私は中年である。
熱いのぉ・・・。
自分の50年足らずの人生の中でも、こんな夏はあまり記憶に無い。
カラダは疲れてはいるが、充実はしている。
問題なのは「心」の方だ。
中年を過ぎ、すでに「高年」なろうとしている男にとって最大の敵は「弱気」なのだ。
しかし、その弱気はちょっと隙を見せるとあっという間に忍び寄ってくる。
さて、久しぶりにUpする気になったのは、さっき終わった大河ドラマ「龍馬伝」の内容が書きたかったからだ。
今回の大河ドラマにおいてのキャストでポイントになるのは「お竜」「さな子」「お元」の龍馬にほれる女達。
男優では「高杉晋作」「桂小五郎」の長州の巨頭二人。
そして、私はこの「近藤長次郎」が誰になるか非常に興味があった。
女優陣の話は、いずれまたじっくりUpしようと思う。
問題なのは「近藤長次郎」を演じた「大泉洋」である。
今回のキャスティングの中でも1・2のベストキャストであろう。
「近藤長次郎」別名を「上杉宋次郎」また、侍になる前は「饅頭屋」と呼ばれた。
大河ドラマ第16話でのシーン。勝海舟の所に乗り込んできた帰りに、弟子となっている長次郎を武市半平太たちが罵倒する。
「饅頭屋の分際で・・・詰まらんことをしよって。」と武市。
それを受けて長次郎「・・・『分際』・・・。武市さんが・・・そういう言葉をつかわれるようになったとは!・・・私にも『志』がありますき!・・・お気をつけて、お帰りくださいませ!」
このシーンが今回の大河ドラマのベストシーンだと私は思っている。非常に深い意味を持つシーンだ。
どんなドラマにも「脇役」がいるわけだが、そこに脇であろうとも人生が垣間見えなければいけない。それが見えてこそ主役が光る。
饅頭屋長次郎は、幕末期にしか現れないタイプの男だろう。
封建制度において「身分制度」は、人民管理の根本である。それをある意味公然と破ったのだ。まあ、どこまで言っても「自称」でしかないのだが。
(これを幕府側で破ったのが、新撰組の「近藤勇」「土方歳三」の二人である)
しかし、この「侍」というものの定義が何であるかが幕末においては非常に問題であった。
今回のドラマでは、亀山社中の皆は長次郎の死を悲しんでいたが、ある小説の解釈では「長次郎は死んで当然」という雰囲気になってる。
一人で仲間を裏切り英国留学を企てるというのは「死んで当然」それも、龍馬の判断など仰ぐ必要などもちろん無いのである。(ドラマ通り、このとき龍馬は不在だった。それに、基本的に亀山社中には「上・下」の関係は無い決まりだった・・・んじゃ無かったかな?)
龍馬の最終的な理想は「自由民権」思想、それも極理想的な四民平等に行き着くと思う。それに感化されて侍となった長次郎にとって、結局本物の侍たちの集まりである亀山社中の仲間の特権意識は、笑止だったのではないだろうか?
武市たちとの会話でも、武市が尊王攘夷の意識で終わっているのに対し、龍馬はその先の思想にまでたどり着いているのである。
亀山社中の仲間の侍達は「国を守る」という大儀・志はあるにしても、実務的なことはほとんど出来ず偉そうにしているだけ。そんな思いからも、長次郎が社中で浮いた存在になっていったことは想像に難くない。
龍馬の理想を理解しているのは、自分だけであるという思いが、龍馬なら自分の行動を分かってくれるという思いが、裏切りを、留学を決意させたのではないだろうか・・・。
「術数有り余って至誠足らず。上杉氏身を亡ぼす所以なり」
龍馬が長次郎を評してそういっているが、侍になったのは長次郎にしてみれば方便でしかない。
志を遂げるために、既存のやせ我慢の侍の意識を捨てることに躊躇は無かっただろう。それを「至誠足らず」と表現するのは龍馬としても苦しいところだ。
この長次郎の死後、社中の実務は陸奥陽之助が取っていくのであるが、それはまた別の話。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。大泉洋は本当に不思議な人だ。これだけの演技をする力を持ちながら俳優が本業ではない。そのユーティリティな雰囲気が、様々な才能と回転の良い頭脳を持った長次郎にオーバーラップする。
may
長次郎の妻・徳を演じたのは酒井若菜。この人も大きな胸を武器にグラビア・アイドルでデビューしながら、しっかりした演技力を持っていると私は思うのだが、あんまり評価されてないなぁ。
