ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『千の風になって』のほんとうの話

2015年10月01日 | ひとりごと
『千の風になって』
この歌詞と歌は、当時、父の死の直前に、自分がとった態度が許せなくて、思い出しては悔やみ、泣いていたわたしにとって、大きな慰めとなりました。
今でもふと、口ずさんだりしていました。

今朝、南風椎(はえ・しい)さんとおっしゃる方が、先月の9日、ガンのため、息を引き取られたという記事を読んでいました。
どうしてその記事を読んでいたのかを思い出せないのですが、その記事の中に“『1000の風』などの作品”、という文章があり、気になったので調べてみました。

すると、南風さんは、日本国憲法の前文を訳しておられたことを知り、まずそれを読みました。
とても感動しました。

日本国憲法 前文  南風椎 訳
http://blog.greetings.jp/?eid=184

私たち日本人は
正しく選ばれた
国会の代表者たちをとおして
行動します。


私たち日本人は
すべての国々との
平和的な協力によってえられる実りと
この国土いっぱいに
自由がもたらしてくれた恵みを
かたく守っていくことを決心しました。
私たち自身と子孫たちのために。


私たち日本人は
政府によっておこされる戦争の恐怖を
もう二度と
私たちのところにやってこさせないことを
決意しました。


私たち日本人は
人々こそが最高の力をもつことを
宣言します。


そして私たち日本人は
揺るぎない意志で
この憲法を制定します。


政府は
人々の神聖な信頼によるものです。
その権威は人々から出され
その力は人々の代表者たちによって行使され
その利益は人々によって楽しまれます。


これは人類すべてがもつ原則であり
この憲法は
その原則にもとづいています。
私たちはこれに反する
どのような憲法
どのような法令
どのような詔勅も排除します。


私たち日本人は
永遠の平和を願います。


私たち日本人は
人と人との友好関係を支配している
高い理想を
心から自覚します。


私たち日本人は
平和を愛する世界の人々の
正義と信念を信じて
私たちの安全と存続を
守っていくことを決めました。


平和を守り
専制政治や奴隷制、圧制や偏狭を
地球から永久に追放しようとしている国際社会で
私たちは
誇り高い地位を占めたいと願っています。


世界中の人々が
恐怖も欠乏もない
平和な暮らしをする権利を持っているということを
私たちは認識しています。


どのような国でも
自分の国のことだけを考えてはいけない、という
政治道徳の法則は
誰にもどこにでも通用するものだと
私たちは信じています。


自分の国の主権を保ち
他の国々と対等な関係をもとうとする
すべての国にとって
この法則に従うことは義務なのだと
私たちは信じています。


私たち日本人は
国の名誉にかけ
全力をあげて
これらの高い理想と目的を
達成することを誓います。




http://www.amazon.co.jp/前文―日本国憲法-ポケット・オラクル-南風-椎/dp/4883209016


1994年に上梓した『日本国憲法 前文』(三五館)の全文です。
70年代にヒッピー学生だったぼくが、シカゴの書店で、日本を紹介している分厚い本を読んでいたとき、はじめて『前文』の英語原文を読みました。
それまで日本語では読んだことはあったのですが、難しい言葉遣いだったせいか、正直言ってよくわかっていませんでした。
ところが、英語による『前文』は、びんびんと心に届いてきました。
(まるで『イマジン』みたいな文だな)と思いながら、書店の床に座って読んだ記憶があります。
そのころ、ジョン・レノンの『イマジン』は、60年代の闘いの日々に疲れた人たちの、気持ちを癒してくれているかのように、ラジオからよく流れていました。

それから20年たって、英文原文を翻訳して、出版するチャンスが訪れました。
それが上の文です。
原文は、ワンセンテンスが長すぎるものがいくつもあったので、センテンスを短く区切って訳していますが、意味は変わっていません。
日の出、落雷、蜃気楼、噴火、桜吹雪、富士の彩雲など、日本の美しい自然現象の写真をそえて、編集しました。

2010年、憲法記念日前日に。

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この人の訳はあたたかく美しい。
ますます知りたくなって、『1000の風』について読み始めました。
すると…今の今まで知らなかったのは、もしかしたらわたしぐらいなのかもしれませんが、本当にびっくりするようなことが書かれてありました。

