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コンサートの感想などを書き連ねます。

東響第89回川崎定期(11月27日)

2022年11月28日 | コンサート
2015年以来一曲づつ続けてきたベートーヴェン交響曲全曲演奏を完結する記念すべき演奏会だ。本来2020年4月完結の予定だったが、それがコロナ禍で今回に延期されたものである。ただし、今回はリゲティ等の斬新な現代曲との組み合わせはなく、シューマンの比較的演奏会で聴かれることが珍しい「マンフレッド」序曲、それとバイオリン協奏曲ニ短調との組み合わせとなった。その意図は私などにはどうも判らず仕舞いだ。ともあれまずは序曲だが、同じ音型の繰り返しと、どこか不自然なオーケストレーション。もちろん細部に注力した表現をしまくるノットには敬意を表するが、さすがのノットでも如何ともし難いという感じ。続いてのアンティエ・ヴァイトハースを迎えたバイオリン協奏曲も、やはり曲としての纏まりや冗長さには疑問があるものの、ここではソリストが曲を曲以上に聴かせた感がある。2001年のペーター・グライナー製のバイオリンがよく鳴り、そのまるで話しかけられているような弾きぶりに思わず耳を傾けずにはいられないのだ。細やかに、じっくりと弾き進むその音楽は、心の襞にまとわりつき、聞く者の心を別世界に運んでくれた。細やかさを尽くしたアンコールのBach無伴奏パルティータでは、そんなヴァイトハースの世界が全開した。最後はヴィブラートを抑えてすきりとスタイリッシュに響くベートーヴェンの交響曲第2番。とはいえストレートの快速調ではなく、ちょっとスピードを落として続くメロディをフワッと浮き上がらせるような所もあり、時代に挑戦するような過激なスタイルで登場した「古楽スタイル」の一つの落ち着き先を聞かせてもらったような爽やかな演奏だった。とは言えそこに先鋭的なこの作曲家の音楽を十分に聞き取ることは出来た。

東響「サロメ」(11月20日)

2022年11月27日 | オペラ
東響と音楽監督ジョナサン・ノットによるコンサート形式オペラ・シリーズ、モーツアルトのダ・ポンテ三部作の次はリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」だ。今回はとにかくサロメ役のアスミク・グレゴリアンの名唱に尽きた。その美しく妖艶な存在感とシャープな歌唱は、ジョナサン・ノットの描く音楽にピタリとハマった。その意味で、まさに理想的なサロメだったのではないか。それに対するトマス・トマソンのヨカナーンの朗々たる歌唱も実に説得力があり、この二人の存在とノットの指揮が当日の出来を決定的にしたといって良いだろう。ヘロディアス役のターニャ・アリアネス・バウムガルトナーとヘロデ役のミカエル・ヴァイニウスもベテランらしい確実な歌唱だった。そんな適材適所の外国勢に混じって、代役の岸浪愛学も立派にナラポートを歌い、そして演じた。このシリーズではもうおなじみになったサー・トマス・アレンの舞台アレンジも的確で、とりわけ井戸の中のヨカナーンの歌唱をサントリー・ホールのオルガン脇で歌わせたことは音響的に実に効果的だった。ノットの獅子奮迅の振りに120%呼応しつつ、青白い炎のように熱してゆくコンマス水谷晃率いる東響の演奏は、全く「見事」という以外に形容し難いものだった。当日のプログラムには早々と次回は「エレクトラ」との予告が。これも実に楽しみである。

新日フィル定期すみだクラシックへの扉第11回(11月18日)

