ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

記福島原発事故が開けた[パンドラの箱]と 野田政権が答えるべき[国民の7つの疑問]

2011年10月23日 | 日本とわたし
福島原発事故が開けた
「パンドラの箱」
野田政権が答えるべき
「国民の7つの疑問」


元内閣官房参与
多摩大学大学院教授
田坂広志

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序言
福島原発事故後の日本
これからいかなる問題に直面するのか?

福島原発事故
現在の「最大のリスク」は何か?

根拠の無い「楽観的空気」 それが「最大のリスク」

「冷温停止」の年内前倒し達成

それで一段落か?

「冷温停止」は 全体の問題の「入り口」の問題に過ぎない

「汚染水処理」の順調な進捗 
 
それで問題解決か?

「汚染水処理」は 一つの問題を 別な問題に移しているだけ

その結果 発生する 大量の高濃度放射性廃棄物

「事故は収束に向かっている 原発の安全性を高め 速やかに再稼働を」という「楽観的空気」

その「楽観的空気」が 問題の真の解決を妨げる

では 「問題の真の解決」とは何か?

原子力行政の徹底的な改革

その「真の解決」こそ 国民は野田政権へ期待している

なぜいま その危機感を語るのか?

福島原発事故直後の 最も緊迫した時期

3月から9月の5か月余 内閣官房参与として取り組んだ「3つの活動」

(1)原発事故への対策
(2)原子力行政の改革
(3)原子力政策の転換

官邸から見つめてきた 原発事故対策の「現実」

原子力行政の「問題」

原子力政策の「矛盾」

なぜ 原子力行政に対して 徹底的な改革を提言するのか?

原子力エネルギー利用に携わってきた 人間としての責任

70年代初頭 スリーマイル島原発事故も チェルノブイリ原発事故も無かった時代

原子力に対する社会の期待

その期待の中で歩んだ 研究者としての道 技術者としての道

1974年東京大学工学部 原子力工学科を卒業
1981年同大学院を修了 工学博士を取得
1974年から1976年 医学部研究生として 放射線健康管理学を学ぶ

学位論文「核燃料サイクルの環境安全研究」

特に 放射性廃棄物の最終処分と環境影響を研究

ではなぜ 放射性廃棄物をテーマに選んだのか?

放射性廃棄物の問題

原子力エネルギー利用の最後のネック 
「トイレ無きマンション」との批判

そもそも「原子力の安全性」とは何か?

福島原発事故の後 「原発の安全性」に注目が集まっている

では 「絶対に安全な原発」が開発されれば 問題は解決するのか?

答えは NO
 
放射性廃棄物の 安全な最終処分方法が確立されなければ 問題は解決しない

大学院修了後 民間企業で 放射性廃棄物の最終処分と 環境影響評価の様々なプロジェクトに携わる

1986年~1987年 青森県六ヶ所村 低レベル放射性廃棄物最終処分施設の安全審査に参画
1987年~1988年 米国のPacific Northwest国立研究所で 高レベル放射性廃棄物の最終処分計画Yucca Mountain Projectに参画

では 放射性廃棄物問題の本質は何か?

その本質は 高レベル放射性廃棄物の最終処分の問題

高レベル放射性廃棄物の最終処分の問題は 「10万年の安全」の問題

映画「10万年の安全」 フィンランドにおける最終処分場(オンカロ:隠し場所)

この問題の究極は 「技術的問題」ではない

この問題の究極は 「パブリック・アクセプタンス」(社会的受容)の問題

国民が それを納得するか否か 受け入れるか否か

ではなぜ 高レベル放射性廃棄物の最終処分の問題は 技術的問題ではないのか?

2つの理由

第1の理由 
「未来予測の限界」
10万年先の安全性を 科学と技術で実証することはできない
それを信じるか信じないか

第2の理由
「世代間倫理の問題」
未来の世代に 負担とリスクを残すことの価値判断

最後は 現世代の国民の選択と意思決定

では この問題について 国民の判断を仰ぎ 納得を得るために 何が必要か?