『1000の風』は、80年代後半、デーブ・スペクターが、両親を亡くして落ち込んでいた南風椎に、
アメリカの新聞に載った、アン・ランダースのコラムの切り抜きを、持ってきたのが始まりだった。
そこに、"A THOUSAND WINDS"の詩が、紹介されていた。
 
南風椎は、その小さな切り抜きを、大切にしまった。

(辛淑玉氏記)

そして…、

80年代にまず母が他界し、数年後に父も他界した。
ぼくはまだ30歳代だった。
「お前は末っ子で、両親と過ごした時間が短いのが可哀想だな」と兄に言われた。
ぼくもそう思った。
父の死については、このブログにも書いたことがある。
母の死についても、いつかは書いておきたい。

親が生きている間は、親が「壁」になってくれているので、「死」に向き合わなくすむ、と言われる。
ぼくの場合は、30歳代で、「壁」がなくなってしまった。

"A THOUSAND WINDS"という、作者不明の美しい詩に出会ったのは、両親を亡くして間もないころだった。
そして95年には、『1000の風』という本を作った。

(南風椎氏記)

 
http://www.amazon.co.jp/あとに残された人へ-1000の風-南風-椎/dp/4883209067/ref=pd_cp_14_1?ie=UTF8&refRID=14S86C971HWEET7WKYZW
『1000の風』

訳 南風椎

http://blog.greetings.jp/?eid=162

私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。

私はそこにはいません。

眠ってなんかいません。

私は1000の風になって
吹きぬけています。

私はダイアモンドのように
雪の上で輝いています。

私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます。

秋には
やさしい雨になります。

朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき

私はすばやい流れとなって
駆けあがり

鳥たちを
空でくるくる舞わせています。

夜は星になり、
私は、そっと光っています。

どうか、その墓石の前で
泣かないでください。

私はそこにはいません。

私は死んでないのです。


Copyleft by Hae Shii 1995-2010


『1000の風』と『千の風になって』という連載日記
その1:
http://blog.greetings.jp/?eid=98

その2:
http://blog.greetings.jp/?eid=99

その3:
http://blog.greetings.jp/?eid=100

その4:
http://blog.greetings.jp/?eid=101

その5:
http://blog.greetings.jp/?eid=102

その6:
http://blog.greetings.jp/?eid=103

その7:
http://blog.greetings.jp/?eid=104

『1000の風』と『感謝する死者』
http://blog.greetings.jp/?eid=105

『1000の風』と『千の風になって』という連載日記
その8:http://blog.greetings.jp/?eid=141

昨年11月に『1000の風』と『千の風になって』という連載日記を書いた。
あれで終わりにするつもりだったけど、もう少し続けよう。
辛淑玉さんが『月刊 マスコミ市民』(NPO法人 マスコミ市民フォーラム)という雑誌に、あの件について書いてくれた。
許可をもらったので、ここに全文を紹介したい。

山椒のひとつぶ  しんすご(辛淑玉)

「1000の風」の悲劇


新井満が、「千の風」を商標登録したという話を聞いて、そこまでやるかと思った。
ずうずうしいにもほどがある。
新井満の「千の風」は、南風椎(はえ・しい)が世に送り出した『1000の風』のパクリであり、
その思いを共有した人たちの心を踏みにじって、自らの利益のためだけに活用したものだ。
そして今度は、商標登録ときた。
 
私が、南風椎の『1000の風』(ポケットオラクルシリーズ)を手にしたのは、1990年代だった。
いつだったか、デーブ・スペクターが、ステキな作品だよといって、『平和』『(憲法)前文』といった小冊子を数冊持ってきて、南風さんを紹介してくれたのだ。
 
のちに、南風さんは、私が十代のとき初めてお金を出して買った本、『日本国憲法』を手がけた人だとわかった。
その文章や本の美しさに見入ってしまったことを、今でも鮮烈に憶えている。
 
90年代、南風椎の作品群は、多くの人たちの心を打つメッセージとして、店頭に並んでいた。
彼が体から搾り出した一つひとつの言葉は、いまなお褪せることなく、人々の心に届いている。
 
『1000の風』は、80年代後半、デーブ・スペクターが、両親を亡くして落ち込んでいた南風椎に、
アメリカの新聞に載った、アン・ランダースのコラムの切り抜きを、持ってきたのが始まりだった。
そこに、"A THOUSAND WINDS"の詩が、紹介されていた。
 
