植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

田舎の香水

2019年02月26日 | 植物
 今から思うと、ワタシらが幼少のころ(昭和30年代)、まだ戦前、戦後の名残がありました。防空壕があちこちに放置されて空薬莢が落ちてたり。空地もいたるところにあって、土管が積まれてる、という昔のサザエさんの漫画に出てくる風景でした。学校の帰りは、畑や雑草地を突っ切っていくのですが、ひばりが高くさえずり、月見草だかセイタカアワダチソウだかの枯れ草を刀に見立ててチャンバラもやりました。空地ではめんこ、三角ベースの草野球、そして戦争ごっこは男の子の遊びとしては最もポピュラーでしたね。のらくろの漫画はみんなの愛読書でした。小刀(肥後守)も小学生にとって必須アイテム。鉛筆削りから手作りおもちゃまでこれ一本が役に立ち、大人が「危ない」なんて取り上げることもなかったなー。今じゃ考えられません。考えられないといえば、当時最も危険なゾーンは、肥溜め。野壺なぞとも言いますな。このありかを知らないと「野壺にはまる」という、甚だ不名誉かつ被害甚大な事故になるのです。まだ、農家も一般市民も貧しく、手作り野菜は当たり前、ヤギや鶏だって飼ってました。農業知識や肥料も戦前と大差なく、人糞含めた動物のフンが肥料の大半を占めていた時代です。人糞を撒いた畑の作物には寄生虫が含まれ、これを口にする人間に寄生、そして排泄すると卵も一緒なので、また寄生虫が増えるという無限ループ。子供のころ虫下しの薬を散々飲まされました。肥桶(こえたご)を天秤で前後に担いで歩く農家さんに、子供たちは鼻をつまんで逃げ出したものです。これを。昔の人は「田舎の香水」と呼んでいました。決して、その行為を貶め、忌み嫌うことがないおおらかな気持ちの表れではないでしょうか。
 それで、今度はお庭の香水。園芸を始めたきっかけは、カミさんのバラ栽培のお手伝いでした。庭造りも、建物の脇にある緑地を活用して、ホームセンターで売ってるバラをそこらに適当に植えるから始まりました。そのうち欲というか体裁よくしようなんて気になるのですが、その頃にはすでにバラや樹々が育ち始めて、無秩序無思想の状態です。そんな中でも、一貫して理想としてきたマイガーデンの姿は、四季のいつでも何かしら花が咲いていること、素敵な花の香りを楽しむ、ということです。庭を散策する(ほどは広くない)時、かがんで草を抜くとき、ほっと一息でお茶する時、どこからともなく花の芳香が漂ってくるように取り入れる植物を選んできました。バラも強香、芳香種を探して、当地では最もバラの充実した「花菜ガーデン」に何度も足を運び、ネットでも香りのいい花を調べては取り寄せるを繰り返しました。自然のアロマを求める旅とでもいいますかな。その花の香りの話はとてもブログの1回や2回では語り尽くせません。すこしづつ紹介することにしますか。 で、今朝は、待ちに待った「沈丁花」がいよいよ本格的に咲き始めました。ワタシは、狭小ガーデンにつき、球根類は別にして、原則1品種1苗(鉢)にしています。群生させて一面同じ植物が咲きそろうのが、見ごたえあるのは当然なのですが、そうするとほかの植物が育てられないし、将来広がり過ぎるのを心配せざるを得ません。しかし特に素敵な香りをもたらしてくれるものに限り、数本植えています。それが「沈丁花」「バイカウツギ」「ロウバイ」「クチナシ」ですね。これからしばらくは、沈丁花のそばに行くたびに、爽やかにして甘美ともいえる妙なる香りが嗅げると思うと、ゾクゾクしますな
コメント
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