完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

今年のカエルとホタル

2006年05月08日 | Weblog
私は中年である。
GWも5連休があったとはいえ、あまり休めた気もせず、
疲れだけをのこして、めでたく終わりを告げた。
明日からが思いやれる「中年」である。

さて、GW最終日の12時近いこともあり、
あまり重いネタは、さらに「疲れ」をよびそうなので
軽いネタとする。(しかし、感じ方によっては
そういえるかどうか・・・)

私は豪雪地帯に住んでいることは、ブログを立ち上げた時から
縷々Upしてきたが、そこは「米どころ」でもある。

昨年は、あまり米の出来がよくなく大変残念な年だった。
そして「例の大地震」の影響なのか、不思議なことが多い年でも
あった。

米を作る人間は「好き嫌い」にかかわらず、自然現象に
敏感になる。「大雪・大雨・大風」などは、一般人でも当然
分るわけだが、それを以上に「米がそれをどう感じているか」と
いう感覚で「感じる」ようになる。

一番不思議だったのは、あの地震の後、

      「カエルが泣なかった」
                  のだ。

これは本当に不気味だった。全く泣かない訳ではないのだが、
我が家は田んぼの真ん中にある。今頃から、9月初旬までは
正に「ヤカマシイ」くらいなのが普通だった。

そして、もう一つ

      「ホタルがとても少なかった」

これも、見たことのない人には想像も出来ないだろうけれど、
田んぼのはずれにある小山が「そっくり光っている」ように
見える。それはそれは、幻想的な光景が見ることが7月の初旬
まで見ることが出来る。

しかし、昨年はいつもの1/4程度しか光らなかった・・・。

それが、地震の影響だとは言い切ることは出来ないが、
少なくとも私が「中年」と呼ばれる歳まで生きてきて、
そうなったのは昨年が初めてだ。

農作業をしている人間は「大いなる自然」の力に畏怖し、
祈らずにはいられない。
地球の温暖化が叫ばれて久しいが、私たち、米を作る人間達は
「トウの昔」にそれを感じていた。

今年は「きのう」からカエルが泣き始めた。
そして、農作業が本格的に始まり、ホタルが飛んでくれれば
また、あの地震から一歩復興したことになるだろう。

自然を畏怖し、自然に慄き、そして自然に祈らねば
人間は「生きて」行けないのだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
カエルの声を聞きながら、今夜も眠りにつくことにしよう。
                       may





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私、巨人嫌いです(1)

2006年05月05日 | スポーツ
私は中年である。
寒い時が終わると、いきなり暑くなる。
今日は、半袖を着た「中年」である。

さて、昨日新聞を見ていたら巨人戦の
視聴率が、4月中のナイターではまたまた
過去最低を更新したという。
「さもありなん・・・」と一人で頷いている。

これでも「プロ野球」も年に一度程度の観戦には
機会があれば、行く事にしている。
サッカー観戦をしてから、スポーツというのは「その場」で
みて本当の迫力が味わえることを知ったからだ。

大体、野球の中継と言うのは、バッテリーとバッターを
中心に映像化しているので、スタジアムで見るものと
まったく違うものを見ている。

いかにスタジアム内で、ホームベースに近いところで
観戦しても、キャッチャーの後ろで見る形になる。

ところがテレビ中継はセカンドから、ピッチャーの背越しに
キャッチャーとバッターを見ることになる。

確かに、バッテリーとバッターの「カケヒキ」「配球」を
見るには、このアングルが一番良いだろう。
しかし、それではテレビに映っていないプレーヤーたちが、
いかに動いているかがまるで伝わってこないのだ。

スタジアムにいれば、まさにその「バッテリーとバッターとの
カケヒキ」が一番分からない。遠すぎてカーブを投げたか、
ストレートなのかさえ、まったく分からない。
だから、スタジアムで一点を争う投手戦をみるとあまり面白くない。
逆に乱打戦をみるなら、断然スタジアムに行くべきだ。

