杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

磯自慢入手顛末記

2017-01-31 00:03:48 | 地酒

 昨年末、1年間続けた『しずおか地酒研究会20周年記念イベント』が一段落した後、緊張感が抜けたせいか風邪でダウンし、完治しないうちに忘新年会に出歩いたり、カルチャーや公民館の地酒講座をこなしたため、珍しく胃腸を壊し、ほぼ1か月ずーっと体調不良でした。

 この間、ブログ更新も滞ってしまいましたが、通常と変わらない数のアクセスで、多くの方に過去記事を閲覧していただきました。本当に心より感謝申し上げます。

 心機一転、テンプレートデザインを変えてみました。遅まきながら、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 先日、仕事でお世話になっている方から得意先に地酒を贈りたいと相談を受け、ヴィノスやまざき本店にご案内しました。そこで久しぶりに入手したのが、ヴィノスやまざきオリジナルの磯自慢撰抜本醸造。この酒にはちょっとした思い出があるんです。

 


 以下は、4年前の2013年2月1日に静岡オンラインさんのポータルサイト・日刊いーしずのコラム枠に寄稿したものです。磯自慢がなぜ入手困難になったのか、この30年の静岡の酒の歩みを踏まえ、私なりに考察したもの。一部修正し、再掲してみます。



 

磯自慢入手顛末記

 2012年末のことです。沼津の観光記事を書くため、昔からお世話になっていた沼津市内の某社長のもとへリサーチに行ったとき、その社長さんから「磯自慢が手に入らなくて困っている」と言われました。暮れのギフトでどうしても必要だが、沼津市内の酒販店では必要本数が入手できないと。磯自慢の取扱い販売店では全国どこでも「お一人様1本限り」の断り書きが貼ってあるんですね。

 今や、静岡が誇るトップブランドとなった『磯自慢』。平成元年2月に初めて取材した思い出深い酒蔵で、蔵元の寺岡洋司さんとも30年近いおつきあいになります。でも、いくらつきあいが長いからといっても、ただの酒呑みライターが「1本限り」の原則を曲げることなんて出来ません。

 沼津の社長さんからは「困っている」と言われただけで、「手に入れて」と頼まれたわけではありませんが、地酒のことで困っていると聞けば何とかしたいし、恩ある社長さんに報いるにはそれしかないだろうと、県内で磯自慢を取り扱う酒販店1軒1軒を回ってかき集められるだけ集めて社長さんに届けました。必要本数には届かなかったものの、とりあえず社長さんのホッとした表情が見られて、こちらも肩をなでおろしました。と同時に、改めて、『磯自慢』という酒のブランドパワーに息を呑む思いがしました。

 30年前は地元焼津を除けば、よほどの酒通でなければ海苔の佃煮かふりかけの名前だと思われていたかもしれません。なぜ、これほどまでに入手困難になったのか、これまでも、いろいろな人から訊かれました。某百貨店の社長さんからは直々に「なぜ百貨店で磯自慢を取り扱えないのか」と詰問され、自分が軽々に応えるのはまずいと思い、寺岡さんに「どうお返事しましょうか」と相談しに行ったこともありました。


 テレビコマーシャルで大々的に宣伝する大手ブランドとは違い、地方の、ましてや酒どころのイメージのない静岡の地酒の場合、蔵元自身の広報力だけでブランドパワーを獲得するのは至難の業です。加えて日本列島のほぼ真ん中の、東海道ベルト地帯にある静岡は物流が発達しているので、全国津々浦々から有名地酒が入ってきます。静岡県内で呑まれる日本酒のうち、県産酒のシェアは実は2割以下なんですね。

 戦後の高度経済成長時代は黙っていても日本酒が売れていた時代でした。卸問屋や小売店にしてみれば、注文した量をすぐに納入してくれる、ついでにおまけしてくれる、サービスで看板を付けてくれたりする県外の大手酒蔵を重宝します。

 一方、そんな“余力”のない県内中小酒蔵は、造った酒のうち、地元で細々売る以外は、灘や伏見の大手酒蔵に桶売り(OEM供給)するなどして、必死に生き残りを図っていました。やがて大手が輸送コストのかかる桶買いをやめて自主生産体制を整えると、桶売りに頼っていた酒蔵は自立、事業縮小、あるいは転業・廃業の選択を迫られます。

 このとき自立の道を選んだ酒蔵は、量より質にギアチェンジし、それまでコンテスト用に少量試作していた吟醸酒の市販化に取り組みました。これを強力に後押ししたのが、静岡県工業技術センター開発の『静岡酵母』。昭和50年代後半~60年代にかけ、県内酒造業がドラスティックに構造転換した時代でした。

 

 磯自慢酒造は、桶売りに頼らず、一貫して『磯自慢』として造り続け、売り続けてきた蔵でした。地元焼津は新鮮な海の幸の宝庫。口の肥えた客や料理人が集まる日本有数の港町、という土地柄も手伝い、蔵元の酒質に対する意識は大いに磨かれていたのでしょう。

 しかし焼津から一歩外へ出れば、酒の市場は荒波の渦。家業に入る前、酒の流通会社で修業をし、市場の渦の激しさを目の当たりにしていた寺岡さんは、「うちも一層、質を磨いていくしかないが、品質を上げれば黙っても売れるほど世の中は甘くない。市場に認知され、信頼される努力をしなければ」と実感します。蔵に戻るや次々と蔵の改造・改築に着手し、暖地静岡のイメージリスクを払拭するような、完璧な低温管理醸造所を創り上げました。

