芝生の緑がまぶしい。彩りを添えるキョウチクトウ、サルスベリ。子どもを遊ばせる人、スケッチをする人。数十年前、幼稚園の遠足に来たし、桜の季節にデートもした場所。そもそもここは植物園なんだろうか。
「たしかにちょっと正体不明かもしれませんね。時代によって異なった役割を担ってきましたから」というのは国民公園協会の本荘暁子さん。
江戸時代は、信州高遠城主内藤家の屋敷だった。維新後は明治政府の農事試験場に。皇室の生活に必要な野菜や果物、花を生産する農場をへて、庭園中心の「新宿御苑」となったのは1906(明治39)年。一般公開は戦後の1949(昭和24)年から。現在は環境省の管理する「国民公園」になっているが、温室を中心に種の保存に取り組む植物園の顔も併せ持つ。
御苑の歴史を語る時、欠かせない人物がいる。農学者・福羽逸人(ふくば・はやと、1856~1921)。石見国(いわみのくに)出身の福羽は21歳の時以来、半世紀近くをここでの研究に費やす。農事試験場の仕事の1つは、外国産の植物の日本での栽培方法を確立すること。オリーブ、ブドウ、イチゴ、マスクメロン~いずれも福羽が手がけ、ここから全国に普及していった。
本格的な西洋式温室が造られたのは1875年。日本で初めてランの温室栽培に福羽が成功したのもここだ。「2300種ある温室のコレクションは、今でもランが中心」(温室第一科・長山聡枝子さん)だという。
残念ながら温室は今、建て替え工事中。再開は2011年の予定だ。「新しい温室では普段なかなか見られない絶滅危倶種も展示する予定です」(長山さん)。
晩年に記した回顧録によると、福羽は人間の生活には緑の空間が必要だと考えていたらしい。今も残るフランス式整形庭園、イギリス風景式庭園は、福羽の発案で造られたものだ。ちなみに、日本庭園となっているあたりは、動物園があった時代もある。広い芝生はゴルフコースとして使われたこともある。
苑内のかなりの部分が木に覆われている。農事試験場のころ持ち込まれた種や苗木が成長したものが多い。世紀をへて、これだけの森に育ったのだ。
この森には、都会の夏の猛暑を和らげる「クールアイランド効果」があるという。帝京大学の三上岳彦教授によると、苑内の気温は周辺の市街地に比べて、夏の日中で2度ほど低いそうだ。〟森にたまった冷たい空気は周囲にも流れ出し、自然のクーラーの役割を果たす。
苑内に入ると何やら涼しげに感じたのは、気のせいばかりではないらしい。
(朝日、2008年07月22日。赤岩なほみ)