植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

心境の変化 掃除と片づけをする

2024年02月19日 | 雑感
心境の変化、というのでしょうか。

ここのところ掃除・片づけをちまちまとやっております。マイガーデンは草むしりと樹木の剪定、ゴミ拾いが日常的でありますが、ワタシの仕事場はコンビニの二階で、誰も来ません。いくら散らかそうが汚なかろうが、誰も文句を言いません。ワタシ自身、物心ついてからこれまで最も嫌いで苦手なものがお掃除でありました。もしワタシが掃除・整理上手であったら、世の中はともかく自分の人生は変わっていたかもしれません。

かといってゴミにうずもれるのは嫌なので、ゴミ屋敷にはなっておりません。外から持ち込まなければ部屋はそれ以上汚れてゴミが増えない、というのが道理。家の中のものを増やさないようにはしております(ただし石印材を除く)

ワタシの仕事場はコーヒーを飲んで果物を食べる程度なので家庭ごみは増えません。ただ、そこらに食べかす飲みこぼしが落ちるので、自然とフローリングには汚れと埃が溜まりますわね。ゴミ出しはきちんとしておりますが、そこらの棚や家財の上に物を投げ出してそのまま、というパターンも多いのでなんとなく雑然としているのであります。

ところが①来月初旬に第三者(掃除・片づけ)がやってくる ②今年に入って終活を始めた  ③うつ病などで身体が空いているのに、スマホいじりやまとまった作業が出来ない(気持ち悪くなる)・・・といった事情から、身の回りの片づけや清掃にかかることにしたのです。掃除の人が来るのに何故か、片付けする気になる、というのはあるあるではなかろうか、と思います。自分の体裁を気にする、片づけ時間が減って支払う時給が減る、といった理由で自分でやれるところはやっておこう、となるのですね。さんざん散らかして片づけを頼んでおいて、いざとなったら案外綺麗にしているでしょう?みたいな見栄を張るんですね(笑)。

すると、何も考えず、無心で掃除をしているのが精神衛生上悪くない(気分の落ち込みが無く不快感もでない)、ということに気づきました。綺麗になった爽快感も勿論プラスになり気持ちも前向きになります。作業して時間がいつのまにか経過しているというのは、次の薬の時間を待っている身には悪くない事なのです。

そこで、一昨日は掃除機をかける(1か月ぶり?)、フローリングを濡れ雑巾で磨く、をやりました。そして昨日は、①南側の出窓 ②パソコン机 ③オットマン付き安楽椅子、の拭き掃除をいたしました。いずれも数年間ほとんどほったらかし、子細に見ると皮の椅子にはうっすらと手垢などがこびりつき白い表面が薄茶色になっております。出窓には、数鉢の観葉植物などを置いているのをいいことに何か月もほったらかしなので、石土・枯葉・ほこりなどで汚れが溜まっていましたね。

雑巾とウェットティッシュなどに若干の洗剤を混ぜ、兎に角水気を足して洗うことにしました。当然ほったらかしで誰も触らない場所なので、拭けば拭くほど、綺麗になるのです。これだけで2時間ほどかかりました。気分も悪くはないです。

窓際の出窓部分はすっきりしました。金魚鉢を二つ置いたのは、①めだかを飼う ②花瓶として花を飾るか、という選択の余地を残したものであります。先日読んだ文章に「認知症対策」として、昨日までやっていない新しいことを始める、という項目がありました。日々生活に変化をつけるのがぼけないコツの一つなんだそうです。


すると思いつきました。階下のマイガーデンに設置してある「物置(ガーデニング関係資材専用)」であります。
あーー、10年前に据え付けたきりで、恐らく2,3度くらいしか整理しておりません。これは大物で、中にはいろんなものが詰まっているのです。恐らく半分近くは捨てるものかな。それでも半分ほどの棚は一応きれいにいたしました。まぁワタシには一辺には無理であります。終活と歩調を合わせぼちぼちと片づければよかろうと思います。

コメント
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