他のスポーツで、これほど地域的にも時間的にも全体を映さない
スポーツは無い。(試合開始と試合終了を映さないなどという
暴挙をするのもプロ野球くらいだろう)

他のスポーツが様々な変革を遂げる中で、中途半端な
人気に頼ったスポーツ中継をし続けたのも、巨人の人気以前の
プロ野球人気を下げた理由だと、私は思うのだ。

だから、スタジアムに行ったときはビールを片手に
フィールド全体に散らばった野手たちの動きを、丹念に
見入る。野手はバッターのよって、位置を微妙に変えるし
人によっては、バットが振り出される前に動き出す。
それこそがスタジアム観戦の「醍醐味」といえるだろう。

「ベースボール」と「野球」は、根本的に違うものだ。
日本の戦後をリードしてきた「プロ野球」は、野茂英雄が
メジャーリーグに行ったときから衰退が始まったといえるだろう。

そして、その「プロ野球界の盟主」巨人軍の衰退も、松井秀喜の
メジャー行きで決定的になった。
巨人が巨人らしかったのは、今の監督「原辰徳」が4番を打って
いた時までだ。

理由を挙げだすとキリが無いが、フリーエージェントという
制度を使い他チームの4番打者を次々と獲得し、飼い殺し
しかし、それによって勝てず、しまいには大年寄りのオーナーに
かき回されて「1リーグ制」などという暴挙まで言い出す始末だ。

堀江貴文という人の最大の功績は、あの「1リーグ制」を
つぶしてくれたことだろう。
あの時「1リーグ制」案がつぶれなかったら、間違いなく
日本のプロ野球は消滅まで行ってしまっただろう。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
今回長くなったので、Part1としました。
      Part2は今すぐ読めます。 may

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私、巨人嫌いです(2)

2006年05月05日 | スポーツ
私は中年である。
連休は、変に仕事があるような
ないような・・・・。
その中途半端さが、ブログUpのキレを
悪くしている「中年」である。

さて、Part2なので読んでない人は
「私、巨人嫌いです(1)」を先に読んで欲しい。

日本の「プロ野球界」は日本の「政界」によく似ている。
閉鎖的な殻の中で自分勝手な「自民党」(巨人)が、自分勝手な
ルールを作り他の弱小野党(他チーム)を相手に主導権を握り続ける。
そこには、紳士協定も自浄作用も無い。

彼らにとって「観客」(国民)よりも、閉鎖的な殻の中の
論理の方が大切なのだ。
それを見ている国民(観客)が、しらけきって興味を失っていく。

プロ野球の成り立ちにおいて、「巨人」というチームが最初から
主導権を握り、不健全な形のまま発展してしまったことが、
そしてそれを自浄作用的な是正できないまま、現在まで
きてしまったことが、最終的なプロ野球自体の人気を
押し下げることになってしまった。

ただ、政治と違いプロ野球は「フランチャイズ制」が本当の意味で
確立してきている。「千葉・北海道・福岡」などのチームの
盛り上がりはJリーグのそれに似てきている。

プロ野球が新たな時代を迎えるとすれば、地域リーグを作り地域に
根ざした人気を獲得することからだろう。やはり、メジャーリーグ
と同じ経営方針に近くなる。

最後にWBCの時の日本代表チームに「昔の巨人」の迫力を見た。
それは「ひたむきさ」と「誇り」をプレーヤーが持っていたから
では無いだろうか。

昔の巨人は「ひたむき」に「誇り」を持ち、「カッコよく」
そして、なにより「強かった!」ファンになることに、納得する
理由があった。

しかし、今巨人が昔のような強さを持つことが「プロ野球」を
再生することではない。

完全なるフランチャイズ制で「地域」に根ざしたものでなければ
結局、バブルのようにはじけてしまうだろう。

日本の「政治」は再生できないかもしれないが、「プロ野球」は
再生に希望が持てるような気がするのは、私が「中年」だからだ
ろうか・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
でも、しばらくプロ野球に興味は沸かないだろうなぁ・・・。  may
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フライパン料理2種