 同じ頃、同様に、テレビコマーシャルで名の知れた銘柄を並べておけば黙っていても売れる時代ではない、卸問屋に依存し、他店と同じ商品を並べるだけでは価格競争に巻き込まれる、と危機意識を持った小売酒販店がいました。それが、東京の「はせがわ酒店」、静岡の「ヴィノスやまざき」等、磯自慢の名パートナーとなった酒販店です。彼らは卸問屋に頼らず、小さいながらもキラリと光るダイヤの原石のような地方の蔵を自らの足で発掘し、リスクを分かち合いながら必死に営業努力を重ねました。

 自分の酒を無名の頃から買い支えると言い切ってくれた、そんなパートナーへの恩を、寺岡さんは今でも大切にし、生産量や新規取引先を無計画に増やすようなことはしません。

 

 2008年のG8北海道洞爺湖サミットの晩餐会乾杯酒に選ばれたことで、磯自慢の人気にさらに拍車がかかりました。サミット酒=日本を代表する国酒、という最上級のブランドパワーがついた以上、品質は絶対に落とせませんし、品質を落とせないという理由で量を減らすことも出来ないでしょう。

 ブランドとは、高い品質を安定供給できる信頼の証。現場の杜氏さんや蔵人衆の肩にかかるプレッシャーは相当なものだと想像しますが、現場の皆さんは蔵を訪ねるたびに意気揚々と迎えてくれます。緊張の中にも、期待されることへの充足感があるんですね。「働き甲斐のある仕事場なんだな」と、こちらもワクワクしてきます。そんな現場を作り上げた寺岡さんは、私が知る限り、国酒にふさわしい日本屈指の酒造家だと明言できます。

 

 

 2012年末、私が磯自慢を求めて県内酒販店を駆けずり回っていた頃、寺岡さんの名パートナーだったヴィノスやまざき(静岡市葵区常磐町)の山崎巽会長が亡くなりました。

 山崎さんは、私が初めて手がけた新聞全面広告のスポンサーであり、「マユミさんの思い通りに作ってみなさい」とチャンスをくれた、私にとっても得難い恩人です。毎日新聞で199798年に連載していたコラムでは静岡酒の功労店として似顔絵付きで紹介。一線を退かれた後も、時折、「最近の酒の事情を聞きたい」と連絡をもらい、お茶を飲みにうかがったりしていました。

 2013年1月8日に執り行われたお別れの会には風邪で体調を崩して参列できませんでしたが、2日後、東京の広尾へ取材に行ったとき、ヴィノスやまざき広尾店で磯自慢のやまざき限定新酒を見つけ、思わず購入してしまいました。

 取材先というのはドイツ大使館。静岡県広報誌の看板企画・川勝知事と各国大使の対談コーナー取材です。訪問時には手土産として、編集スタッフが静岡県産マスクメロンを用意するのが常でしたが、対談で食の話題になると、知事は「わが県には、洞爺湖サミットで乾杯酒に選ばれた名酒がある」と自慢げに話されることがあるので、迷惑にはならないだろう、と、買ったばかりの磯自慢を手土産に加えてもらいました。

 案の定、知事は満面得意顔で「サミットの酒です!」と大使に差し出したものの、実は、私が買った限定新酒というのは、サミットで使われた最高級の中取り純米大吟醸35ではなく、ハウスワイン価格の本醸造。ヴィノスやまざき広尾店はドイツ大使館の目と鼻の先ですから、行けば、バレバレです(苦笑)。

 それでも、磯自慢という酒は本醸造だろうと大吟醸だろうと、日本を代表する国酒に違いない、その称号にふさわしい経営努力を寺岡さんはされてきたのだという私なりの確信があってのこと。その素晴らしい酒をテーブルヌーヴォーとして手軽に味わえるようヴィノスやまざきが企画した、ある意味、お宝な逸品です。こうして取材前に偶然手にしたのは、山崎さんが天空から呼びかけてくださったのでは、と思いました。

 知事のニコニコ顔を見ていたら、磯自慢のような造り手やヴィノスやまざきのような売り手が地元に存在することが、静岡の酒全体のブランドパワーをどれだけ押し上げたのか計り知れない、と実感しました。今、磯自慢の取扱いのない酒販店の中にも、自分が惚れた酒を全力で買い支えようと努力する若い酒販店主や、彼らが開拓した飲食店主が数多く育っています。飲み手の私たちがいいお酒にめぐり合うチャンスとは、いい売り手との出会いに他なりません。山崎さんは生涯をかけ、そのことを実証してくれた先達でした。

 

 対談取材が終わって大使館の門を出たとき、夕闇に染まる空を見上げて、「今日、広尾店にはたまたま本醸造しか置いてなかったんですが、大丈夫ですよね」と、手を合わせました。山崎さんは「うちが全力で売る酒に文句は言わせない」と応えてくれるはず・・・そう、確信しています。

* 『磯自慢』の取扱い店はこちらの公式サイトをご参照ください。

 

 

 私をこの世界に導いてくれた栗田覚一郎さん(元静岡県酒造組合専務理事)、竹島義高さん(静岡県の大吟醸を初めて客に飲ませた入船鮨常務)、ヴィノスやまざきの山崎巽会長、静岡酵母の河村傳兵衛先生・・・戦前戦中生まれの骨太頑固オヤジたちは、今ごろ天国で、「次はだれがやってくるのか」と手ぐすね引きながら、杯が乾くまで酒盛りしているかもしれません。「あと30年は待たせますよ」と宣言しておきたいところです。

 

 



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