虹の夢の物語

私だけの物語
みんな 自分だけの物語
あわせたら 虹になるのかも

毎日届くギフト

2015-02-08 07:33:00 | 日記
私が、へとへとに疲れて帰ってきた日。

今から米を炊くのか…と、米がある有難さ、水がある有難さ、炊く道具がある有難さにまったく感謝もせず、米を炊かなければならないと思っていた時、今すぐ食べられるものを、いろんな方からいただき、ありがたき幸せを感じた日から、どこかの誰かにしていただいたことを意識してみた。

サンタさんありがとう。

そう思い、暮らしてみると、私の周りには何人ものサンタさんが、ひっきりなしにやってきて、私にいろんなものを届けてくれていることを改めて認識した。

サンタさん~♪と言い出してから、改めて、私はいつもなにかをいただいて生きているということを感じている今日この頃。

先日は、温泉に連れて行ってもらい(私が連れて行きましたが料金をだしてくれるという結果に)次の日は、晩御飯を食べにおいでと言ってもらうという。

また、最近気になっている、陶器作家さんの連絡先を教えてもらったり、これも自分ではたどり着かなかったことで、すごいギフトが来たと思います。

そして『インナーピース』という初めて聞く言葉を教えてもらったり、けれどそれは、つい最近私が知り合いに話していたことだったりして、あ~このことをインナーピースというのかと知りました。


これは、たった一人の、サンタさんの仕業ではなさそうで、おんくろだなうの神様とタッグを組んでいるに違いないと思う今日この頃。


改めて意識しなければ、こんなありがたい行為の数々を、『日常』にしてしまい、それほど意識していなかったような気がしてそちらに驚く今日この頃。

「今日空いてる?お茶しない?」と言ってもらえることも、ありがたき幸せで、素晴らしいギフトだ。

帰る家があることも、私が自分が思うことができるということも、私がしたいことに何の制約もないということも、すべてギフトだ。

きっと、自分が気が付いていないだけで、今までずっとギフトを受け取ってきているのだとおもう。ただ、それが自分にとっては当たり前すぎて、『日常』になっているだけで。

私にとっては、『夫婦喧嘩をする』というのは美しい行為で、あこがれの一つだ。

夫婦喧嘩をしてみたかった。

意見交流と言おうか、意見のぶつけ合いと言おうか。

そういうことも、日常でやっている方々には、何を言ってるのだろうと思われるかもしれないが、それがとても美しいクリエイティブな行為だということにぜひ、気が付いていただきたい。

そういうことができるのもギフトだ。


この世は、贈り物だらけで成り立っているのか。


悲しい出来事もギフトにさえ思えてくる。

こんなに悲しい思いを経験することができたなんて。

たぶん、人生に良い悪いは無くて、魂をどれだけ震わせたかということなんだと思う。

とてもうれしいこともとても悲しいことも、魂の震えるふり幅みたいなものは同じなような気がする。

一番、つまらんのは、魂が揺さぶられない状態だと思う今日この頃。

魂を揺さぶられながら、そこで、しっかり立って自分を見つめることができたら、心は平和だ。


さあ 今日のギフトも、しっかり受け取りましょう。

あなたのところにも、きっと毎日届いています。

今の瞬間も。


のんちゃん レベルの違いを実感する の巻き

2015-02-01 18:37:36 | 目指せ!京都大学への道
みなさま お久しぶりでございます。

フルタイムで働くというのは、なんと疲れるのでしょうか。

家に帰りつくのが、夜八時。

八時まで残業をしているのではありません。

5時過ぎには帰宅するのですが、家に足を踏みいれる間もなく、娘の習い事への送迎がまっており、習い事をしている時間に、外での用事を済ませ、そして娘を連れて帰宅する。

すると、八時になるのでございます。

帰ると、ありがたいことに娘がお風呂掃除をしていてくれるので、私はご飯を温める。

朝につくっていたものを温めるのです。

私が使ったお弁当箱を、娘が出してくれて、お水につけてくれたりして、お互い協力しあって帰宅後の時間を過ごし、そして、夕食。

9時にお風呂に入るのを目指しております。

10時にはお布団に入ってほしいですが、なかなか。

娘は風呂から上がってから、学校の宿題をしたりするので、なかなか、10時には布団に入れない状態です。

私は、お風呂で必ず眠ってしまい、そして、上がってきてから、夜の部がスタートするというような毎日を過ごしております。

情けないことに、疲れていると、娘にあたるということも久々に体験し、娘が小さいころのイライラしていた状態を思い出しました。

あの頃の私、疲れていたんだなぁと、今になって思っております。

ご苦労様でした。あの頃の私。


と、これは前置き。


いろいろありまして、去年5月から通っておりました、個別指導塾を退会し、くもんと寺子屋だけで、行こうと思っておりました矢先、友人が通っている、駅で二駅のところにある塾の無料体験があるというので、行ってきました。