2006年05月03日 | 料理
私は中年である。
GWに入ってようやくこの地域も
暖かくなってきた。しかし、あまり
気分が晴れない中年である。

さて、このブログで「炒飯」のことをUpしたら
意外に評判が良い。
そこで、私の得意の「フライパン料理」を
二つほどUpしようと思う。

一つは「芙蓉蟹」(フヨウハイ)ならぬ「芙蓉ツナ」
つまりは、「ツナ玉」である。

蟹は卵に良く合うし、非常旨みも強いのでおいしいのだが、
何しろ値が張る。そこで、負けず劣らず卵に合う「ツナ」を
つかって中華風に仕上げる。

手順をまとめる。

①卵は理想一人3個(まあ2個でも許そう。1個じゃ、
 いくら何でも無理ですワ)

②ツナ缶も小一缶使いましょう(まあこれは適当に)

③長ネギを斜に長めに切っておきましょう。

④他にも、干ししいたけや筍なんかが入るとそれらしいです。
 しかし、具が多くなるとその分卵が多くないとまとまり
 にくいっス。

⑤すべてをボールに入れてよくかき混ぜます。(卵だけ先に
 混ぜておいた方がうまく混ざりまっセ)軽く塩コショー。

⑥フライパン(この料理はホントは中華なべを使って欲しい)
 を熱し、少し多めの油を入れる。

⑦温まったら一気に材料を流し込む。あわてず、ゆっくりと
 固まった卵を上へ上へとかき混ぜる。

⑧硬くなりすぎない内にひっくり返す。(中華なべなら思い切り
 振り上げてひっくり返す「大技」に挑戦して欲しい)
 無理しないでフライ返しで返しても、もちろんイイヨ。

⑨卵が焼きあがるのにあわせて、タレを作る。
 私は甘酸っぱいタレがあまり好きでないので、鶏がらに
 醤油・酒・少量の酢を煮立てて(必ず!)水溶き片栗粉を
 入れてとろみをつける。(とろみ加減が命です)

⑩私はご飯の上に乗せて「ツナ天津丼」にします。


一つは「オムライス」である。
いまや洋食料理の「花形」の感のある料理だ。

私の作り方は、ちょっと変わっている。作り方は以下の通り。

①卵はやはり3個使いたい(まあ二個デモいいけど、一個じゃ
 つるりんジャー!)

②具はめんどくさいからツナ缶でいいや。(ブツ切りソーセージ
 ・鶏肉なんかもいいです。ただ、あまり大きい切り身だと形成が
 むずかしくなりますよ)

③卵をよくよくかき混ぜて、具を混ぜる。塩コショーして、
 ご飯を入れる。(ここが私流「卵ご飯」を作ってしまうのです)

④フライパンにバターを溶かす(油でいいけど)ツナ玉とちがって
 あまり油を入れすぎないこと。

⑤フライパンをゆすりながら、ゆっくりかき回す。

⑥全体が半熟になってきたら、フライパンの向こう側に寄せていく。

⑦木の葉形に仕上げる。(全部返さず、皿を裏返してフライパンに
 のせて一気にひっくり返すと失敗しないゼヨ。口で説明しても
 分らんでしょうね・・・)

⑧オムライスの中に具が、少ないのでハヤシライスに近い
 ソースを作ってかけて欲しい。(タマネギ・キノコ等を具に
 してデミグラスソースorハヤシライスルーを使って作る)

