私は初老男である。
つい最近まで、季節外れの暑さで扇風機をまわしていたのに、台風の後いつもの秋になった。
北海道の帯広では雪が降った。
我が地区でも、高い山では初冠雪。
毎年毎年繰り返される春夏秋冬。
・・・ああ、メランコリックな気分だ~~~。
さて、我が地域出身の世界的名優「渡辺謙」氏が主演した映画「許されざる者」が、ヒットしている。
私はまだ見ていない。
っていうか、ここ数年映画館と言うものに入ったことがない。
近くに映画館がないから。(ここはド田舎か)
そうこうしているうちにBSでこの映画の元となったハリウッド版(クリント・イーストウッド主演)「許されざる者」が放送された。
私が初老男を自認する位であるから、むか~しのテレビのことをよ~く覚えてる。
なんたってあ~た「ローハイド」とか「拳銃無宿」なんてアメリカドラマをうっすらだけど覚えているんですから。
「カウボーイ」とか「ガンマン」だもんね。
派手に拳銃をぶっ放し、ライフルを撃つ。
カウボーイハットが飛び、ガンマンが馬から落ちる。
う~~~ん。なつかしい!
そうした感覚で、この放送をみた。
☆☆☆ここから先は映画のストーリーの内容に立ち入っているので、映画を見る気がある人は注意してください☆☆☆
全く予備知識なしで、この映画を見て「変に暗い西部劇だなぁ・・・」と思った。
だいたいイーストウッドが、結構歳を取っている。(調べてみたら62歳だったらしい)
見たことのある役者がいるなぁ、と思ったらモーガン・フリーマンではないか!(映画「セブン」での名演が記憶にある)
私の子どもの頃はアメリカという国は「分かりやすさ」が信条だった。
「強いものと弱いもの」「ヒーローvs悪役」「男と女」「個人対大勢」
「トムとジェリー」って知ってます?
「力道山vsデストロイヤー」って分かります?(って片方日本人やん)
「スーパーマン」「バットマン」「スパイダーマン」etc
やっぱり、日本の「曖昧さ」に比べると本当に「白黒はっきり」しているでしょ。
しかし、この映画においては、その「アメリカの信条」が反映されていない。
私が見るに、登場人物に「悪人」がいない。
少々「やりすぎ」ってところがある人はいるが「悪い」とまではいえないだろう。
唯一悪人がいるとすれば「過去のマニーとネッド」であろう。
保安官は行動は「やりすぎ」だが「正義のため」である。
娼婦たちの怒りも「やりすぎ」だが「怒り」は理解できる。
マニーの賞金稼ぎも「ほかの方法」がなかったかと思うが「生活の苦しさ故」というのは理解できる。
娼婦の顔を傷つけた農夫も「やりすぎ」だが「殺される」のは理不尽って気がする。
昔私が子供の頃に観た西部劇とは、だいぶ違うイメージの映画だ。
イーストウッドと言えば「ダーティハリー」の時とは、ずいぶん変わって人間的深みの増した演技で「歳を重ねるのもわるくないな」って思える。
さらに、違うなって思ったのは男の「性欲」についての描写がドラマの芯になっている所。
実際、その部分は人間の生活が原始的であればあるほど重要なはずだ。
陽が昇れば起き、陽が沈めば眠る。というような生活をしてれば人間の本能的な欲求に素直になっていくものだ。
今の生活に慣れ切ってしまった現代人には、このことの意味が分からなくなっている。
だから、この手の映画を見るときは、ちょっと意識の切り替えが必要だと感じる。
アクションシーンも、派手さはない。
最後まで見て思った。
この映画は「日本的」なのだと。
イエスかノーかでなく、単純に悪人やヒーローでない。
皆が皆、自分の意識に素直に生きている。
その中で人生の一端で起きた事件。
それがこの映画ではなかろうか・・・・。
この映画を日本版でリメイクしようとしたのは、理にかなっているなぁ。
元々日本的な内容だからこそ、イーストウッド版以上に違和感ない演出で映画化できていることを期待している。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを呼んでいる皆さんも、人間の芯の部分は日本人の感性が一番人間らしいことに気が付きますように。
May
・・・・映画の最後に保安官がつぶやく「家まで建てたのに・・・・」のセリフは胸に迫るなぁ。
つい最近まで、季節外れの暑さで扇風機をまわしていたのに、台風の後いつもの秋になった。
北海道の帯広では雪が降った。
我が地区でも、高い山では初冠雪。
毎年毎年繰り返される春夏秋冬。
・・・ああ、メランコリックな気分だ~~~。
さて、我が地域出身の世界的名優「渡辺謙」氏が主演した映画「許されざる者」が、ヒットしている。
私はまだ見ていない。
っていうか、ここ数年映画館と言うものに入ったことがない。
近くに映画館がないから。(ここはド田舎か)
そうこうしているうちにBSでこの映画の元となったハリウッド版(クリント・イーストウッド主演)「許されざる者」が放送された。
私が初老男を自認する位であるから、むか~しのテレビのことをよ~く覚えてる。
なんたってあ~た「ローハイド」とか「拳銃無宿」なんてアメリカドラマをうっすらだけど覚えているんですから。
「カウボーイ」とか「ガンマン」だもんね。
派手に拳銃をぶっ放し、ライフルを撃つ。
カウボーイハットが飛び、ガンマンが馬から落ちる。
う~~~ん。なつかしい!