政府に求められる 絶対的条件

「信頼」

原子力の問題において 最も強調される言葉
「安全」と「安心」

しかし「安全」と「安心」よりも重要なものがある

それが「信頼」

どれほど「安全」と「安心」を語っても それを語る政府が「信頼」されていなければ すべてが意味を失う

国民に判断と納得を求める政府と原子力行政が 国民から「信頼」されていること

それが 絶対的な条件

では 政府はどのようにして その「信頼」を獲得するべきか?

原子力施設の 極めて安全な設計建設稼働を通じて 国民の「信頼」を得ること

そのことによって 高レベル放射性廃棄物の最終処分の問題も 国民の納得が得られる可能性があった

しかし 起こしてしまった福島原発事故
崩壊した「絶対安全」の神話

福島原発事故によって失われた 政府と原子力行政に対する国民からの「信頼」
この「国民からの信頼」を回復することが いま政府にとって最大の課題

これは 「原発推進」であっても「脱原発」であっても 共通に問われる根本的な問題

ではどうすれば政府は 「国民からの信頼」を回復することができるのか?

政府が答えるべき「国民の7つの疑問」

福島原発事故後の日本
これから直面する 深刻かつ困難な諸問題

福島原発事故が開けた「パンドラの箱」

次々に連鎖して浮上してくる諸問題
その諸問題に対する「国民の7つの疑問」

その「国民の疑問」に 真摯に誠実に答えること
そのことによってのみ 政府と原子力行政は 「国民からの信頼」を回復することができる

では 「国民の7つの疑問」とはいかなる疑問か?

第1の疑問
原子力発電所の安全性への疑問

福島原発事故の後 今後の原発について政府が語る言葉
「世界で最高度の安全性」を実現するという言葉
ではそもそも 「最高度の安全性」とは何か?
原発の安全性とは 「技術的な安全性」だけではない
原発の安全性とは 「人的 組織的 制度的 文化的な安全性」のこと

大学院時代に 「過去の原子力施設の事故」を研究
事故の大半が 技術的要因ではなく 人的 組織的 制度的 文化的要因によって起こっている
 
日本での象徴的事例
1999年JCOの臨界事故
そして2011年 福島原発事故

事故直後 原子力安全の専門家として 政府へ届けた「2つの提言」

第1の提言
直ちにSPEEDIを活用し 予測シミュレーションを実施すること

第2の提言
直ちに 全国から放射能測定の機器と設備を結集し 徹底的な環境モニタリングを実施すること

ではなぜ  SPEEDIの活用も 環境モニタリングの実施も遅れたのか?

福島原発事故で明らかになった 従来の原子力行政の人的組織的制度的文化的問題
象徴的問題
「推進側」の経産省と「規制側」の保安院が 同じ組織の中にあることの問題

国民の疑問
安全審査において 「経済性への配慮」から 「安全性への要求」が甘くなったのではないか

象徴的事例
津波の想定高さ 10mを超える津波を想定しながら 対策を先送り

原子力の「最高度の安全性」を実現するとはいかなることか?

人的組織的制度的 文化的問題も含めて 「最高度の安全性」を確保できる 「新たな原子力行政への改革」を行うこと

では何が 「新たな原子力行政への改革」を妨げるのか?

財界を始めとする 原発の早急な再稼働を求める声
経済への深刻な影響を懸念する声
財界のその懸念は理解できる
しかし 一度問うてみるべき大切な問い
その「経済優先の発想」こそが 今回の福島原発事故を引き起こした原因ではないのか?

早急な再稼働を求める人々に 理解して頂きたいこと
福島原発事故は どこまで深刻な事態に至っていたのか?
事故直後に政府が行った 様々なシミュレーション予測
その中でも「最悪のシナリオ」が示したもの
3月末の時点においても 現実的な可能性を持っていた 首都圏3000万人の避難
いま我々に問われているのは 国民の生命と安全の問題
国民の経済と雇用の問題と比較できない 国民の生命と安全の問題

早急な再稼働を求める人々には その現実を直視し 深刻な認識を持って頂きたい

なぜ 浜岡原発の停止要請を敢えてしなければならなかったのか?

