マキペディア(発行人・牧野紀之)

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「天タマ」第23号

2019年01月17日 | カ行
「天タマ」第23号(1999年11月15日発行)

           浜松市立看護専門学校 哲学の教科通信

 8日はいつもとは違う授業形態にしました。講師が「天タマ」22号について自分の意見を話しながら時々生徒の意見も聞く、という方法で60分。その後、VTRを見ました。レポートの時間は短かったので、何か1つのテーマに絞って書くというようにしました。

 時にはこういうやり方を取り入れた方が好い、という意見が多かったようです。が、今までの方がよかったという意見も2つありました。

──みんなで意見交換して考えを深めていくのも私は好きですが、私はもっと先生の今まで経験した事やいままで考えてきたことをじっくり聞きたいです。

──物事をこんなに深くまで考えられるものだということにちょっとびっくりした。1つのテーマをいろいろな角度から見ていくことはとても大切であり、1つの方向からしか見ていないと、何も見えてこないと思った。

──今回の授業では、前からの流れを時々組み入れて(17号の文、トップについてなど)、1つ1つの授業が相互作用して関連していて、前考えたことをもう1度冷静に振り返ってみることも大切だと思った。

 ★ 皆さんの考えを聞いていて、やはり拙いなと思う点が分かってきました。それは「ふざけた意見や載せていいもの・悪いものというのは、人によって違い、判断が難しい」というような考えです。

 「人によって違う」ということは、「好い悪いは決められない」、だから「自由だ」、ということになるでしょうか。

 世の中には社会通念というものがあります。もちろんそれ自体、時代と共に変化していきます。しかし、今という時点を取ったらやはり一応、社会通念は決まっています。そして、その通念に従って許されることと許されないこととが判断されるのです。

 個人の主観から「出発する」のは結構です。しかし、そこに留まっていては考えは進歩しませんし、社会的に通用しません。つまり大人とは言えません。極端な場合を挙げますと、いくら皆さんが「個人の自由だ」と思っても、裁判で判決が出て「あなたが悪い」と言われたら、それでお終いです。日本は法治国家です。

 自分の主観に閉じこもらないで、親や他の大人と話して「世の中の基準」というものを知り、それと比べて自分の考えを深めていって欲しいと思います。

      匿名のアンケートについて

──いくらアンケートで名前を出さなくても、言っていい本音と悪い本音があると思います。先生は自分の考えをしっかり持っている人だと私も思います。その下の意見もきっと同じ事を言いたかったのだと思います。言い方書き方によって受け止め方も変わってきます。そこらへんは難しいと思った。

──23回生のアンケートの「自分の考えが一番正しいと思いこんでいる」という意見には、きっと続きがあるのだと思います。「先生の話を聞いていると、自分の考えが一番正しいと思い込んでいるように見受けられるので、私の意見も受け入れてほしい」のだと思います。

 きっとその人は、哲学の授業で自分の意見に対して先生に批判されてしまったのではないでしょうか。自分の考えたことに対して、ただ「それは違っている」と批判されてしまうと、辛いと思います。

 一度意見を受け入れた上で、やんわりと自分の意見を話せば、先生に対してそういう意見がなくなると思います。先生は、少し話すのが早いので、そういう風に取られてしまったのかもしれません。私は、先生は自分の意見をしっかり持っている人だなと思ったけど、もう少しゆっくり話してもらえるといいなと思います。

──最近しばしば匿名ということが問題として取り上げられていますが、そこまで匿名にこだわる事がよく分かりません。1つの事を考えるのは良いことだけれど、考えすぎると熱が入りすぎるし、自分の考えが正しいと思い込んでしまいやすいと思います。先生の考えも分かりますが、こうじゃなきゃいけないと言われているような気がして、授業を聞いていることが少し苦痛に思えてきました。

──今までは無記名や匿名の裏の部分なんて考えたことはなかった。他人を批判する手段としては、とてもずるくておそろしい方法だと思った。しかし、他人を批判するのはやっぱり後ろめたいことなので、どこまで許されるのか考えて書くべきである。

        組織はトップで8割決まる

──私のバイト先の大型小売店の内部事情を見ていると、トップだけでもないかなと思います。パートのおばさん達によって左右されているように思うからです。これもある意味でトップのためにそうなっていると、取れるかも知れませんが。ちなみに、そこでは自己評価と上司による評価とがあり、それによって給料も出世も転勤場所も変わってきます。紙一枚で人生が左右されるのですから、恐ろしいと思います。

──母は「うん、そうかもしれないね」と言っていました。母は准看護婦としてある病院で働いています。看護婦として患者のことを優先的に考え、働いているつもりなのに、周りから「そこまでしなくても~」と陰で言われたこともあるそうです。同じ経験をした准看の人もいるそうです。

 でも、そんな母たちが言われて終わりになってしまうのは、主任や婦長などの上の立場にある人が大きく関わっているのではないかと思います。上の人達の仕事に対する考えが部下に伝わっていないのか、上の人達が曖昧にしているから、母たちのような人が目立ってしまうのかなとも思います。こういう事も考えると、就職先も内部の状況を調べて選びたいと思います。