やはり、卵料理は火加減・フライパン捌きが出来ていないと
おいしく仕上がらない。そうした意味では、やはり「むずかしい」
料理であることは間違いない。

ゆえに、これが出来ればほぼ卒業証書をあげることができる。

最後にフライパン使いのコツを伝授する。

フライパンは火に乗せて前後に「押し出しと引っ張り」を
繰り返す。これを続けると中の具が時計回りに動くようになる。

前後のゆすりが出来るようなったら、前に押し出すときに
フライパンを持ち上げて、引っ張る時に下げる。を繰り返す。

すると押し出す時にフライパンから翔び立った具が、
引っ張る時に戻ってくるようになる。

これも、火と相談になる。火が通りにくくならないように、
手早く混ぜてなるべく温度を下げないようにする。

すべては「感覚」なのだ。それは、何度もやって自分で摑むしか
ない。このことに「近道」はない。

みんな、ある程度までフライパンを使えているのに、最後の
レベルにいっていない人が多く見られる。
自分が、炒めれている具の気持ちになれれば最高だ。

料理は、いつも言うように「作った人のすべてが出る」
つまり、出来た料理はあなたの「分身」なのだ。

あだやおろそかに作ってはいけない。健闘を祈る。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
「料理は爆発だ!!!」           may
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村上龍著「恋はいつも未知なもの」読み終わりました

2006年05月01日 | 
私は中年である。
今日の東京は、30℃を越えたそうである。
我が街でも夏日だったとか、なかったとか・・・。

どうして、過しやすい「ちょうど良い」気温の
時というのがないのだろうか。
まるで「人生」のようだ・・・。
などと、もう終わりのような科白を書いてしまった
中年である。

私は通常3冊の本を同時に読みすすめている。
という話は以前Upしたと思うが、今回は、ほぼ同時に
3冊を読み終わった。

        池波正太郎「食卓の情景」
      酒口風太郎「図解ミステリー読本」
            そして、
       村上龍「恋はいつも未知なもの」

                       の3冊だ。

池波氏のエッセイについては、いずれじっくりUpする
つもりだ。それ位に「思い入れ」もある。

酒口風太郎氏の本は、先のUpで酒を絡めてUpした。
不思議と忘れたころに読みたくなる本だ。

そして、今回は村上龍著「恋はいつも未知なもの」に
ついて、Upしようと思う。

村上龍は、1976年(すでに30年前か・・・。)に
デビュー作「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を
受賞。実は、このタイトルは改題であり前のタイトルは
あまりに露骨な性的表現が使われていて発表されて
いないという。

「限りなく透明に近いブルー」は、今でさえあまり
若い女性には、お薦めできない本だ。
非常に過激な現代にも通じる性描写・ドラッグの話が
ポンポンと飛び出す。「どこまでが彼の実体験なのか?」
と若いときに読んで空恐ろしくなったものだ。

そして、それと対極をなすのが「69 sixty nine」
こちらは、ほぼ間違いなく彼の実体験だと想像がつく。
(この本は、妻夫木聡の主演で映画になった)

コミカルな「69 sixty nine」のほうが、当然おもしろい・・・。
と言いたいが、一生懸命ギャグを書いている「69 sixty nine」は
上滑りして、少しもおもしろくない。(彼は必死にかんがえた
らしき文章が伺えるのだが・・・)

やはり村上龍は純文学の徒なのであろう。
若き私に恐怖感を与えた「限りなく透明に近いブルー」
の方が、強いインパクトとして私の中に残っている。

そして「恋はいつも未知なもの」は、最初おおよそ
彼らしくない本に思えた。

その主人公の「体験する」ことは(ネタバレ注意のため
詳しくは是非一読で)彼らしくない感覚を見せていた。
だいたいJAZZのヒットナンバー40曲をモチーフに
していること自体が「彼らしく」ない。

軽く「おしゃれ」に決めたかったのだろう。
途中までは、そのスタンダードJAZZの詞が、とても
効果的に、その雰囲気を醸し出している。

しかし、彼の根源にある「生々しい部分」は、いかに
おしゃれに仕上げようと思っても無理がある。

彼のもっている「牙」は隠し切れてはいないのだ・・・。

作家が色々な「ポケット」を持っているのは、読者としては
うれしい限りなのだが、しかし、彼は結局同じ方向を向いている。
それが「中年」にはたまらなく心強い。
「龍」は「龍」であるのだから。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
本に出てきたJAZZVocalの40曲を
      全部聞いたみたいと思っている・・・。
                          may




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