万一のときの 想像を絶する被害

日本という国家の機能の停止

リスク・マネジメントの究極の問題
たとえ 可能性が極めて低くとも 万一のときの被害が受容できるレベルを超える 甚大なリスクをどう考えるか
なぜ 玄海原発の再稼働を 安易に認めるべきではないのか?

原子力安全・保安院による「安全確認」と「安全宣言」
町長と知事による「地元受け入れ宣言」

2つの問題

第1の問題
「信頼」を失った原子力行政が 従来の組織 従来のルール 従来の方法で安全確認をして 国民の納得を得られるのか?

第2の問題
福島原発事故の後 原発再稼働の了解を得るべきは「地元」だけなのか?

原子力災害とは ひとたび起こったとき 被害が「地元」を超え 「日本全体」にも及ぶ問題

「暫定的な解決策」
ストレステストの導入
原子力安全庁の設置によって 国民の理解を得ること
再稼働延期の後に起こった出来事 「やらせメール問題」 象徴的な文化的問題

では 「暫定的な解決策」ではなく 「根本的な解決策」とは何か?

原子力行政全体の 徹底的な改革をすること

事例
米国のNRC 4000名の体制 実働部隊を持ち 明確な規制の文化

しかし 原子力安全庁の設置は 原子力行政の徹底的な改革の第一歩にすぎない

第2の疑問
使用済み燃料の長期保管への疑問

「原子力発電所」の安全性とは 「原子炉」の安全性のことか?

今回の事故で改めて理解されたこと
原子力発電所=原子炉+使用済み燃料プール

では 最悪の事態のとき 原子力発電所で最も危険なものは何か?

福島原発事故の経験
使用済み燃料プールの危険性
福島原発4号炉 首都圏3000万人の避難という最悪シナリオ

4号炉使用済み燃料プールの冷却機能喪失と燃料メルトダウン
使用済み燃料プールは 条件によっては「剥き出しの炉心」となる危険性

福島原発
現時点での最大のリスクは何か?
福島原発に再度 同規模の地震と津波が来ること
福島原発の使用済み燃料プールの 安全性は確保されているか?
4号炉の燃料プールの耐震強化工事は実施されたが それで盤石か

では 福島原発の使用済み燃料プールの安全性の問題に焦点が集まると 次に何が問題となるのか?

全国の原発サイトにある 使用済み燃料プールの安全性の問題

では 使用済み燃料プールの安全対策において 今後最も悩ましいことは何か?

テロ対策
テロ対策は 日本の最も脆弱な問題

では 使用済み燃料プールの「安全性の問題」に焦点が当たると 次に何が問題となるか?

全国の原発の使用済み燃料プールが 近い将来満杯になる問題
もし 使用済み燃料プールが満杯になる 事故が無くとも停止せざるを得なくなる

全国の原発では 使用済み燃料を 最終的にどこに持っていくのか?
六ヶ所村の再処理工場で再処理し 高レベル廃棄物として地層処分する という政府のシナリオ
このシナリオは 果たして現実的なのか?

第3の疑問
放射性廃棄物の最終処分への疑問
「冷温停止」とともに語られる朗報
「汚染水処理」の進捗
「汚染水の処理」が進めば 次に何が起こるのか?

「煮ても焼いても」減らない放射性物質

汚染水が浄化されればされるほど 膨大な高濃度放射性廃棄物が発生

イオン交換樹脂 フィルター スラッジなど これらの高濃度放射性廃棄物は どのように最終処分するのか?

