子供に手がかからなくなると、親の介護が始まるよ。
と、誰かが言っていたのを思い出した。
ほんとだった、でも、誰かが看取らなければ、いけないんだ。
父親の旅立ちの時は、母親がめんどうをみていた。
だから、父親は問題なく天国に到着できたんだと思っていた。
それは、私があまりかかわっていなかったので、
そう感じただけなのかもしれない。
死に方を考える。
生きているものは、みんな死ぬ。あたりまえのことなんだけど・・・
死を意識した瞬間から、人間はいろんな邪念がでるものなのかもしれない。
走馬灯のように流れる思い出が、幸福な感情だけとは、限らない。
今までの恨み、つらみ、人間の奥底に眠るどろどろとした醜い感情が、
外に出やすくなることもある。
とくに、私の母親は執念の強い人だ。
これは、たぶん、性格的なものだったり、生きてきた環境的なものだったり。
80歳まで、積み重ねてきた年輪の形で、いまさら、どうしようもない。
前にも、書いたように、私は実母とまったく考え方や、性格が似ていない。
子供の頃から、母親が理解できないことが、たびたびあった。
たぶん、母親もそう思っていたと思う。
それでも、育ててもらった。
だから、こうなったら、その汚いどろどろとした感情は、
私が受け止めて、処理しなくてはいけない物なんだ。
そう考えれば、気持ちに決着がつく。
母娘の関係は、同性だけに難しいこともある、
でも、私はこのドライな関係でよかった。
たぶん、早く自立もできたし、母親に依存することもまったくなかったので、
返って、さっぱりしてて、私には、あっている。
と、誰かが言っていたのを思い出した。
ほんとだった、でも、誰かが看取らなければ、いけないんだ。
父親の旅立ちの時は、母親がめんどうをみていた。
だから、父親は問題なく天国に到着できたんだと思っていた。
それは、私があまりかかわっていなかったので、
そう感じただけなのかもしれない。
死に方を考える。
生きているものは、みんな死ぬ。あたりまえのことなんだけど・・・
死を意識した瞬間から、人間はいろんな邪念がでるものなのかもしれない。
走馬灯のように流れる思い出が、幸福な感情だけとは、限らない。
今までの恨み、つらみ、人間の奥底に眠るどろどろとした醜い感情が、
外に出やすくなることもある。
とくに、私の母親は執念の強い人だ。
これは、たぶん、性格的なものだったり、生きてきた環境的なものだったり。
80歳まで、積み重ねてきた年輪の形で、いまさら、どうしようもない。
前にも、書いたように、私は実母とまったく考え方や、性格が似ていない。
子供の頃から、母親が理解できないことが、たびたびあった。
たぶん、母親もそう思っていたと思う。
それでも、育ててもらった。
だから、こうなったら、その汚いどろどろとした感情は、
私が受け止めて、処理しなくてはいけない物なんだ。
そう考えれば、気持ちに決着がつく。
母娘の関係は、同性だけに難しいこともある、
でも、私はこのドライな関係でよかった。
たぶん、早く自立もできたし、母親に依存することもまったくなかったので、
返って、さっぱりしてて、私には、あっている。