完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

祭りに「浮かれなくなった」理由

2006年07月18日 | Weblog
私は中年である。
現在の私の生活の中心には「パソコン」が
あるわけで、その「パソコン」の調子が悪いと
「生活全体」に支障が出てしまう。
これは現代人の宿命だ。

そのパソコンの調子の悪さが「気分の悪さ」に
直結してしまっている「中年」である。

さて、梅雨の最中であるが、わが地域では毎年、
この時期に夏祭りが行われてる。
7月14~16日に我が町。17~19日に隣町がお祭りになり
金曜日から3連休をはさんだ「6日間」私も浮かれた気分に
浸っていた。・・・と言いたいのだが、実はそんな気分に
最近あまりならない。

笛太鼓が「ピィ」と鳴れば「心」が躍る。
これは男と生まれてこの感覚が身についていないやつはいない。
そうでないとするならば、それは単にその感覚を知らないだけだ。
度合いの違いがあるにしろ、あの「開放感」に魅せられない
人間はいない。
(詳しくは3/12「非日常としてのアルビレックス」参照)

では、なぜ「そんな気分になれない」のか?
つまりは私は「おみこしを担げなくなった」のだ。
笛太鼓の音にあわせて、心を躍らせる術を無くしてしまったのだ。

お祭りというのは、基本的に「縁起物」であるわけで、
身内に不幸があれば、その年のお祭りには参加できない。
私は25の歳から「おみこし」を担いでいたのだが、
数年前、おみこしを担ぐことが出来なかった。
おふくろを事故で亡くしたからだ。

区切りの意味もこめて「四十で引退」とひそかに
心に期していた私に、神様は「もう潮時」と突然、
引導を渡した。
一度無くした「情熱」を次の年に取り戻すことは、
年齢的に無理だった。

人間望んでいたものが永遠に届かないものになって
しまうと、とても心に大きな「わだかまり」になる。

残酷なことに、そのわだかまりを思い出させる祭りは
毎年必ずやってくるのだ。
私と同世代の人間は、おみこしの現役でいる者は
ほとんどいなくなり、わたしも本当に四十の歳に担ぐことが
出来たかどうかは疑わしい。

それでも、その「わだかまり」が毎年この時期を迎える度に
チクリチクリと私の心を刺すのである。

やはり「中年」の最大の問題点「いかに現役を退くか」が
さまざまな形で、この「完全無欠の中年」である私に
迫ってきている。(おみこしからの引退は「アルビレックスの応援」
という副産物を生んだ気がしないでもないが・・・)

今の私のお祭りでの楽しみは、隣町の神社の境内に出ている
おばあちゃんがやっている「おでんとカキ氷の屋台」で買う
一皿のおでんと冷えた日本酒だ。

こんな梅雨時・初夏の暑さの中でも、なぜか毎年欠かさず
「おでんとカキ氷の屋台」は神社の境内に出ている。
数年前からその屋台では冷酒をださなくなってしまい、
わざわざ通りの酒屋でそれを買って、神社に向かうことに
なっている。それでもそのアツアツのおでんが楽しみなのだ。

完全無欠の中年も、その「年齢という階段」を上るのにひどく
哀愁を感じているこの頃である。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
雨に祟られた今年の6日間の最後は明日の花火大会。
せめて花火がきれいに見えるように、雨がやんで
欲しいものだ。

                        may














コメント
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