六ヶ所村の 低レベル放射性廃棄物の最終処分でさえ 安全審査が極めて厳しかった
容易には見つからない 高濃度放射性廃棄物の最終処分場

当面の方策
「中間貯蔵」というモラトリアム
しかし 世界中が悩む「NIMBY」症候群(Not In My Backyard)

自分の地域には 廃棄物を受け入れたくない社会心理

では 「NIMBY症候群」は 高濃度放射性廃棄物だけか?

放射性廃棄物の最終処分の問題は 「社会心理的問題」
たとえ低レベル放射性廃棄物でも 受け入れを拒否する社会心理

福島での除染作業 東京ドーム23杯分の汚染土壌を どこに持っていくのか?
ふたたび「中間貯蔵」というモラトリアム

では 高濃度放射性廃棄物の問題は次に いかなる問題を引き出すか?

高レベル放射性廃棄物の最終処分の問題

政府の計画によれば 高レベル放射性廃棄物の最終処分の問題は「将来の問題」
しかし 「将来の問題」から「現実の問題」になった

高レベル放射性廃棄物問題 それはなぜか?

炉心溶融(メルトダウン)を起こした原子炉そのものが 高レベル放射性廃棄物
ウランやプルトニウムという核燃料と 核分裂生成物(死の灰)が混在した 極めて危険な高レベル放射性廃棄物が存在する3つの原子炉

では 事故を起こした原子炉の「廃炉」をどうするのか?
健全に運転されていた通常の原発の「廃炉」とは全く違う 事故を起こした福島原発の「廃炉」
通常の原発の廃炉でも 30年以上かかる
事例
30年以上経ってまだ廃炉が完了していないTMI原発
原子炉内の状況確認技術 溶融燃料の回収技術 回収廃棄物の処理技術などを ゼロから研究開発・技術開発しなければならない

福島原発の廃炉

では その研究開発と技術開発を どのように進めるのか?
日本における原子力関連研究機関の総力を結集できる体制

第4の疑問
環境中放射能の 長期的影響への疑問
広域の環境中に広がった放射能
(1)土壌汚染
(2)河川・湖沼汚染
(3)地下水汚染
(4)海洋汚染
(5)生態系汚染
土壌汚染の除染は効果的か?
除染について理解しておくべき「3つの問題」

除染 第1の問題
除染とは 放射能が無くなることではない
「生活圏」の除染は可能
しかし 「生態系」の除染は不可能

生態系の放射能の問題
土壌濃縮 生物濃縮 食物連鎖濃縮
流通を通じての汚染の拡散
食品汚染には 出口検査以外に決め手なし
ただし ストロンチウムのような 分析が難しい核種の存在

除染 第2の問題
放射能の影響は 長期的かつ確率的である
長期的かつ 確率的に現れる健康への影響
分かれる医学的知見 結論を得るのが 20年先では遅すぎる
映画「チェルノブイリ・ハート」アカデミー賞 短編ドキュメンタリー部門 心臓疾患の子供たち
では この問題をどう考えるべきか?
リスク・マネジメントの「3つの原則」

第1の原則
最も厳しい仮定に立つ
第2の原則
最悪を考えて万全の対策を打つ
第3の原則
「空振りの無駄」はリスク・マネジメント・コスト

長期的かつ確率的な健康への影響については 最悪の仮定に基づいて 現時点で万全の対策を打つべき

除染 第3の問題
放射能の影響は 社会心理的影響が極めて大きい
長期にわたって健康不安を抱える住民へ 医学的支援だけでなく 精神的・心理的支援を

では 土壌汚染の問題は次に 何の問題に向かうか?
地下水汚染と海洋汚染は大丈夫か?
汚染水の地下水への流入は どの程度生じているか
消失した汚染水の行方 
地下水ダムは有効か
複雑な地下水中での挙動 地中での「土壌濃縮」と「生物濃縮」
地下亀裂を伝わっての海洋への放出
事故直後の大気経由の海洋への放出
さらに複雑な海洋中での挙動
海洋での「生物濃縮」と「食物連鎖」

原子力関連研究機関の総力を結集して 環境中放射能に関する徹底的なモニタリング調査・分析と 将来挙動の予測・評価を

第5の疑問
社会心理的な影響への疑問

原子力事故のもう一つのリスクは 「社会心理的リスク」
それに伴って発生する 膨大な「社会心理的コスト」
風評被害によるコストと その対策にかかるコスト
その多くが「社会的費用」(Social Cost)になり 「国民負担」になる

「社会心理的コスト」について 特に重要な問題は何か?

