私は中年である。
今年はブログを一週間に一度は更新しよう!
と、決意して早二週間。
年末の挨拶さえしないで、新年を迎え、年始の挨拶もしない内に今日になってしまった。
いつもの言い訳であるが、Upする内容がないのではない。
むしろ、Upしたいことは後から後からあふれ出てきている。
それをUpする時間・・・いや、気力が無いだけだ。
そんなこんなで今年も、ダラダラとブログを続けていくことになるだろう。
訪れてくれる奇特な人たちに感謝したいと思う。
本当にありがとう。
さて、今年最初のUpは、長らくUpしていなかった「ナイト・ウォカー」について。
私が夜に歩き始めた理由は、前のUpを見てもらうと分かるのだが、新年早々、人間ドックを受けてきた。
本当はこんな正月早々では、よい結果が出ないであろうことは分かっていたのだが、ほぼ強制的にその日に割り振られてしまい、渋々ながらの受診であった。
結果から書いてしまおう。
「メタボ」をぎりぎりながら「脱出」したのだ。
本当にギリギリで「胴囲84.5cm」「BMI値24.9」でのクリアである。
実際体重は5kg減。胴囲は7cm減。ついでに言うと体脂肪は4%減だった。
検査をしてくれた保健師さんが、身長・体重を二度計り直してくれてのクリアである。
(デジタルの身長・体重計って身長で1.5cm。体重で500g位は増減するんだね)
話をしてみると、一年でこうしたメタボから脱出する人はあまりいないらしい。
実際すぎてみると、そんなに大変だったという意識はない。
だいたい自分の性格として、正面から向かい合った事柄に対しては、いつの間にか「面白味」や「充実感」を感じやすい面が多分にある。
ナイト・ウォークに取り組む前は、夜車でそういう人たちを見ると「変な人たち」位にしか思っていなかった。
今はそうした人たちの倍以上おかしな格好で平然とそれに取り組んでいる。
・・・・こうして話は「めでたし・めでたし」になればよいのだが、現実はそう簡単にできていない。
たしかにメタボからは脱出したが、それは単純に国が決めた一つの規定をクリアしたということでしかない。
保健士さんたちが「よかったね。がんばったね。」と言う度に違和感を覚えた。
ただ単にメタボをクリアすればよいのか?
天邪鬼の小生は、そういわれれば言われるほど疑問が浮かんでくる。
口幅ったいようだが、普通の男であればどこまでも保健士さんの対応で、自分が健康になったと鵜呑みにして喜ぶのであろう。
しかし、このメタボ健診の基準ほど信じられないものはない。
逆に言えば「国の基準」ほど信頼の置けないものはない。
日本という国、というより「人間」というものを信じるほど、小生は初心でない。
実は今日(21日)小生は「50歳」になった。
しつこいように繰り返すが、ついに「中年」を卒業したといっていいだろう。
そうして思うのだ。
人生において完全なる「信頼」を置けるものなどどこにもないのだ。
本当のことが分かれば分かるほど、結局自分自身における「生きかた」を考えないといけない、ということに確信が持てた。
国は「メタボ」というハードルを作って、一般国民のことを考えて行政がやっているように見せてはいるが、現実はなんとかそれによって「医療費」を押さえることしか考えていない。
なぜなら、国の基準におけるメタボを解消した私は、客観的にみればメタボと診断された時より健康ではなくなっている。
メタボで基準をクリアしていれば、病気になり医療費がかかってもいい。ってのが国の方針ってわけだ。
ひねくれているといわれそうだが、国が国民の健康についての「本質」を守ろうとしているならもっと違うやり方があるはずだ。
あ~あ、歳を取るたびに悟るのは、自分の国を治めている政府というものが「いい加減」であるということが分かってくる。それは本当に悲しいことだ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。散々時間をかけて、さらにその半分以上酔っ払ってUpしたために、長い割りにクドクドしてしまった。・・・そして、新年一発目といいながら、Upし終わってみると2月に入ってしまっているなぁ。
may
こんな感じだと、1年間に6回くらいしかUpできないかもしれない。これはまずい。
今年はブログを一週間に一度は更新しよう!