──父に相談した。久しぶりに親との会話が成り立ったように思う。父は一生懸命に話し、うなづいている私にご満悦のようだった。父はどうしたらトップになれるかを熱く語っていた。この事から、父はトップに立てば何でもできると思っているらしいことが分かった。

       デンマークの医療制度

──私の父は病院で働いているが、実際病院で入院しても入院費が払えず逃げてしまう人も少なくない。病人に「入院費が払えるかどうか確認してから入院させる」という事実を冷たいことだと分かっていながら仕事として行うのに抵抗がある、と言っていた。

 デンマークの人々はお金云々でなく、病院という施設、介護という制度自体を大切にして運営しているのだと感じた。日本人は「お金があればなんとかなる」という考えが他国に比べて強いことが、介護保険の話し合いが長引いている原因のような気がする。

──デンマークの制度は良くできていると思います。でもうまく機能しているのはデンマークだからで、日本に導入するとしたら、日本に合った型に変えなければうまく機能しないと思います。歴史・文化・国民性などの違いがあるから、無理に押しつけても良い効果は得られないと思います。

        VTR「デルフトの眺望」

──VTRを見て、高校の修学旅行を思い出しました。長崎でハウステンボスへ行きました。とても広く、1日では全然見て回れませんでした。ああいう所に住んだら、きっとずっと外の景色や窓からの眺めを見ていたいと思います。

──フェルメールは私がもっとも愛する画家。私がフェルメールに出会った最初の絵がこの「デルフトの眺望」でした。そこに描かれた光と影、そこに立つ人の一人一人がまるで生きているかのように描かれている。それから沢山のフェルメールを見ました。彼は人を描き、その中の人はほとんどすべて、日常の動作の中の一瞬をとらえたかのように、絵の中で息づいているものばかりです。

 「デルフトの眺望」を見た時にも鳥肌が立つ思いでしたが、今もなおフェルメールの生の絵を見るとそう思います。昨年、京都でニューヨークの美術館の絵を展示する機会がありました。その中に一点、フェルメールの「手紙を書く少女」があり、私はすぐに足を運びました。茜色の毛皮のつけた上着をはおり、手紙を書きながらこちらを一瞬振り返ったような少女の顔と、現実のようでそうでないライティングの技法はまさに「その時」を一枚の絵に閉じ込めたかのようです(少女はフェルメールの娘で、その上着はプレゼントに彼女に贈ったものとも言われていますが)。

 私は今後も彼の全36枚の絵に会いにゆくつもりです。1枚はとある王室の家にあり、見るのはかなり難しいのですが。

          その他

──「天タマ」22号で先生が「犬が亡くなるはおかしい」と書いていました。きっとこの犬は家族同様に生活してきたのだろうから、別に「亡くなる」でもいいと思いました。この犬の飼い主がょっとかわいそうだと思いました。

──今日は自分のレポートが再び話題に取り上げられてびっくりした。私のいた高校は、体育の先生がみんなこわい人達ばかりで、その時の体育の先生は入ってきたばかりでした。他の体育の先生は、教室で生徒をけって怪我をさせたりして、ニュースでも取り上げられ、地方にとばされた人が何人かいるほどでした。だから、私の体育の先生もそんな感じで、厳しくしてきたのだと思います。

 担任の先生はもう何年か勤めていたので、体育の先生に話をしてくれました(体育の先生がもっと偉い人だったら、どうしたのかは分かりません)。それで、逆立ちはやらないという事になりました。次の体育の時、行くのが嫌だったけど、それから逆立ちをすることになっても、何十秒もやるのではなく、足を何回か上に上げるだけというものに変更されました。

 体育の先生とも、逆立ちの事は言わないけれど、仲良くなれました。教師の間での話はとても難しいことだと思います。だけど、そのお蔭で私は体育も何とかやってこれたので、感謝しています。

──中学の時、体育で持久走の授業があり、全員が1000mを5分以内でないと、切れるまでずっと体育の授業は持久走というルールがあった。どんなにがんばっても5分は切れず、体育が大嫌いになり、その先生が鬼に見えて顔を見たくなかった。(中略)人には得手不得手があるし、みんながみんな同じ目標は無理だと思う。だからその先生も個別性を考えて欲しかった。

──カンファレンスの内容が多いという意見は、私も同感である。実習の時でも、グループでのカンファレンスで、1つの話題でも言いたいことが沢山出てきて、結局かなりの時間話し合っている。物事を深く考えるのなら、テーマは1つにしぼり、もっと時間をかけるべきではないかと思う。

 またグループ内だけでなく、グループでの話し合いの結果を発表してクラス全体で話し合う時間があったら、考えが一層深まっていくかれしれない。時々はそういう時間があっても面白い。

   お断り

 昼休みに「天タマ」を読むことに反対の意見がありました。アンケートで聞きます。

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