政府への「信頼」が失われるほど 風評被害コストとその対策コストが増える
「安全」「安心」よりも重要な「信頼」

第6の疑問
核燃料サイクルの実現性への疑問
核燃料サイクルは 本当に実現するのか?
核燃料サイクルの要 
再処理工場 
高速増殖炉 
高レベル廃棄物最終処分施設 
再処理工場計画
高速増殖炉計画

高レベル廃棄物最終処分計画 「ミラージュ計画」との揶揄
「ミラージュ(蜃気楼)計画」 砂漠で見るオアシスの蜃気楼は 近づくとまた遠ざかっていく
これらの計画の現在の状況と 将来の実現可能性を 誠実に国民に説明すること

第7の疑問
原子力発電の安価性への疑問

原子力発電は 本当に安価なエネルギー源なのか?
福島原発事故の後 増大する原発コスト
安全対策強化コスト
放射性廃棄物処分コスト
そして 社会的コスト
社会心理的コスト

結言
政府が答えるべき「国民の7つの疑問」

この「国民の疑問」に 真摯に そして誠実に答えること
そこからすべてが始まる
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練習の合間のひとりごと

2011年10月23日 | 音楽とわたし
秋晴れの日曜日。
家の前と後ろの空。


旦那は、わたしに練習三昧の一日を与えるべく、ニューヨーク州の友人一家のところに遊びに行った。
「一回でもええから、絶対に散歩に行くこと!外の空気を吸うこと!」と言って。

さて、そろそろ、当日着用予定の服を着て弾いてみっぺか。
いろいろと考えていたが、今回のピョンピョン&両手クロスしまくり奏法満載の曲には、どうも袖があるのはマズいことに気がつき、
かといってこの、異様にぶっとく、しかもタランタランしている二の腕を世間様に晒すこともどうかと思われ……、
すでに家にあるどの服も、どうもよろしくないような気がしていたところ、
先日、YMCAとバス停の間ぐらいにある、インド人のおばさんがのんびりと構えている服のお店にふと入り、
バーゲンの値札がひらひらとついていた、真っ黒けの、シンプルとしか言い様の無い、半袖のワンピースを手に取ると、
「着てみんさい、あんた、ちっこいし、Sサイズの方がええんとちゃう?」と言って、Mサイズを着ようとしていたわたしに、わざわざSサイズのそれを持ってきてくれたりした。
着てみると、めちゃめちゃ地味だけど、めちゃめちゃ着心地が良い。もちろんMサイズの方。
腕を上げ下げしたりクロスさせてみたけれど、どの動きも全く邪魔をしない。
それにしてもなあ……ほぼ普段着っぽいし、丈がちょいと短くてくるぶしまでだし、う~んう~ん……。
でも、三千円ちょっとっていうのは魅力過ぎ!
これにちょこちょこと光り物をつけて誤摩化してみよ~ではないか!

ということで、そのワンピースを買ったがために、というか、それを買う時も、わたしが1ドル50セントだと信じていたバス代を残すがために、おばちゃんに35セントおまけしてもらった。
いや、おまけしてもらったのではなく、持ち金が無かったので、親切なおばちゃんが、「別に大した違いじゃないし」とあきらめてくれたのだ。

で、着て弾いてみて、やっぱすごく弾きやすいことがわかり、大満足。
夏もので生地が薄くて寒いし、裾の部分がレース地になっていて足が丸見えなので、緊張のあまり震えてたらバレるかもしれないが……。