まず1回目は試験を受けて、説明を受けたのですが、娘は試験問題が難しかったということで、テンションダダ下がりで、通う気はなくなったようでした。

それでも体験授業は受けてみたいといい、先日の金曜日に体験してきました。

娘の授業が終わるころ迎えに行き、先日案内をしてくれた先生に、

私が送ってこれないので、通わせるのは難しいということを伝え、

娘がよっぽど、今受けている授業が気に入り、自分一人でも電車に乗って通いたいと言い出さない限り、入塾はしないと思います。ということを伝えておりました。

そんな話をしてしばらくして、娘が教室から出てきました。

「どうやった?」

「難しかった~~~」

「ほな どうする?やめとこか」

「やりたい!」

「はぁ???」

驚きました。


娘が教室から出てきたら、お礼を申し上げて、失礼する予定でした。

「??難しかったんやろ?やりたいの?まま送ってこれへんねんで。自分で電車に乗ってこなあかんねんで?」

「うん」

「それでも、きたいの?」

「うん」

どうしても理由がわからず、なぜ行きたいのか、問いただしました。

すると、今日は、ここの塾生と体験の子を合わせて、10人の生徒が授業を受け、グループに分かれて子ども同士で考える時間があったらしい。
その時、塾生はものすごく賢かったらしい。

「あのな…なんていうのかな??レベル??レベルっていうのかな?それが全然ちがってな」と話してくれました。

「だから、のんちゃん、ここにきたらできるようになるかなとおもうねん」


天晴れです。


この理由に天晴れ。


この日、もし万が一、どんでん返しがあって、塾に通いたいというかもしれないからということで、申込書に必要事項を書いていったのですが、まさか本当にどんでん返しがあるなんて!


帰りの車の中で、娘のその意欲をものすごく褒めて褒めて褒めたおし、

「京都大学に行くことが目的じゃないねん。そうやって目指して頑張るというのが素晴らしいねん。実際行けるかどうかなんて、わからんやん。でも目指して頑張るのは決して無駄にはならへん。のんちゃんはもうそれができてるなぁ。すごいなぁ」と褒めたおし(笑)

家に帰っても、褒めたおしたので、娘の心ウキウキも最高潮に達し、

「ドラム叩くわ!」と言い出す始末。

今まで自分から家で練習したことなんて殆どありません。


なんということでしょう~~


娘のドラムは、驚くほど上達しており、アレンジしてうわ~~~~っと叩くではありませんか!!

なんやそれ!!!!!

そんなん叩けるようにいつのまになってたんや!!!!

と、ここでも、ものすごく褒めて褒めて褒めたおし。


娘は最高に褒められる夜を過ごすこととなりました。


かわいいのは、

「まま 抱っこ」

そういって抱き付いてきて、私に頭を撫でてもらって喜んでおりました。


次の日の朝、起きてくるなり

「のんちゃん 昨日、すごかった?」といい、にっこり笑顔を見せてくれました。



こどもって、褒めて褒めて褒めたおすと他のことも頑張れる生き物なんですね。

自信がなかったドラムを叩いて見せようと思うのですから、すごいことです。


レベルという言葉もはっきり知らなかったような娘ですが、自分のレベルを思い知らされ、それでもわかるようになりたいと思える意欲に脱帽でした。


中学の制服を採寸した日の記念ブログでございました。






ままの感情ありがとっ!

2015-01-18 16:08:52 | 
なんだかなぁ…という出来事があった。

娘が通う個別指導塾の冬期講習に申し込んだのだが、時間割をもらえず、冬休みが終了するということに。

いったいいつになったら時間割をくれるのかと、電話をするも正月休みに入っており、もう、冬休みが終わるという日になって、謝罪されたがこれを後の祭りと言わずなんというのか。

