のみなさんと手を携えていきながら、
本当に市民参加の京都府政、それを作り上げていく第一歩ということにしていきたい、こんな風に私としては思っております。
あらためて、たくさんの方にご支援いただいたことに、心より御礼申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。



「つながるって、政治って、こんなに面白いんや。次こそ勝つ!」
西郷南海子さん

https://www.facebook.com/toshiya.morita.90/videos/pcb.10213497195122593/10213497190762484/?type=3&theater

たった一人で立候補表明をした、その福山さんの姿を見て、その福山さんの言葉を聞いて、「これは私たちの候補者だ」と「これは自分の候補者だ」と思った。
一人一人の市民と府民が、これだけの輪を作り出しました。

私は今回、この「つながる」ということをコンセプトにして、「つながるってこんなに面白いんや」と、「政治ってこんなに面白いんや」ということを、本当に心の底から実感しました。
民主主義というのは、どこかの誰かが何かやってくれることではなくて、本当に、私たち一人一人の内側から始まっていくものなんやなっていうことを、本当に実感することができました。
この実感を、絶対、次の選挙まで持って行きましょう。
そして、「次は勝つ」と私は思っています。
ぜひ、次の4年後に向けて、力を蓄えて、次こそ勝つというふうに頑張りたいと思います。
ありがとうございました!



「無名の人たちが集まってここまでできてた。大きな歴史的な意味をもった選挙だった」
石田紀郎さん

https://www.facebook.com/toshiya.morita.90/videos/pcb.10213497195122593/10213497192242521/?type=3&theater

呼びかけ人の一人の石田です。
福山さん、お疲れさまでした。

まだ票数も分かってないし、投票率も分かってない。
どれぐらいの差異なのかもまだ分かっていないので、まったく分析ができませんが、この選挙を通じて一番残念だったのは、本当の論戦ができなかった、ということです。

あの選挙管理委員会が出した、新聞の公約がありますね、福山、西脇となっていて。
(西脇氏のは)まったく中身がない。
これは、ある意味では、福山陣営の支援者の一人としてと言うのではなくて、府民として、私はずっとこの選挙中、イライラしていました。
何かと言うと中身がない。
福山さんはちゃんと言ってる。
一貫して、彼は論争を挑んでいたと思うんです。
ところが論争をしてくれなかった。
それで選挙が終わってしまった。
それでこの結果になった。
でも、府民の中には、それではあかんなという気持ちがますます高まった、と私は思っています。
だから、さっき西郷さんもおっしゃったように、これから京都府を、あるいは日本をどうするのかということを、論争しましょう。
それが、私たちが選挙をやった意味だと思います。

もう一つは、このような、ある意味では肩書の無い無名の府民、市民が集まって、「つなぐ京都」というものを作って、そしてここまで闘えた。
もちろん、政党の方々が頑張って下さったことは、十二分に知っています。
でも、ここまで無名の人たちが集まって、ここまでできたということで、新しい時代を切り開けたと私は思ってます。
これまでの限界を、突破したところがあります。(拍手で一部聞き取りできず)
その意味で、今回の選挙は、非常に大きな、歴史的な意味をもった選挙だった。

日本の政治、国政を見ていても、ガタガタになっている。
それと自治体の政治、これは直結しているのですよ。
それなのに、党派が野合したとしか思えないような動きをしたことに対しては、極めて、一市民として怒りを持っています。
これは、新しい私たちの市民運動や、新しい手をつなぐ運動の中で、これからいろいろと立証され、整理され、その中で新しい時代を作っていくことになると思います。
だから福山選挙は、まあ負けましたよね。(笑)
だけども、私はそうは思っていません。
新しい時代をわれわれは開いた。
その呼びかけ人をやらせていただいたのは、私にとって身に余る光栄だったと思います。
どうもありがとうございました。
福山さん、頑張りましょう。

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細かく見ていくと、各市町村で、福山さんが善戦して差を縮めていたこと、西脇氏は、どこでも伸びきれなかったことが分かる。
その点で、今回の選挙は、次への大きな可能性を切り開くことができた選挙だった。
今回の選挙で、私たちが、「つなぐ京都」を中心に、かなり広範な市民的連携を作りだせた。