肝心の小指ちゃん。
近頃、痛みが前ほど鋭いものではなくなってきてとても助かっている。
もちろん、痛みを緩和するマグネットを付け、その上からテーピングをしないと弾けないのだが、それでも前は弾いている途中に痛みが酷くなった。
いろいろと貼るツボを研究している。
今はこんな感じの表と裏。こんな小指を立てられても、誰も喜ばないだろうな……。


さあ、休憩終わりっと。
またちょっくら練習練習!
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『原発てんでんこ』が教えてくれた、弱い、情けない、業の深いわたしたちがしなければならないこと

2011年10月23日 | 日本とわたし
震災後、わたしが欠かさず読ませていただいているブログのひとつに、池田香代子さんのものがある。
何度かここでも、彼女の記事を紹介させていただいた。
彼女も、我々と同じように苦悩し、後悔し、迷い、悲しみ、怒り、それを正直に、静かな口調で、言葉を選んで話してくれる。

『原発てんでんこ』?というのが、今日ご紹介させていただく記事のタイトル。
『原発てんでんこ』という題名は、『津波てんでんこ』から連想されてつけられたのだと思う。
『津波てんでんこ』……それは、津波が来たら自分だけ逃げろという、東北に伝わる悲しくも厳しい知恵。
それが、一家全滅、村落全滅をまぬかれる唯一の道だからだ。
なんと厳しく恐ろしい選択だろう。決意だろう。
けれど、そういうことを人に強いるほどに厳しい自然現象なのだということを、東北の方々は遠の昔からわかっておられたのだろう。


『原発てんでんこ』?

ずっと心に刺さった棘のようになっているテレビ報道があります。
3.11からまだ日も浅い、ある日のある民放テレビの報道です。
でも、いまだに事実として受け入れていいのか、迷うところがあるので、慎重に書きたいと思います。

福島の原発近くには、東電社員の奥さんと地元の奥さんの交流グループがあるそうです。
あるいは、あったそうです。
東電の肝いりでつくられたもので、地元の人びとに原発への理解を深めてもらうのが目的だそうです。
テレビのインタビューに答えていたのは、そうしたグループの地元側のリーダーでした。
ご自宅の茶の間とおぼしい畳の間で、 その方は声を絞り出すようにして訴えておられました。
およそこんなお話でした。

「地震の翌日(もしかしたら翌々日)、大混乱の中で、東電の奥さんたちは無事かしらと、 電話をかけてみた。
そうしたら、一人残らず遠くに逃げていた。
わたしたちにはなにも言わずに。
わたしは、原発のためにいっしょけんめい協力してきたつもり。
東電の奥さんたちとはなかよくおつきあいしてきた。
友だちだと思っていた。
なのになぜ知らせてくれなかった、なぜ自分たちだけ逃げた……理解できない」

逃げること自体に、責められる謂れはありません。
多くは、小さな子どものいるお母さんたちでしょう。
子どもを守るために逃げる。当然です。
ひっかかるのは、なぜ地元の方がたに原発が危険だという情報が一切流れなかったのか、です。
原発の町に暮らしていた東電家族は、数十にのぼるでしょう。
交流グループのメンバーも数人ではすまないはずです。
学校や保育園の子どもつながりで、地元と親しくつきあってきた方もおられるでしょう。
なのに、テレビに出ていた方の話のとおりだとすると、なぜ誰一人、子どもの友だちのお母さんに、自分たちは避難すると伝えなかったのでしょう。

わたしは、戦争末期に旧満州からいち早く引き上げた関東軍とその関係者の家族のことを思い合わせずにはいられませんでした。
日頃は親しくしていても、危険が喫緊に迫ってくるとどうでもよくなる、その程度の おつきあいでしかなかったのか。
かつて東電に勤めていた蓮池透さんは、家族連れで福島の原発に勤務していたことがおありですが、
地元とのつきあいはうわべのものでしかなかった、とご著書に書いています(『私が愛した東京電力』かもがわ出版)。
そういうことだったのか、とインタビューに答えておられた方とともに、わたしは深くうなだれるしかありません。

