植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

病膏肓に入る 

2020年01月25日 | 書道
 ワタシは、曲がったことがそんなに嫌いでもありません。思い込んだら命がけ、とことんのめりこむタイプでもなく、始めたら何が何でもやりぬくという不退転の決意・根性も持ち合わせていません。優柔不断に近いものがあります。

 が、案外しつこく続ける性質ではあります。自分が納得するレベルに達するまでは止めたくないと常々思います。ゴルフでも書道でもやる以上は、うまくなるまではあきらめません。女性とのお付き合いも、若いころから存外長続きする方で、別れた後もその思い出や気持ちだけは何十年も褪せることがありません。

 その分、スタートするまでにかなりの熟慮や情報収集、時間を要します。なかなかふんぎりがつかない、臆病で慎重という性格も併せ持つからです。

 更に、何かを始めるとき、形から入るということを意識いたします。強いもの優れたもの上手な技、すべてが理にかなうものは美しいのではなかろうか、まず手練れや先達の模倣から始めるのが上達の近道です。加えて、道具に拘ります。以前書きましたが書道でもゴルフでも自分に合った優れた用具を使うべきでしょう。

とまぁ、言い訳に始まる前段ではあります。
ようやく始めたヤフオクがマイブームとなり、そろそろ一月経とうとしております。資金が潤沢にあるわけでもないワタシは、一定の歯止め・自主ルールを設けました。安物買いのそしりを甘んじてうけても、とにかく、高いもの・骨とう品には手を出さない、金額がどんどん吊り上がっていく品は早々に撤退するということです。
 そして書道関連の実用品や消耗品限定のオークションを続けております。すでに半紙・半切・全紙という紙類は段ボール5,6箱分届きましたから、「ペーパーショック」とか「紙ウィルス」(笑)が発生しても数年は不自由しません。
 最初に手掛けたのが端渓硯目当ての硯探しでした。単品・年代物の由緒ある銘品は資金的には全く歯が立たないので、実用品・現在販売品・お土産もの模造品にハードルを下げましたから一つあたり数千円で10個ほどゲット。
 もう沢山、本物の垂涎のお品は入手不能と割り切りました。それからは、中古筆、半切(条幅)半紙、継色紙・料紙などの加工紙、墨(ココまではほぼ終わり)と続きました。これからの流れとしては、教本・古書、硯箱(←今ココ)、巻物・掛け軸類でほぼ一巡になります。それで、一旦はヤフオクからは撤収です。キリがありません。予算はとっくにオーバーしました(金額はナイショ)

 それにしても、オークションを通じて書道に関してはいろいろ勉強になりました。用具だけでも筆架(筆を吊り下げて乾燥させる) 墨床(すりかけの墨をのせておく台) 文鎮 印矩(篆刻印を押印するときの定規) 水滴水差し(水滴は穴が二つあり片方を指で押さえて水を垂らす)、印泥入れ(いわゆる朱肉)などがあります。例えば紙の種類や大きさ、用途も千差万別で、一枚数千円もする書道用紙があるのです。
 と、また、ヤフオクにはまり込んだ言い訳をしておりますが、さて、たんまり買い込んだ書道用紙、これを阿修羅のごとく消費する覚悟であります。風呂が沸くほどの半紙を使いましょう。一日1時間くらいできりあげていた練習も数日前からは2時間たっぷりとお稽古しております。
あー、ヤフオクのせいか、習字の腕が上がったような気がしますなぁ
おっと、また言い訳を・・・・
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赤い靴はいてた女の子 ピンクの靴履いてる男の子

2020年01月25日 | スポーツ
 ワタシが学生の時、同学の女子たちは、かなり人数が少なく、あまりしゃれた様子の方は少なかったですね。神奈川県の公立の大学といえば、数校ありますが、男女ともに地味でダサいというのが定評でありました。