と、決意して早二週間。
年末の挨拶さえしないで、新年を迎え、年始の挨拶もしない内に今日になってしまった。
いつもの言い訳であるが、Upする内容がないのではない。
むしろ、Upしたいことは後から後からあふれ出てきている。
それをUpする時間・・・いや、気力が無いだけだ。
そんなこんなで今年も、ダラダラとブログを続けていくことになるだろう。
訪れてくれる奇特な人たちに感謝したいと思う。
本当にありがとう。
さて、今年最初のUpは、長らくUpしていなかった「ナイト・ウォカー」について。
私が夜に歩き始めた理由は、前のUpを見てもらうと分かるのだが、新年早々、人間ドックを受けてきた。
本当はこんな正月早々では、よい結果が出ないであろうことは分かっていたのだが、ほぼ強制的にその日に割り振られてしまい、渋々ながらの受診であった。
結果から書いてしまおう。
「メタボ」をぎりぎりながら「脱出」したのだ。
本当にギリギリで「胴囲84.5cm」「BMI値24.9」でのクリアである。
実際体重は5kg減。胴囲は7cm減。ついでに言うと体脂肪は4%減だった。
検査をしてくれた保健師さんが、身長・体重を二度計り直してくれてのクリアである。
(デジタルの身長・体重計って身長で1.5cm。体重で500g位は増減するんだね)
話をしてみると、一年でこうしたメタボから脱出する人はあまりいないらしい。
実際すぎてみると、そんなに大変だったという意識はない。
だいたい自分の性格として、正面から向かい合った事柄に対しては、いつの間にか「面白味」や「充実感」を感じやすい面が多分にある。
ナイト・ウォークに取り組む前は、夜車でそういう人たちを見ると「変な人たち」位にしか思っていなかった。
今はそうした人たちの倍以上おかしな格好で平然とそれに取り組んでいる。
・・・・こうして話は「めでたし・めでたし」になればよいのだが、現実はそう簡単にできていない。
たしかにメタボからは脱出したが、それは単純に国が決めた一つの規定をクリアしたということでしかない。
保健士さんたちが「よかったね。がんばったね。」と言う度に違和感を覚えた。
ただ単にメタボをクリアすればよいのか?
天邪鬼の小生は、そういわれれば言われるほど疑問が浮かんでくる。
口幅ったいようだが、普通の男であればどこまでも保健士さんの対応で、自分が健康になったと鵜呑みにして喜ぶのであろう。
しかし、このメタボ健診の基準ほど信じられないものはない。
逆に言えば「国の基準」ほど信頼の置けないものはない。
日本という国、というより「人間」というものを信じるほど、小生は初心でない。
実は今日(21日)小生は「50歳」になった。
しつこいように繰り返すが、ついに「中年」を卒業したといっていいだろう。
そうして思うのだ。
人生において完全なる「信頼」を置けるものなどどこにもないのだ。
本当のことが分かれば分かるほど、結局自分自身における「生きかた」を考えないといけない、ということに確信が持てた。
国は「メタボ」というハードルを作って、一般国民のことを考えて行政がやっているように見せてはいるが、現実はなんとかそれによって「医療費」を押さえることしか考えていない。
なぜなら、国の基準におけるメタボを解消した私は、客観的にみればメタボと診断された時より健康ではなくなっている。
メタボで基準をクリアしていれば、病気になり医療費がかかってもいい。ってのが国の方針ってわけだ。
ひねくれているといわれそうだが、国が国民の健康についての「本質」を守ろうとしているならもっと違うやり方があるはずだ。
あ~あ、歳を取るたびに悟るのは、自分の国を治めている政府というものが「いい加減」であるということが分かってくる。それは本当に悲しいことだ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。散々時間をかけて、さらにその半分以上酔っ払ってUpしたために、長い割りにクドクドしてしまった。・・・そして、新年一発目といいながら、Upし終わってみると2月に入ってしまっているなぁ。
may
こんな感じだと、1年間に6回くらいしかUpできないかもしれない。これはまずい。