多くの人に危険情報が伝わるとパニックが起こり、道路は渋滞し、スムースに避難することが困難になるかもしれない、という懸念が、情報を社外に出さなかった理由でしょうか。
だとしたら、自分たちだけが逃げるために情報を押さえたことになります。
あるいは、会社が逃げろと言っているから、自分たちは従うしかないが、その危険情報がどの程度確実なのかわからない以上、むやみに人に伝えて混乱させるのはよくない、との配慮でしょうか。
それとも、会社が箝口令を敷いたのでしょうか。

いろいろ考えても、やはり避難情報を、せめて自分たちは避難するという情報を、地元のママ友には伝えなかったことを正当化する理由が、わたしには見つかりません。
津波てんでんことは、津波が来たら自分だけ逃げろという、東北に伝わる悲しくも厳しい知恵です。
それが、一家全滅、村落全滅をまぬかれる唯一の道だからです。
このたびの原発てんでんこ、これがもしほんとうに起きたのだとしたら、これは津波てんでんことは同列には語れない、深刻な問題をはらんでいると思います。

事の真偽を確かめたくて、ここに記録しておくことにしました。ツイッターなどで情報をお寄せください。


追記
さっそく情報をお寄せくださった方がおられます。ネットメディアで、東電福島第一原発モニターOB会の方がインタビューに応じておられる動画です。
ひじょうに生々しい証言です。『原発てんでんこ』については、15~20分あたりです。



『原発てんでんこ』補遺

ゆうべ、拙ブログを読んだ永田淳一さんがさっそく教えてくださったインタビュー動画は、3.11原発事故にかんするオーラルヒストリーの第一級史料だと思います。
収録が4月2日と事故から日が浅く、話している方はすぐれた記憶力をもち、出来事を再構成する能力に長け、なにより微妙な感情を再現して伝える表現力に秀でておられるからです。
またもちろん、これを報じている時代メディアのインタビュアー、MIKE-Tさんのあざやかな手腕が豊かな話を引き出した、ということもあります。
まだの方はぜひご覧になることをお勧めします。

オーラルヒストリーとは、出来事の現場にいた人びとの語りを集めて歴史を記述する試みです。
体験の、人生の圧倒的な現実感とともに語られるそれらのストーリーはしかし、事実であることはゆるがなくても、全体を見通すものではありません。
話者が体験しなかったことは語られないのですから。
ですから、ひとつのオーラルヒストリーは事実ですが、現実のすべてではないのです。

きのうの記事は、今にしてようやく書き留めることができたものです。
気が重かったのです。
それにたいする反響は驚くべきものでした。
1日で1万3千人の方が読んでくださり、ツイッターやダイレクトメールをつうじて、たくさんのお声が寄せられました。
東電社員の家族を批判するお声もありましたが、多数ではなかった、そのことに深く打たれました。

ご意見ご感想をお寄せくださった多くの方がたが、きっとわがこととして「原発てんでんこ」を心の深いところで受け止められたのだろうと思います。
話者(Aさんとしておきます)の思いだけでなく、いちはやく避難した東電社員の家族の方がたの思いにも想像力をはたらかせ、考えてくださったのだと思います。
Aさんに共感して、なぜ東電は地元に情報を流さなかったのか、と沈痛な思いを吐露すると同時に、
個々人に非難の矛先を向けるべきではない、とするご意見が目を引きました。
東電や関連会社の社員やその家族は、今追いつめられようとしているのではないか、とのご意見に、予想していたこととは言え、
わたしもそうした流れを後押ししてしまったかもしれないと、厳しく反省もしました。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した、と書いた方がおられました。
われ先に逃げるのは人間の業(ごう)だとする見方です。
いいとか悪いとかではない、という悲しい達観です。
でも、そこからニヒリズムの皮相な人間観に落ち着くのは間違っているのではないか、
そんな思いがたくさんのつぶやきから聞こえてくるようにも思いました。