そうした感覚で、この放送をみた。
☆☆☆ここから先は映画のストーリーの内容に立ち入っているので、映画を見る気がある人は注意してください☆☆☆
全く予備知識なしで、この映画を見て「変に暗い西部劇だなぁ・・・」と思った。
だいたいイーストウッドが、結構歳を取っている。(調べてみたら62歳だったらしい)
見たことのある役者がいるなぁ、と思ったらモーガン・フリーマンではないか!(映画「セブン」での名演が記憶にある)
私の子どもの頃はアメリカという国は「分かりやすさ」が信条だった。
「強いものと弱いもの」「ヒーローvs悪役」「男と女」「個人対大勢」
「トムとジェリー」って知ってます?
「力道山vsデストロイヤー」って分かります?(って片方日本人やん)
「スーパーマン」「バットマン」「スパイダーマン」etc
やっぱり、日本の「曖昧さ」に比べると本当に「白黒はっきり」しているでしょ。
しかし、この映画においては、その「アメリカの信条」が反映されていない。
私が見るに、登場人物に「悪人」がいない。
少々「やりすぎ」ってところがある人はいるが「悪い」とまではいえないだろう。
唯一悪人がいるとすれば「過去のマニーとネッド」であろう。
保安官は行動は「やりすぎ」だが「正義のため」である。
娼婦たちの怒りも「やりすぎ」だが「怒り」は理解できる。
マニーの賞金稼ぎも「ほかの方法」がなかったかと思うが「生活の苦しさ故」というのは理解できる。
娼婦の顔を傷つけた農夫も「やりすぎ」だが「殺される」のは理不尽って気がする。
昔私が子供の頃に観た西部劇とは、だいぶ違うイメージの映画だ。
イーストウッドと言えば「ダーティハリー」の時とは、ずいぶん変わって人間的深みの増した演技で「歳を重ねるのもわるくないな」って思える。
さらに、違うなって思ったのは男の「性欲」についての描写がドラマの芯になっている所。
実際、その部分は人間の生活が原始的であればあるほど重要なはずだ。
陽が昇れば起き、陽が沈めば眠る。というような生活をしてれば人間の本能的な欲求に素直になっていくものだ。
今の生活に慣れ切ってしまった現代人には、このことの意味が分からなくなっている。
だから、この手の映画を見るときは、ちょっと意識の切り替えが必要だと感じる。
アクションシーンも、派手さはない。
最後まで見て思った。
この映画は「日本的」なのだと。
イエスかノーかでなく、単純に悪人やヒーローでない。
皆が皆、自分の意識に素直に生きている。
その中で人生の一端で起きた事件。
それがこの映画ではなかろうか・・・・。
この映画を日本版でリメイクしようとしたのは、理にかなっているなぁ。
元々日本的な内容だからこそ、イーストウッド版以上に違和感ない演出で映画化できていることを期待している。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを呼んでいる皆さんも、人間の芯の部分は日本人の感性が一番人間らしいことに気が付きますように。
May
・・・・映画の最後に保安官がつぶやく「家まで建てたのに・・・・」のセリフは胸に迫るなぁ。