2022年11月19日 | コンサート
来年4月から京都市響の常任指揮者に就任予定の沖澤のどかを客演に迎えてたウイーン音楽で構成された落ち着いたマチネ。スターターはモーツアルトのフリーメーションのための葬送音楽K.477。コンサートでは滅多にプログラムに載らない曲で、私も生では初めて聴いた。まあレクイエムが始まるような雰囲気の佳作だ。演奏のほうは、先ずは腕鳴らしといったところ。続いてバリトンの大西宇宙を迎えて、マーラーの「亡き子をしのぶ歌」。注目の大西の歌唱は多少一本調子の感じで、もう少し細やかな感情が欲しいと感じた。一方オケの方は単なる伴奏の枠を大きく超え、仔細な表現が光る極めて雄弁なもので、沖澤の実力をおおいに感じた。休憩後のブラームスの交響曲第4番はスッキリした流れで良く歌うとても居心地の良い演奏。そしてバランス良くフォームに乱れがないので品格が漂う。快速のスケルツオあたりからエンジンがかかり始め、最終楽章のフィナーレに向かってジワジワと白熱へ向かっていった。ただオケの反応は全体としては少し硬めで、アンサンブルにも多少の乱れが聞こえたりで、そのあたりは慣れの問題もあると思うので、回を重ねるうちに(全3回公演なので)改善され、より白熱した演奏が聴かれるような気がした。

新国「ボリス・ゴドウノフ」(11月17日)

2022年11月18日 | オペラ
開館以来25年の「劇場史」の中でこの小屋が手がける5つ目のロシア・オペラである。今回は「開場25周年記念公演」と銘打たれている。「ボリス」と言う為政者の孤独をテーマにした作品が、ロシアの一人の為政者によって残虐な侵攻が繰りかえさえているまさにそれと時を同じくして開幕するとは何たる巡り合わせだろう。そうした意味で、今回のこの舞台はまさに身につまされる思いで観ざるをえなかった。全編ほぼ美しい独立したアリアもない形式は、ワーグナーの「指輪」と同じとも言えるが、心に訴える瞬間は比較にならないほど多い。それはこの時期だからということもあろうが、「ボリス」が決して観念ではなく、人の心のドラマだからであろう。とりわけ主人公の行動をPTSD(心的外傷後ストレス障害)と関係付けて考えることから始めたマリウシュ・トレンスキー演出による、手の込んだ、よく考えられた大胆な読み替え演出は、この16世紀の物語の本質をぐっと現代の我々に近づけ、同時に脚本の可能性を究極まで引き出したということができよう。1969年初演版と1972年改訂版の折衷という版の選択も、プロジェクションによる映像挿入手法も、すべてはそのために寄与していたと納得させる仕上がりだった。沢山のキューブを使ってボリスの内面を表現したボリス・グドルチカの装置も実に効果的だった。ソリストは皆素晴らしい歌唱と演技で説得力があったが、とりわけピーメン役のゴデルジ・ジャネリーゼの美声にはうっとりした。日頃良い仕事を重ねている新国立劇場合唱団には、まさに実力発揮の場であった。大野和士率いる都響の表情豊かなピットは、職人的な器用さとは正反対のムソルグスキーの荒削りなスコアを手際よくまとめ上げ、今回の舞台を成功に導いた。

NISSAY OPERA「ランメルモールのルチア」(11月13日)

2022年11月14日 | オペラ
2020年にコロナ禍の制約の中、「一人芝居」という形で短縮上演された田尾下哲によるプロダクションの、満を持しての「完全版」上演である。舞台は二段仕立てで、主に奥の舞台では物語の深層が常に描写される。加えてレーヴェンスウッドの泉に伝わる幽霊とおぼしき影が常にルチアの死の象徴として舞台を徘徊する。そのあたりが珍しい趣向ではあったが、それらはどちらかと言うと説明過多で、いささかの煩わしさを感じてしまったというのが正直な私の印象である。そんな労を費やさなくとも演者の力で当日のドラマは立派に出来上がっていた。宮里直樹のエドガルドと伊藤達人のアルトウーロはどちらも美しく輝かしい歌唱でルチアを競い合った。森谷真理のルチアは声質にはちょっとこもる独特の癖はあるものの、鮮やかな技量と持ち前の持久力で万全の歌唱だった。大きな運動量を伴う演技ながら常に安定以上の歌唱を維持し続けたのはたいしたのもだ。大沼徹のエンリーコは序幕では声が出きっていなかったが、それ以降はシャープに実力を発揮した。妻屋秀和のライモンドもいつもながらの安心の歌唱。有名な狂乱の場ではフルートに代わって最初のドニゼッティのアイデアを生かしてグラスハーモニカが使われたが、この楽器の「虚」な響きが常人ならぬルチアの心を見事に描いていた。このところ20年の藤原「リゴレット」、21年の藤原「清教徒」などで舞台を成功に導いている柴田真郁のピットは、冒頭からテキパキとした運びだった。第2部1幕のフィナーレでは激情にかられて歌手ともどもベリスモ的になりスタイルを逸脱しかけたと思われる場面もあったが、2幕ではベルカント的な安定の運びを聞かせた。