 当時、横浜と言えば、「赤い靴」をはいていた女の子、異人さんが連れ去ったという物騒な歌も有名です。そして「ハマトラ」というファッションがトレンディーでありました。今でも通用するのかどうかは存じません。ミハマの靴、近澤レース、バッグのキタムラなどの老舗が大賑わい、横浜元町と言えばお洒落で若い娘さんやお金持ちの奥様方がよく行く商店街でした。近所には港の見えるが丘公園・外人墓地などの人気スポットもあり、多くの観光客を集まっています。学校で言えば何といってもフェリス女学院!(昔ワタシがふられた彼女はここの女学生でしたなぁ) 他にもお嬢様学校がわんさかあります。

 それに比べるとわが校の女子大生は、ファッションにはあまり興味が無かったか、キュロットスカートやズボンのいでたちが多かったですね。足元は当時はやった厚底靴でしたな。ハイヒールとかブーツではなく、単に3~5センチの厚みがある靴底のシューズで、ワタシ達は「ぽっくり」と呼んでいました。

陸上界では、にわかに「厚底シューズ」に注目が集まっています。ナイキが開発した3万円ほどのランニングシューズは、厚いソールのなかにカーボンのばねを仕込み、つま先はクッション性が高くなっており、長距離界では、次々にレコードを更新、マラソンなどで上位をこの靴を使用した人で独占されるようなレースもあるそうです。派手なピンクの靴ですから目立ちますわね。
 その構造がもたらす効果は詳しく書きませんが、早い話、あのドクター中松が発明したジャンプシューズの実用版です。着地の際、ばね・クッションによって緩和されるので、負担や疲れが少なく、反発力を跳躍力に変えるということみたいです。国際的なコミッショナーは、どうするか協議中ですが、まだ使用禁止にはなっていませんな。

 スポーツ競技、とりわけ個人種目については昔からこの種の議論がつきまとい、実際いくつかの競技では禁止や制限が設けられるようになりました。有名なのはスキージャンプのスーツとスキー板。あとは、自分では着ることすら困難なサメ肌スイムスーツがありました。スキー板に関しては、身長に比例した長さの板を使うことに改められたため、それまでジャンプで上位にいた小柄の日本人選手に不利になりました。欧米では、体の大きいことによる優越性は放置して、小柄・軽量の選手のそれには厳しいのです。また、誰でも買える値段かで使用禁止とするか否かを決めるのは全く愚かしいことなのです。

 こうした制限や禁止対象となるものの判断基準は「公平さ」が最優先されるべきで有りましょう。一つは、同じ大会・同じ年月での公平性です。全く同じ条件で戦ってこそ、その勝敗・優秀さが競われるのです。極端な話が、走る競技ならみんな同じ靴を履くようにすればいいのです。補助具を使ったり、薬物・用具の構造と性能で、記録が伸びたり、他の人に勝つのはインチキというもの。ボクシンググローブに固い強化素材を仕込んだり、ラケットに不規則な回転がかかるラバーを張ったりできません。野球のバットも構造で禁止されるものがありました。

 もう一つは記録の整合性です。タイムで競うものは大体の大会で大会記録・世界記録などが残されます。これが、用具や身に着けるもので、より記録の短縮が出来たら、過去の人たちの記録はどうなりますか?不公平としか言えません。
 もしどうしても記録に拘るというなら、何を使ったかを公表して非公式の「参考記録」とすればよろしい。

 いずれにせよ、テクノロジーの進歩でアスリートたちにはより高く、より早くというニーズがますます強くなります。そのうちAIやマイクロチップ入りの道具が出来て、選手の意思に関わらず、勝手に体や手足が動くようになりましょう。

 それにしても、まもなく東京オリンピックが始まります。
あの、裸足のマラソンランナー「アジスアベバ」のことを思い出します。彼が、天国からこのおかしな論議をどう思っているか聞いてみたいものです。