ようやく避難所にたどりついたAさんは、身内の、おそらくは原発関連の仕事をしている人から、原発が爆発したらしい、ここにいては危ない、と耳打ちされ、県内を転々とした末に大阪に落ち着きます。
決断力も実行力も交渉能力もある方です。
避難所を出るとき、周囲の何人かには、危ないから逃げる、と告げたそうです。
避難所にいたすべての人に大声で告げて回ったのではないのです。
そうしたからと言って、誰もが逃げる決意を下せるとは限らない、と見越したからではないでしょうか。

わたしは東京在住ですが、科学技術にくわしく、環境問題に明るい友人が、3.11直後に電話をくれました。
政府は心配ないと言っているけれど、自分の情報分析だと原発でそうとう危険なことが起こっている、自分は妻と子どもを逃がした、関東一円はもう危ない、と言うのです。
いちおう耳に入れておく、判断は任せる、とかれは言いました。
わたしは米とミネラルウォーターなどの備蓄をチェックし、ペットフードなどを買い足し、古新聞とポリ袋がたっぷりあることを確認し(水洗トイレが使えなくなった場合を考えました)、太陽光発電を停電時の自立発電に切り替える練習をしました。
地下室があるので、プルーム(原子雲)が通過する数日は、近所に住む親族11人と犬3匹猫3匹でそこにろう城する構えです。

東京地方をプルームが通過したのは、3月14日と15日と21日です。
この3日で、今降り積もっている放射性物質の85%が落ちました。
そういうことが明らかにされたのは、もちろんずっと後です。
15日、わたしは歯医者さんに予約を入れてありました。
気が進まなかったのですが、近所なのでマスクをして出かけました。
町はいたって平穏で、いいお天気でした。
早春の水色の空がきれいでした。
治療用の椅子に座って順番を待つあいだ、複雑な、落ち着かない思いで大きな窓越しに外の道をながめていました。
すると、すてきなジョギングウエアの若い女性が、ベビーカーを押した若いお母さんを追い越していきました。
はっとして、椅子から立とうとしたその瞬間、「椅子を倒しますね」という看護師さんの声がして、わたしは背中から沈み、彼女たちはわたしの視野から消えました。

わたしは看護師さんに「ちょっと待って」と言って、あの若い女性に「きょうはジョギングは控えたほうがいいですよ」と告げることも、
あのお母さんに「早くお帰りになったほうがいいですよ」と伝えることもなかったのです。
わたしも、自分が得た情報を身内以外には伝えませんでした。
もちろん、東電関係者の生の情報と、友人の鋭いとは言えたんなる観測では、精度が違います。
わたしはやたらと触れて回るべきではなかった、との言い訳もなりたちます。
けれど、たとえば多摩市の阿部市長は、14日から23日のあいだ子どもはマスク着用、外遊び禁止という通達を出しました。
自身の知識と情報分析と判断で。すべての責任をとる覚悟で。
わたしは阿部市長からそのことを伺って、あの時、歯科医院の窓の外を歩いていた3人のことを思い、痛恨の念にかられました。

わたしもまた、人のことは言えないのです。
東電の奥さんの中に、避難する車窓から外の家並みを見て、子どもの友だちの家を見て、はっとした方がいなかったと、誰が決めつけられるでしょう。
はっとした次の瞬間、その家はすでに背後に消え...。

いただいたご意見のなかに、わたしたちは敵を見誤ってはいけない、というのがありました。
ほんとうにそうだと思います。
わたしたちは、阿部市長のように高い倫理性にもとづいて行動すべきだし、できればそうしたい、けれどいつもそうできるとは限らない、弱い、情けない、業の深い存在なのだ、
そのことを肝に銘じて、そんなわたしたちでもできることを模索していくしかないと、わたしは思います。

敵を見誤るな。
敵は、今わたしたちが目の当たりにしているこの悲痛とていたらくを招いたシステムにあることを、
それはわたしたちの意志で変えられることを、変えねばならないことを、銘記したいと思います。
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