東京シティ・フィル第356回定期(11月10日)

2022年11月11日 | コンサート
今年生誕150年と160年を迎える英仏二人の作曲家を集めた興味深い一夜である。指揮は当団首席客演指揮者で英国音楽を得意とする藤岡幸夫だ。まずはひそやかにラルフ・ヴォーン=ウイリアムズの「トマス・タリスの主題による幻想曲」から始まったが、シティ・フィルの弦の音の美しさに度肝を抜かれた。この曲は弦楽四重奏と二つの弦楽合奏グループの三群から成る特殊な編成なのだが、舞台正面に高く設えられた9名の弦楽合奏群からはあたかもパイプオルガンのような響きが広がり、それが弦楽合奏の裏で静かに響くという何とも神秘的な時間は至福の時であった。続いてはピアノ・ソロに寺田悦子と渡邉規久雄を迎えて、同じVWの「2台のピアノのための協奏曲」という珍しい選曲だ。前曲とはうって変わった力感溢れるソリッドな音色の作品で、この作曲家としては異色の音楽だ。そもそも私はこの作曲家が苦手なのだが、音楽の色合いが非常にはっきりしているので、これは大層面白く聞いた。決して固くならずにしなやかに運んだ出色の指揮だった。休憩後はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」と交響詩「海」の名曲揃い踏みだ。「牧神」ではソロ・フルート奏者の竹山愛の柔らかな音色とそれに呼応するホルンが印象的だった。他の木管アンサンブルの妙義もこの楽団の強みだ。スッキリとした仕上がりの「海」もよかったが、トランペットにはいつものキレと輝きが欲しかった。

ベル・エポックの煌めき豊穣の旋律~(11月9日)

2022年11月10日 | コンサート
今年の2月に続くバイオリン鈴木舞とピアノ福原彰美のデュオ・コンサートである。今回はCAP代表取締役の坂田廉太郎がプロデュースしているようで、標題のようなタイトルが与えられ、開演前に三人によるプレ・トークがあった。一曲目はストラヴィンスキーの「イタリア組曲」。この曲はバレエ「プルチネルラ」から7曲をピアノとヴァイオンのために作曲者自身が編曲した曲集で、軽やかで多彩なリズムに満ち溢れた曲達を二人は最初からハイテンションで弾ききった。続いては夭折の女性作曲家ブーランジェの「二つの小品」。豊かな叙情が漂った。前半の締めくくりはラヴェル最後の室内楽曲である「バイオリンとピアノのためのソナタ第二番」。鈴木の自在な表現にピタリと寄り添った福原のピアノ。この二人のアンサンブルは全く隙がなく実に見事だ。とりわけ遊び心満載の終楽章「無窮動」は圧巻で、弾き終わるや大きな掛け声がかかって前半を終えた。今回は二人の音楽が前回以上に濃密で、ここまででもう十分満たされた気分だった。そして後半は今回二人目の女性作曲家シャミナードの「カプリッチョ」で開始された。ここでは繊細な佳作ながら鈴木の音楽作りがいささか豊麗すぎて少し重たく感じる時もあった。そして締めくくりはフランクの「バイオリンとピアノのためのソナタ」。今度は鈴木の大きな音楽作りがピタリとハマリ、夫婦の一生を表すかのようなストーリーを見事に歌い上げた。福原のピアノも決して伴奏の枠に止まらず、バイオリンと同じ方向を見据えつつも随所に自身の煌めきを見せつ、見事な共演だった。まろやかに豊かに歌い上げられたアンコールのタイスの瞑想曲も心に染みた。