教室の担当の先生にメールを送っても、メールの返信が来ないので、本部あてに送るようになっているクレームのハガキを送った。

そんなことがあったとき、友人が通う塾が2月から新しい学年のスタートになるという話を耳にし、タイミングがいいので説明会に参加した。

娘は実力テストを受ける。

私は説明を聞く。

説明の時、アンケートがあり、志望高校を書くところがあったので、堀川高校と城南高校と書いておいた。

目指すのはどこだっていい。

説明してくれるはずの担当の先生が、前の時間の説明が長引いているとかで、私を待たせる時間が申し訳ないと思われたのか、説明担当ではない先生が、間を持たせるために簡単な説明をはじめてくれた。要するにつなぎ。

ところが、この先生が、志望高校の部分を目にすると、鼻で笑った。

今の笑いは、どういう意味ですか?と、口から出そうになったが、グッと堪えた。

担当の先生が来られた、その先生は志望校のところで、笑わなかった。

事務の女の人も笑わなかった。


約一時間の試験を終えた娘が、部屋に戻ってくると疲れ切った表情だった。

そして、テストの点数が、国数ともに、50点前後。

いったい何点満点ですか?と思わず聞いた。

しかし「入塾していただけます」ということだった。

いったい、何点だったら、入塾できないのだろう。

これでも、できているらしい。

まあ、一人でも入塾させる方が塾にとってはいいものね。


娘は試験が難しくて、あまりいい印象を持たなかったみたい。

塾の体験をしたわけではないけれど(笑)

私も、さっきの鼻で笑ったのがどうも気になる。

馬鹿にされたわけではないのだけれど(笑)


家路に向かう車の中で、どうや?通いたいか?というと、特に通いたいと思わないのだそう。無料体験だけ1回行くという。


帰宅して、例の冬期講習すっぽかし塾の本部から連絡が来た。

一月分の月謝が戻ってくるのなら今すぐ辞めさせたいことを伝えると、戻ってくるのだそうで、娘に確認してみたら、やめてもいいということで、本人もそんなに未練はない様子。

祝塾卒業。

そして、試験を受けた塾も通う気はないということで、結局一つ塾を辞めるという状態になりました。


すると、娘は、

「ままの感情ありがとっ!」と。

私が、怒らなければ、そのまま塾に通い続けていたけど、私の棘の先っちょにひっかかったものだから、今回塾を辞めることになった。

それが娘にとってはうれしいことだったのです。

自分から行きたいと言って通っていたけど、やめたかったんかね?


まあ、私の棘に感謝されるとは思ってなかったので、驚きました。


私が私の感情を素直に出すことで、娘を喜ばせることになったとは!

無理したわけではなく、素直に出しただけのなので、私のありのままを「よし」と言ってもらえたようで、嬉しかった。


「感情ありがとう」

なんとすごい言葉なんだろう。


こんな言葉を、私は誰かに届けることがあるだろうか?













糸から布へ

2015-01-08 19:18:54 | 日記
2011年3月11日。

あの時間、私は京都にいました。

そして、虹を見たのです。

虹を見る数分前、車のラジオで東北に地震が起きて津波が来たことを知っていました。

車から降りて、虹に向かって、祈ることしかできず、

私に何ができるだろう。祈ることしかできないと思ったのです。

今この瞬間、津波に飲み込まれている人がいるというのに、私はここで虹をみている。

なんとも複雑な心境でした。


数日後、友人にこのことを話すと、

「なにもできないことはない。何かができるはず」と言われました。

そして、友人の考えを元に、一枚のチラシを作りました。

その時の私にはそれが、私のできることでした。

内容は、

『2分の1にしませんか?』

日ごろ使っている、電気 紙類 水など 限りある資源の節約にいつもの半分を心がけて使用しませんか?というもの。

作ったとき、駅前に立って、配ろうと思いましたが、勇気が出ませんでした。

そのことを知人に話すと、知り合いに配るといって、何枚も引き受けてくれました。

あれから、もうすぐ4年です。


今年の年始のご挨拶の封書に、このチラシも入れました。

すると、ある人は、ティッシュを半分に切るということをしてくれました。

そして、ある人は、「家族がよく見るところに貼ったよ」と言ってくれました。


あの日、何もできない。祈ることしかできないと思っていたけど、友人が言ったように、なにもできないことはありませんでした。


『糸』という歌を知っていますか?

一本の糸だけでは、布にはならず、一本の糸だけでは人を温めることはできないけれど、

糸と糸が出会って、布になり、それが他の誰かを温めることができるかもしれないという歌です。

私は一本の糸だったけど、出会った人と布になって、少しは誰かを温めることができたんじゃないかと、4年近くたって、やっと布になることができたと思った次第です。

糸から布へ。

ちょっと進化したかな?


