完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

日本人に失われていく感性  ~飲酒運転の果てに~

2006年09月14日 | Weblog
私は中年である。
今年の天候は偏っている。

雨が続いた7月・異常に暑い日が続いた8月
そして、また気温が下がり雨の続く9月・・・。
週末には台風が近づくという・・・。
そんなことでため息ばかりついている「中年」である。

人の死に方には様々ある。
   
    「病死・事故死・自殺」

その状況も様々である。

100歳以上生きても、生き足りなかったと思って老衰で
死ぬ人も居る。

しかし、20歳になる前に「十分生きた」と考えて自殺する
少年も居る。

しかし、世の中には「理不尽な死」というものが多々あるのだ。

その中でも、今回の幼い子供3人の死はあまりに

       「理不尽」
              
               過ぎるのだ。

私は、ひどく「自分勝手な」父親を見てきた。

小さいことのようだが、車庫の中に後から私の車が入ることが
分かっていながら、ど真ん中に自転車を止める。

人のスリッパやサンダルを、行く先々に履いていって放り出して
おく。

刺身の盛り合わせに、4切れしか入っていない中トロを一度に
3切れ箸につまんで口に運ぶ。

そのわがままさが、最後は「悲劇」につながったといえる。
(詳しくは、このブログの「東京タワー読み終わりました」を)

今の親父は、それでもたいして自分の過ちに気づいていないようだ。

73歳になる親父でさえ、そうなのだから22歳の男が、
「酒を飲んで車を運転することぐらいで」人が死ぬほどの
事件が起こると思っていなかったろう。

若い内は「いろんなこと」が分からない。分からないことが
「強み」でもある。

だが、それでも「越えてはいけない一線」がある。

おそらく一度も「飲酒運転」をしたことのない人は・・・
いないと思う。

しかし、その体験を、そのことの意味を少なからず感じ取って
ある一線を越える前に引き返す。

22歳の彼には「運が悪かった」ところが無いとはいえない。

しかし、「結果」として3人の幼い子供の命を奪ったことに
変わりは無い。

もし、子供たちが死んだことを知らなかったにせよ、姑息な手段を
使って罪を逃れようとすることは許されない。

そのことが許されないことさえ、分からないうちに彼はこうした
事件を引き起こしたのだろう。

世間の人たちは、この事件の当事者である彼に「危険運転致死罪」を
適用することを要求するだろう。

私もそれを躊躇しない。運が悪くても結果について責任を
取らせることでしか、やったことの意味を分からせることはでいない。

ホンの10数年前まで、その越えてはいけない一線を、子供たちは
「家庭」で教わり実行してきたはずだ。

それを実行してきた筈の今の親たちが、子供たちにしっかりと
その「一線」を教えていない。

失ってはいけない日本人の感性がいっぱいいっぱいある。
それを少なくとも自分の周りに伝えなければならない。

そうしたことでしか、こうした「悲惨な事件」を止めることは
出来ない。

中年のみんな!今の世の中を正すのは、我々の勇気だということを
肝に銘じようじゃないか!!

そのことで、幼い子どもの命が1つでも2つでも助かるのなら、
振り絞れない勇気なんか無いはずだ・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

突然、命を絶たれた3つの幼い命のために合掌・・・。

                        may









コメント (1)
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