どうやら、ワタシ達は「原点」というものをいつの間にか見失っているのかもしれませんね。

 
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恋をしましょう 恋をして

2020年01月24日 | 雑感
人間の脳は不思議な働きをするそうですな。

 例えば目から入ってくる情報は、脳がすべてをそのまま投影して理解するわけではないそうです。一瞬で刻々と変わる視界からの情報は、背景から、近接しているものまでのすべてをいちいち解析せず、過去からの記憶を混ぜて適当に認識しているのだそうな。つまり、自分が見えていると思っている姿かたちは、実は実際のままではないのだということです。結果として、普段の生活で目にする光景のあらかたは、経験として記憶されずに自動消去していくのでしょう。覚えているのは恐らく印象的であった一コマ二コマのみを写真のように記録しているのではないでしょうか。
 なんだか、わかるようなわからないような話ではありますが。

 例えば自分の写真。写真は嘘をつかないということがよく言われます。実際、わが身が写った写真を見て、「うーわ、この爺(婆さん)が自分なの?」と自己否定し、あるいは自己嫌悪に陥ることは年配の方に共通の経験でしょう。鏡に映る自分の顔は、脳が勝手に都合よく加工・デフォルメしてくれます。若かりし頃の痩せて綺麗だったころの顔をベースにして、都合の悪い部分を過去(または理想像)のイメージで上書きするわけです。ところが、写真でみる自分は、リアルに見える鏡の顔ではなく、客観的な一人の人物の顔に他ならないからなのですね。

ワタシは、一日ほとんど鏡を見ません。髭剃りは週一回、髪も起きた時のままで寝ぐせも余り気になりませんから、櫛やブラシも使いませんな。歯磨きの時だけは口の中を確認しますが。
人間歳をとると、外見に頓着しなくなります。若いころ、年寄りを見るにつけ、歩き方・姿勢・髪をはじめ身なり全般が、老人のテイストになるのを訝しく思いました。自分は、あーなるのはは嫌だ、小ざっぱりとして若々しさのある爺さんになるんだとも。

ところが、実際に老境に達するようになると、足元がおぼつかなくなり、足を開いてそろそろ歩きを始めます。髪は細く薄く白髪となりますが、鼻毛や眉毛だけは無駄に伸び始めます。肌ツヤは悪くなり、いたるところがたるみますね。なにより、外見に気を使わず鏡をみなくなる分、身なりがいつも同じで、だらしなくても気づかなくなるのです。
 当然加齢による劣化には抗えません。しかし、もう一つ重要なポイントは外見を気にしなくなる、ということですね。人と会う機会が減り、人からどう思われてもいいという心境になります。多くのお年寄りは美容や衣服に使う経済的余裕もなくなります。

 ワタシの私見でありますが、色恋に興味も関係も無くなるのが、その根本にあるように思われます。若い時分は、普通は異性によく見られたい、好きな人が出来ちゃった、誰かの気をひきたいと思うと、自然に自分の外見を良くしようと努力します。ところが、歳をとって、下の方がお呼びで無くなると、もうどーでもいいやということになりますな。結婚するとご家庭の主婦が、とたんに太りだしたりするのにちょっと似ています。

 そういうことで、もし、歳をとっても若々しくて素敵な老人でありたかったら、恋をするのが近道です。長年連れ添った配偶者がもしその対象であれば理想です。
 
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中国が人類滅亡の引き金を引く

2020年01月23日 | コロナ
昨日の続きであります。

人類を滅亡に追い込む要素として、昨日の内容に付け足さなければならないこと、それは、あらゆる「不都合な真実」を、その時の為政者や国家権力が隠ぺいしたり虚偽の発表をすることですね。正確な現状と今後の見通しを公開し情報を共有出来なければ、リスクに対して有効な手立てを講じることが出来ません。また、無数の大衆のほとんどは、臨界点を越えたら制御不能になることも知っておく必要があります。

追記 これは年寄りの世迷いごとではありません。世界の飛び切りの頭脳を持つ科学者たちが公表する「終末時計」、地球滅亡まであと100秒だそうですよ。

あの不朽の名作「魚が出てきた日」、1967年のヨーロッパ映画です。誤って落下した水素爆弾を島の人間がこじあけ、海洋汚染が始まるという話をユーモラスかつ衝撃的に表していました。最後の警告「アテンションプリーズ」が空しく響くエンディングが印象的でしたね。