アイデアをくれた友人、背中を押してくれた友人、アドバイスをくれた友人、協力してくれた友人、そしてチラシをもらってくれた皆様、どうもありがとうございました。





娘の住む世界

2014-12-30 08:27:27 | 
11月の後半から12月にかけて、毎週土曜日に幼稚園免許更新に大学に通っておりました。

久しぶりに講義を受ける。一コマ2時間。それを15コマ。30時間の講義を受けて免許の更新ができます。

なんといいますか。一言でいうなら、「感動」しました。


2時間立ちっぱなしで、話をしてくださる。

それだけで、ありがたく感じる私は、年齢を重ねたと言わざる負えません(笑)


〈教育の最新事情〉

〈発達障害のある児童・生徒の理解と対応~教育と医療の視点から~〉

〈禅の生活~「かたち」と「こころ」〉

〈児童虐待と生活貧困家庭への支援〉

という4つの大きなテーマがあり、

教育の最新事情の中には

●スクールソーシャルワーカーとのかかわりを通して、子どもの生活の変化に応じた支援の在り方を考える。

●いじめ、不登校、非行、犯罪等の問題についての背景・原因の分析や教員の具体的な取り組みの在り方、また報道の統計の活用を通して現代社会の問題を考える。

●学校における危機管理の課題~付属池田小学校事件から学ぶ~

●子どもの発達を心理学の知見から見つめ直し、その問題点、課題、子どもの変化についての理解を深める。

●教育政策の動向を考える。教員のコミュニケーション、地域社会との連携を考える。

●教師とスクールカウンセラーの協業のあり方等を考える。

というテーマで、合計30時間の講義が行われました。


このような勉強から、20年近くも離れていたのですが、昔は孤独に子どもとかかわっていたなぁと感じました。

今は、いろんな角度から子どもたちを守り育てる仕組みが出来上がっています。

やはり、家庭でも教育現場でも、一人で抱え込まないことが大切だなと思いました。


15コマの講義のうち3コマは泣けました。

子どもたちは、苦しい世界で生きています。

収容所にとらわれているわけでもないのに、苦しい世界で生きているのです。

夜回り先生と呼ばれている水谷修先生が講義をしてくださった中で、今までは夜に外を回れば、助けを必要としている子どもたちに出会えたと。だから、回ればよかった。見た目もわかりやすかった。髪の毛は金髪。服装も。しかし、今は外見からは何の問題もないと思われる子どもが袖をまくるとリストカットの後。部屋にこもってでてこない。夜の街を回っても出会えない。
そのような子どもたちがたくさんいると。

更生して学校の先生になった子が、3年前の東北の震災で大きな被害のあった学校で働いていて津波に巻き込まれ命を落としてしまわれた話。

講義をしてくださる先生方が、壮絶な体験をしていて、生の話をしてくださっているという印象。

池田小学校の事件にかかわった先生の話。

リアルすぎて気分が悪くなれば退席してよいというほど。

いろんな事件が世の中で起こっていますが、池田小学校の事件はいつも私の心の近くにあって、すぐにあの事件を思い出してしまいます。

事件は娘が生まれる前に起こっているのです。同じくらいの子どもがいるわけではなかったのに、いつまでも心の中にある事件。

事件で命を落としてしまった子のひとりは、その日、「学校に行きたくない」と言ったそう。そんなことは珍しかったらしく、親は取り合わず、学校にいかせ、事件に遭った。

このエピソードが私の心から離れないのです。

今でも、娘が学校に行きたくないと言ったら、すぐに「わかった。休みなさい」というのはこの事件があったから。

これは余談ですが。


講義を受けて泣けるというのは、それだけ子どもを取り巻く環境、世界が苦しい辛い世界になっているということなのかと思っておりました。

先生が質問されました。

「どんな言葉をかけていますか?家で、子どもに、早くしなさい。だめでしょ。わかってないわね。などという言葉を多くかけているか。よかったねぇ。頑張ってるね。大好き。などの言葉をかける方が多いか、どっちが多いですか?」

この質問、ほとんどの人が前者だったのです。

私は衝撃でした。

教育現場で働いている人たちですよ。

それなのに、マイナスの言葉をかけている方が多い人が、多いなんて。

そのことを、帰宅してから、娘に話してみたのです。

すると、娘が驚の一言を放ちました。

「みんな、恥ずかしかったんちゃう?正直に手をあげるのが。みんな家では、良い言葉を言うてると思う」


娘の住む世界が2015年も幸せな世界でありますように祈ります。