南風椎は、その小さな切り抜きを、大切にしまった。
 
以下、南風椎のブログ『森の日記』から引用しよう。

     ※      ※
 
『80年代から90年代にかけて、ぼくは、アートワークス・コミッティというNPOをやっていた。
(略)
1990年に、そのコミッティから、日米独伊の200人の芸術家たちに、アピールを送った。
(略)
そして表紙に、「神」「GOD」と書かれただけの、真っ白なパノラマ本(お経本)を送り、「神」をテーマにした作品にしてくれるよう依頼した。
(略)
ぼくは、200冊の本の中に、あの"A THOUSAND WINDS"の詩を入れたいと思い、そのときはじめて日本語に訳した。
"A THOUSAND WINDS"は、本来なら、「たくさんの風」「いっぱいの風」と訳すべきなんだけど、あえて「1000の風」と直訳した。
その方が、日本の人たちの心に届きやすい、と思ったからだ。
 
デーブ・スペクターにパノラマ本を渡し、表に英文の詩、裏に翻訳した詩を書いてくれるよう頼んだ。
デーブなりの表現方法で、『1000の風』のパノラマ本が完成し、展覧会場に並んだ。
 
『1000の風』が本になったのは、あれが世界ではじめてだった。
しかし、世界で一冊だけの本だった。
『1000の風』が、印刷製本された本として世の中に出ていくまでには、さらに5年近くかかった。』
 
『"A THOUSAND WINDS" についての調査は、困難をきわめた。
まだ日本にはプロバイダーがなかった時代に、2400bpsのモデムでインターネットに接続し、国際電話料金を気にしながら情報を探し回ったりしたが、収穫は少なかった。
(略)
自然の詩を集めた英語のアンソロジー本の中に、収録されているのがわかったし、小説にも引用されていたが、いずれも作者Unknown(不明)とされていた。
"A THOUSAND WINDS" をタイトルにした本は、見つからなかった。
 
94年に、三五館から、『ポケットオラクル』を出すことが決まった。
20世紀も終わりに近づいていて、「次の世紀まで残したい言葉」で、小さな本のシリーズを作りたかったのだ。
第1巻は、日本国憲法の「前文」を、英語原文からわかりやすい現代語で翻訳し直した。
 
シリーズは、『シャイアンインディアン 祈り』『マイケル・ジョーダン 飛言』『ピースメイカーズ 平和』『般若心経』と続き、
95年6月に、6巻めとして、『1000の風 あとに残された人へ』を世に出した。
(略)
これだけ美しい詩なのだから、そばに置く写真は負けないものにしたかった。
おびただしい数の写真を見た。
「私は1000の風になって 吹きぬけています」の、ページの写真を探していて、この写真と出会えたときの喜びったらなかった。
(略)
少部数だけど、毎年増刷も重ねていた。
ほんとうに静かなさざ波のように、「1000の風」の詩が広まっているのは実感できたし、うれしかった。』
 
『2003年の8月23日、朝日新聞の「天声人語」に、驚くようなことが書いてあった。
「1000の風」についての記事だった。
IRAのテロで死んだ青年の話、ジョン・ウェインが朗読したという話、マリリン・モンローの25回忌にも朗読されたという話。
 
10年以上、「1000の風」のことを調べてきたぼくが、知らないことばかりが書かれていた。
あたかも日本以外の国々では、「1000の風」は誰でも知っている詩であるかのような記事だった。
そんなはずはないのに。』

『ぼくが出した『1000の風』の本にも、記事は触れていたが、メインはそうじゃなかった。
作家で作詞・作曲家の新井満さんが、自分で作った私家盤のCD『千の風になって』を、友人らに配っているというのがメインの記事だった。
そして、新井さんが訳したという詩も書かれていた。
「1000の風」が「千の風」になっているだけ。
あとは、ぼくの訳詩の言葉の順番を変えたり、省略したりしているだけの詩に思えた。』

『この「天声人語」をきっかけに、新井さんの活動が活発になったようで、ぼくのところにも、新聞やTVの取材がくるようになった。
記者の人たちに、「新井さんにぼくに連絡をくれるよう」頼んだけど、新井さんからはまったく連絡がなかった。』