熱いのぉ・・・。
自分の50年足らずの人生の中でも、こんな夏はあまり記憶に無い。
カラダは疲れてはいるが、充実はしている。
問題なのは「心」の方だ。
中年を過ぎ、すでに「高年」なろうとしている男にとって最大の敵は「弱気」なのだ。
しかし、その弱気はちょっと隙を見せるとあっという間に忍び寄ってくる。
さて、久しぶりにUpする気になったのは、さっき終わった大河ドラマ「龍馬伝」の内容が書きたかったからだ。
今回の大河ドラマにおいてのキャストでポイントになるのは「お竜」「さな子」「お元」の龍馬にほれる女達。
男優では「高杉晋作」「桂小五郎」の長州の巨頭二人。
そして、私はこの「近藤長次郎」が誰になるか非常に興味があった。
女優陣の話は、いずれまたじっくりUpしようと思う。
問題なのは「近藤長次郎」を演じた「大泉洋」である。
今回のキャスティングの中でも1・2のベストキャストであろう。
「近藤長次郎」別名を「上杉宋次郎」また、侍になる前は「饅頭屋」と呼ばれた。
大河ドラマ第16話でのシーン。勝海舟の所に乗り込んできた帰りに、弟子となっている長次郎を武市半平太たちが罵倒する。
「饅頭屋の分際で・・・詰まらんことをしよって。」と武市。
それを受けて長次郎「・・・『分際』・・・。武市さんが・・・そういう言葉をつかわれるようになったとは!・・・私にも『志』がありますき!・・・お気をつけて、お帰りくださいませ!」
このシーンが今回の大河ドラマのベストシーンだと私は思っている。非常に深い意味を持つシーンだ。
どんなドラマにも「脇役」がいるわけだが、そこに脇であろうとも人生が垣間見えなければいけない。それが見えてこそ主役が光る。
饅頭屋長次郎は、幕末期にしか現れないタイプの男だろう。
封建制度において「身分制度」は、人民管理の根本である。それをある意味公然と破ったのだ。まあ、どこまで言っても「自称」でしかないのだが。
(これを幕府側で破ったのが、新撰組の「近藤勇」「土方歳三」の二人である)
しかし、この「侍」というものの定義が何であるかが幕末においては非常に問題であった。
今回のドラマでは、亀山社中の皆は長次郎の死を悲しんでいたが、ある小説の解釈では「長次郎は死んで当然」という雰囲気になってる。
一人で仲間を裏切り英国留学を企てるというのは「死んで当然」それも、龍馬の判断など仰ぐ必要などもちろん無いのである。(ドラマ通り、このとき龍馬は不在だった。それに、基本的に亀山社中には「上・下」の関係は無い決まりだった・・・んじゃ無かったかな?)
龍馬の最終的な理想は「自由民権」思想、それも極理想的な四民平等に行き着くと思う。それに感化されて侍となった長次郎にとって、結局本物の侍たちの集まりである亀山社中の仲間の特権意識は、笑止だったのではないだろうか?
武市たちとの会話でも、武市が尊王攘夷の意識で終わっているのに対し、龍馬はその先の思想にまでたどり着いているのである。
亀山社中の仲間の侍達は「国を守る」という大儀・志はあるにしても、実務的なことはほとんど出来ず偉そうにしているだけ。そんな思いからも、長次郎が社中で浮いた存在になっていったことは想像に難くない。
龍馬の理想を理解しているのは、自分だけであるという思いが、龍馬なら自分の行動を分かってくれるという思いが、裏切りを、留学を決意させたのではないだろうか・・・。
「術数有り余って至誠足らず。上杉氏身を亡ぼす所以なり」
龍馬が長次郎を評してそういっているが、侍になったのは長次郎にしてみれば方便でしかない。
志を遂げるために、既存のやせ我慢の侍の意識を捨てることに躊躇は無かっただろう。それを「至誠足らず」と表現するのは龍馬としても苦しいところだ。
この長次郎の死後、社中の実務は陸奥陽之助が取っていくのであるが、それはまた別の話。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。大泉洋は本当に不思議な人だ。これだけの演技をする力を持ちながら俳優が本業ではない。そのユーティリティな雰囲気が、様々な才能と回転の良い頭脳を持った長次郎にオーバーラップする。
may
長次郎の妻・徳を演じたのは酒井若菜。この人も大きな胸を武器にグラビア・アイドルでデビューしながら、しっかりした演技力を持っていると私は思うのだが、あんまり評価されてないなぁ。