実は、これからが本題。
もう勘のいい方はお分かりだと思いますが、昨日書いた条件にすべて合致する国、それが中国であります。
 ワタシは、もうだいぶ前から、人類が滅亡あるいは劇的に人類の存続を脅かすことがあれば、それは中国発であろうと思います。それが、核なのか、食糧危機・環境破壊・新型の病気発生なのかはわかりません。しかし、14億人(世界1位)の国民と、世界第4位の国土面積を持ち、アメリカに次ぐGDPや国防費を計上している国が世界に及ぼす影響を軽視する方は居ますまい。

 アメリカも相当に危険な国だとは思いますが、中国は情報統制されていること、国民性が極めて無責任・非公衆性であることが問題であろうと思います。
 中国人は、自分や家族の利益や生活の為に、守るべき規範や道徳・社会的な責任を軽視します。河川が汚れ、環境を破壊し、北京がスモッグだらけになろうとも、それは「国」の仕事だ、自分たちには関係ない、と考えるのです。残留農薬・砂漠化・少子高齢化・国境問題、どれもこれも自分らには無関係なのですね。ましてや、地球規模の温暖化などは「先進国がさんざん環境破壊したのだから、その問題解決の責任は欧米などの先進国にある。我が国は発展途上国だ。」と主張し、CO2排出削減に我関せずです。
 そうしてウイルス性の病気。かつて脅威となった新型肺炎SARSはじめ、豚コレラ、今や世界に拡散が懸念されるあらたなコロナウイルスなどは、すべて中国が発生源になっております。もとの媒介や宿主は、鳥、豚、今度は食用ネズミとか。これが、人間に感染し、更に変異によって人間同士で感染するという経過をたどり世界に拡散します。

 こうしたことが発生している重大な原因は中国人の公衆衛生に関する無知と無関心であろうと思います。路上につばやタンを吐く、床をごみや食べ物で汚す等はへっちゃら。トイレは恐ろしく不潔で、大小便を屋外にすることも平気です。農村部では、動物の飼育や管理もいい加減で、病死した大量の家畜をそのまま市場で売ったりします。
 また、初期的な感染症の発生に対しても無頓着と思えるほど警戒が無く、政府や地方の役所も隠ぺい・放置するので、食い止めることが出来ません。今更武漢市からの移動を禁止しても手遅れです。空港などでのチェックも形式的なため、すぐに国外へ保菌者が出国できてしまうのですね。潜伏期間が長いので、発症するまで自由に出かけていることでしょう。
しぶしぶ中国政府も感染者の拡大や死者を公表していますが、これはまったくあてにならない人数でしょう。あの北京大虐殺にあった死者数、天安門事件の犠牲者の公式発表を見ればうなづけます推して知るべし。

 新型ウィルスの問題だけみてもこの有様です。爆発的な感染(パンデミック)が心配です。中国では何十億人という人が移動する春節が始まります。この種の疾病が劇症化したり感染力を強めることが無いのを願うばかりであります。
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予言します 人類は滅亡の危機に瀕しています

2020年01月22日 | コロナ
 大昔、1億年位前には恐竜時代の全盛期を迎え、地球上の生命体の頂上に君臨していました。もう少しさかのぼると2億年位前までを三畳紀と呼び原始的な小型動物や植物の時代でした。地球規模の火山活動の活発化で、多くの動植物が死に絶え、生き残った種が再び栄えたのがジュラ紀、その後恐竜全盛の白亜紀となったわけですね。その後、6500万年前に、突然大量の生物が絶滅し、恐竜のほぼすべてが全滅したというのが現在の定説です。その転換時期をK-Pg境界と呼ぶそうです。その原因は、巨大な隕石の衝突というのが有力と言われています。その他にも、地軸の反転・火山噴火・食糧不足・二酸化炭素の増加等の大気汚染など様々な説がありますが、完全に解明されたわけでは無いようです。
ワタシの考えでは、大きく絶対的な強者の恐竜が滅びて、昆虫や哺乳類などの小型生物が生き残ったという結果の理由を突き詰めて研究するのがよろしかろうと思います。なにせ、ワタシは物心ついてから、2度目に将来なりたいと思った職業が博物学者(考古学者)でありました。因みに、1度目はプロ野球選手(笑)