福山さんを推薦したのは、政党では共産党、新社会党、緑の党だった。
これに、それぞれの党を支援する市民グループ、さらにこれに加えて立憲民主党を支援する市民グループ、そしてまた無党派市民のグループや個人が集った。
このうち、無党派市民の中には、端的に言って、共産党に対して批判的観点を持っていて、これまで選挙を一緒に行ったことがあまりないか、ほとんどない方たち、グループなども多く含まれていた。
その上に、立憲民主党のサポーターの方たちが加わった。
とても画期的だった。

2011年の福島原発事故以来、毎年3月の『バイバイ原発京都集会』や、毎週金曜日のスタンディングがついに300回を越えた『関西電力京都支店前金曜行動(キンカン行動)』で培ってきた信頼関係が、大きく寄与している。
長い長い時間をかけた連携が作りだされてきて、今回、パアッと爆発的に広がった感じがある。

「つなぐ京都」の連携を、素晴らしく発展させてくれたのが、候補者福山和人さん自身の素晴らしい魅力だった。

・弁護士として、貧しい人、困窮している人を支えてきた実績から、京都府政のあるべき姿への、かなり具体的なビジョンを持っている。
・脱原発への取り組みについても、大飯原発差し止め訴訟や、原発賠償京都訴訟の弁護団に参加してきたことで、かなりの専門的な知見がある。
・「被曝」の意味するところ、原発事故にあった辛さ、悲しさのリアリティをしっかりと把握している。
・これらを踏まえ、廃炉ビジネスの可能性まで言及し、経済的効率性からも脱原発が正しいことも、きちんと述べている。
・人々へのまなざしの温かさと率直な物言い。


■「つなぐ京都」、そして支援者各自の進化について

私たち「つなぐ京都」などとの対話や、各地のタウンミーティングでの対話を、その都度政策に盛り込み、それ自身を「進化する」ものと語られていた。
毎日、ワクワクしながら選挙を進めた。
「つなぐ京都」が、刻々と進化しながら、歩みを広めた。


これまでの選挙で定番のように出されてきた、選挙ビラの「常識」を大きく打ち破った、とてもオシャレなチラシ。


「カフェチラシ」「カフェの福ちゃん」などと呼ばれていた、このチラシ作成にかかわった井崎敦子さんのページから。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1495192923924809&set=a.234503273327120.47495.100003023485969&type=3&theater


京都三条河原での「つなぐ」ことを可視化した、映像作家でもある丹下紘希さんなどがプロモートした映像。
福山和人 つながるプロジェクト


南相馬から京都に避難移住している福島敦子さんをモデルにして描かれたマンガ。
「脱原発、選択の時」(まうみ注・これは先日の記事で紹介させてもらいました)
http://www.fukuyamakazuhito.jp/lp/bh04/


選挙過程中、守田さん自身もぐんぐんと進化しました。
その一つがデンカツです。
以下↓デンカツについて


この過程で初めて、『でんわ勝手連(デンカツ)』に登録し実際にかけてみた。

でんわ勝手連
http://denwa-katteren.jp/secretariat/947

以下の登録ページをクリックするともう具体的な選挙のことが出てくる。
https://zero.denwa-katteren.jp/cake/denwa_web/users/login


タウンミーティングや個人演説会、事務所の中の何気ない日常、会議の様子などを撮って発信する。
そうすることで、常に、候補者とその周りのスタッフ、そしてそれぞれの場にいる支援者を、有権者の人たちと身近な形でつなぐことができる。
それは、大きなエリアで行われる選挙であっても、宣伝カーの台数が限られていても、候補者や選挙スタッフと有権者を「つなぐ」ことが可能になるということ。

福山さんを含めて、「つなぐ京都」に集った人々の魅力があって、「つながる」ことそのものがそれらを引き出していた。
できなかったことを悔いるより、新たに学んだことに感謝し、磨きをかけて捲土重来を期したい。