完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

決して賞賛を惜しむわけではないけれど。    ~亀田和毅WBO世界チャンピオン奪取~

2013年08月02日 | スポーツ
私は初老男である。


・・・少々酒が入っている。

外で飲んで帰ってきてテレビを点けたら・・・。

亀田和毅のWBO世界戦の中継の最終ラウンドだった。



時代が変わってしまったというべきか、我々のような初老男であっても「格闘技」というものに一昔前のワクワク感を感じなくなってしまっている。

というより、初老男だからこそなのか?


ボクシングで言えば現役の「ガッツ石松」や「輪島功一」「具志堅用高」を見ている人間にしてみると、今の現役チャンピオンたちにボクシングの潜在的な格闘的恐怖をあまり覚えない。


辛さの強いカレーを食べ慣れてくると、さらに一段辛いカレーを食べたくなるように。



特に「興行としてのボクシング」が確立してしまった現在において、我々が簡単に興奮するような試合をそうそうできるものではないだろう。


しかし、そこの介在する「興奮」への期待は、つまりは「人(選手)」そのものになる。


まあ、当然のことだ。(あいつならやってくれる!みたいな?)


たとえば「亀田三兄弟」と言う「個人」に感情移入し興奮するのだ。


しかし、申し訳ないが、私のイメージにおいて亀田兄弟のあのスタイル・あの経歴・これまでの経緯とその間にあった試合の内容は「全く」一致しない。


長男興毅のチャンピオンになるまで、二階級制覇、その数々の試合の中で私の記憶に「あの試合は良かった!」っていう風に残っているものはほとんどない。


変に演出された粗野な若者の言動・行動が思い出されるだけだ。


それも、父親からインテリジェンス「削り取られて」できたイメージだ。


本当の彼の才能はもっともっと「頭を使う」部分に可能性があると思う。


前出のように昔に比べ、高度にエンターテイメントの要素と経済的なことが折り重なっている現在の格闘技界は、単純に1人のボクサーの意識や存在で大きく変わることはないだろう。


そうした中で、彼と彼のファミリーはそうした渦に翻弄されているように見えてしかたがない。


「ストーリー性」は申し分ないが、裏読みばかりをしてしまう私のような初老男には、もっともっと「上手な見せ方」が有る気がしてならないのだ。


誰かが言った。



「記録」より「記憶」に残る選手になりたい。



それは簡単なことではない。



亀田ファミリーには、様々な「記録」がすでに加えられている。


しかし、それを人々は長く記憶するだろうか?



私には、彼らはもっともっと人の「記憶」に残る試合のできる素質に見えて仕方がない。



なにか「歯がゆさ」ばかりが残ってしまうタイトルマッチだった。


亀田和毅君には「チャンピオンになった喜び」を爆発することより「あんな相手をKOできなかったくやしさ」を吐き捨ててほしかった。(前回の興毅の防衛戦も、今回の和毅のタイトル挑戦も彼らの潜在能力をもってすればKOできて当たり前だと思うのは私だけではないだろう)


・・・なにか、私の思っている「チャンピオンのカッコよさ」と、あの亀田ファミリーの思っている「カッコよさ」はことごとく喰い違うなぁ・・・。まあ、彼等は私のような日本海側の地方都市の人間ではなく「花の関西人」だからなぁ。違ってあたりまえか。


今回も最後までおつきあいいただきありがとう。これを読んでいるみなさんも、感動を感じ取れる感性を身につけますように。



           May



・・・しかしなぁ・・・。この亀田の親父さんて私とほぼ同じ歳なんだよなぁ・・・。
コメント
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