 今、この地球に君臨するのは、人類と呼んで差し支えなかろうと思います。生息面積や個体数などを尺度にすれば、微生物から植物に至るまでいろいろな見方がありますが、この地球のあらゆる場所に住み、環境を変え他の種を滅ぼし、様々影響を与えてきているという意味では、他に見当たりません。

「栄枯盛衰」であります

始めがあれば必ず終わりがあります。ワタシたちが誕生して息を引き取るのと同じように人類も終焉を迎えるでしょう。それは、恐竜たちが君臨した1億年に比べれば、恐らく非常に短く、わずか数万年であろうと思います。
 何を根拠にそう思うか。勿論地球の生命起源以降に5回起きたと言われる火山・隕石などの地球環境の大変動のような事態が生じることもありましょうが、40億年で5回の確率と考えると、それは無いかな。
 ここからは、想定すべき(し得る)リスクであります。真っ先に考えられていたのが核戦争でした。かのキューバ危機の時、もし、ケネディさんが先制攻撃を仕掛けていたら、あるいはフルシチョフさんがやけくそになっていたら、核戦争が起きえたのです。今の核兵器の数やその破壊力は往時の何百倍でしょう。もし、どこかの核保有国が間違えて(あるいは指導者が発狂して)核ミサイルのボタンを押したら、直ちに人類全体の存亡にかかわります。
 次に、只今も進行中である地球温暖化を中心とした環境変動でしょう。海水の上昇、温暖化による動植物の生態系変化、異常気象がもたらす災害などはますます激化していくでしょう。森林破壊と砂漠化、大規模な森林火災、発電・車両・化学産業など化石燃料などの使用、オゾン層破壊、大量消費と大量発熱など様々な要素が複合して地球の温度を上げ続けているのです。これが、いつの間にか収拾がつかないほどの天災の引き金になる可能性が高いのです。
 更に、環境汚染であります。PM2.5問題は空気中の有害な微粒子の増加に対する懸念です。健康被害がどうなっていくのかはまだ誰も知りません。例えばアスベストの問題が認知されるようになってまだ20年ほどなのですよ。後進国の多くは河川や地表に工場廃水や有毒物質を放流し投棄しています。これが、雨水や川の流れに混ざって海水に流入します。大量の農薬を使った農作物を知らないうちにワタシタチは摂取しております。残留農薬と体内蓄積の毒物は長期間で人間の健康生命を脅かします。

 更に、食糧問題でありますね。ワタシが子供のころに教わった世界の人口は36億人でありました。最新の統計では約76億人、2050年では97億人との推計もあります。この人達を賄えるほどの食料の生産供給は厳しいと思われますな。環境破壊や温暖化で生物ならずとも植物にも甚大な影響が出ています。農地が減り、旱魃・異常気象で穀物や野菜の収量は減ることがあっても、増えることは想像できません。人類の多くが飢餓や渇きで命を落とすのではなかろうか。

 最後は、疫病・疾病であります。かつてスペイン風邪の流行で1億人近くの方が命を落としました。ウィルスの繁殖と変異は人間の医療技術や知識、薬剤の開発を凌駕する危険があります。サルや豚・鳥類固有の致命的なウィルスが人間に感染し、更に変異によって人-人の感染を引き起こしました。かつてのHIV(エイズ)が良く知られています。現在は、豚コレラが日本でも発生、人間にはうつらないですと、そんなのわかるもんですか。そして、ウイルス性肺炎は、人同士で感染していることが明白であります。

ああ、予定稿を越えてしまいました。続きはWEBで!

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