      ※     ※

のちに、紅白歌合戦で、『千の風になって』が歌われ、mixiの中では、新井満への怒りと非難が相次いだ。
南風椎は、
「子どもがいないぼくにとっては、これまでに作ってきたたくさんの本が、自分の子どものようなものだ。
『1000の風』という本が、孫やひ孫を作って、その連中が賑やかにやっているなあ、というような気持ちで騒ぎを眺めている」と語った。
 
しばらくすると、新井満は、南風椎との対談を申し込んできた。
新井満は、「千の風」の日本酒やお香といった、グッズをしこたま持ち込んで、なんと感想を求めたという。
中には、南風椎が作った「1000の風」と、そっくりな本もあった。
 
この人、ちょっとおかしい。
パクっておいて、その相手に自分の作品を見せるという感覚は、相手をなめているとしか思えない。
電通という会社は、著作権の基本も教えないのだろうか。
 
新井満は、同席した人々を前に、南風椎にまったく連絡もせずに、似たような本を作ったことを詫び、
これまでの自分の言動が、元祖本である『1000の風』への敬意に欠けていたことを詫び、
テーブルに両手を置いて、何度も何度も頭を深々と下げたという。
(しかし、彼が、著作権料を支払った形跡は全くない。)
 
「千の風」の商標登録をするというのは、作者不明で、人類共通の財産である"A THOUSAND WINDS" を、私物化したということである。
 
新井満がこの詩を口にするとき、そこには、命への畏敬の念も、尊厳もない。
あるのは自己顕示欲と、利潤追求の限りない欲望だけ、と取られても仕方あるまい。
彼が、この詩を口にする資格を得るためには何をすべきか、彼自身が考えるべきだろう。
 
それができる能力があれば、の話だが。

 


新井満の本は、南風椎の本のパクリではないか、という意見は、ネット上ではたびたび見かけたけど、
印刷媒体で、こうやって「パクリだ」と明言してくれたのは初めてだと思うので、うれしくてここに掲載させてもらった。
正直に言おう。
ぼくも、あれは完全なパクリだと考えている。

一例をあげよう。
翻訳の一番重要な個所だ。

英語の原詩にはこうある。

『I am a thousand winds that blow;』

普通に翻訳すれば、こうなるだろう。

『私は吹いているたくさんの風だ』

ぼくはこう翻訳した。

『私は1000の風になって
 吹きぬけています』

「1000の風」と、あえて直訳にしたのがミソだった。  

新井さんの「訳」はこうなっている。

『千の風になって
 あの大きな空を
 吹きわたっています』

「千の風」がパクリであり、「になって」もパクリだ。
「あの大きな空を」は原詩にないが、ぼくの本の写真(上)から、イメージをパクったに違いない。
「ですます」調で訳したのも、写真と組み合わせたのもパクリ。
まったく恥ずかしくなるほどの本だったのだ。


先週、友人の北山耕平と清水伸充が、同時にメールをくれた。
「顔も見たくないだろうけど、満さんが朝日新聞に出てるよ」

『1000の風』の原作者が、メアリー・エリザベス・フライという女性ではないか、という本を出そうとしている人がいて、
新井さんが、「ようやく納得のいく解答にめぐり合えた」と語っている、という記事だった。
笑ってしまった。
2年前、新井さんがわが家にきて謝ったとき、
「エリザベス・フライ説は嘘だよね? デタラメでしょ?」
と何度も聞いてきた。
ぼくは、こう答えた。
「そのことについては、おそらくあなたより詳しいけど、あなたにだけは情報を教えようという気になれない」

いずれ、このブログで書くことになるだろう。

辛淑玉さんは、
「反撃を開始しましょう」というメールをくれた。
それも面白いかも知れない。
何が起きようと、(何も起きなくても)このブログですべて報告します。

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上記の記事が書かれたのは、2010年の1月の末のことでした。
わたしはその頃はまだ、インターネットを使うのは、日本の新聞記事を読むためと、のんびりと毎日のことを綴るだけのブログを書くためだけでした。
フェイスブックもツィッターも、なんだか恐ろしくて、手に負えなそうで、始めることができませんでした。
なので、ちょっとした騒ぎになっていたことすら、全く知らずにいました。

今日はなんだか、腹が立ったり同情したり、そして何より悲しくなりました。