まてぃの徒然映画+雑記

中華系アジア映画が好きで、映画の感想メインです。
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フタバから遠く離れて

2012-12-08 23:25:39 | ドキュメンタリー(は~わ行)

福島第一原発から20㎞圏内に全町が入る双葉町は、被災地の自治体の中で唯一県外に集団避難した町である。埼玉県の廃校となった騎西高校の校舎で、避難生活を続ける人たちを追ったドキュメンタリー。

桜の咲く4月、双葉町の町民1000人以上が騎西高校で集団避難生活を送っていた。一つの教室に数十家族が暮らし、プライバシーなんてものはない。食事は弁当やパン、おにぎりの配給で、高校の周囲にはお店がないから避難所ではやることもなく煙草を吸ったりテレビを見たりするだけ。若い家族は自分たちで避難したのだろうか、避難所には年老いた家族が目立つ。

町長のインタビューでは、失ってみて初めて気づくそのものの大きさ、ほんの数十年の雇用と交付金と引き換えに、何百年も昔からの先祖伝来の土地を離れなければならなくなって、もう二度と戻れないかもしれない、という悔恨の表情がありありと出ていました。

天皇皇后両陛下が避難所を慰問されるシーンは取材カメラがNGだったのでしょう、避難住民がビデオで撮影したであろう映像提供のため画質は悪いものの、両陛下が膝をつかれて避難住民と話されるシーンが印象的でした。海江田大臣(当時)の事務的な訪問とは全く違い、対比するのも失礼です。

原発立地自治体の集まりである全原協の幹事らしい、敦賀市長の見た目と雰囲気にはぶったまげました。堅気じゃないと紹介されたら普通に納得してしまいそうな、本物のヤクザ顔負けのふてぶてしい面構えをしています。敦賀市民はよくもまあこんな人物を市長に選んだものだ、と驚きです。

時がたつにつれて、避難所での集団生活から、騎西高校の近所のアパートやいわき市内などに転居する家族も出てきました。借家だと仮設住宅扱いで家賃が出るらしいが、家財道具は自分で揃えなければならない。東京電力からの一時見舞金100万円を家財道具に使った人も多いという。避難所の騎西高校を出ればお弁当の支給はなく生活費もかかるが、生活を再建するために出ていく人も多い。結局避難所に残るのはますます年老いた人ばかり。

政府の避難指示に従わず、現地に残った酪農家もいる。売り物にならないと分かっていながらも牛たちを見捨てられない、そして原発を推進してきた責任を追及していきたい、と留まることを選んだ。避難した酪農家の牛舎ではミイラ化している牛が残酷で哀れ。

避難区域の一時帰宅が許可されて、数か月ぶりに故郷に帰る人たち。放射性物質を防ぐための合羽を着て、体育館で番号で呼ばれてバスに乗る。避難区域に向かうバスを見送る東電社員は最敬礼だ。震災以来初めて戻った自宅は地震で倒れた家具もそのままで、何とか思い出の品を探し出してバスに戻る。津波に全てがさらわれた地区では、自宅の基礎、そして母親の遺体が見つかった場所に花を手向けて祈るだけ。復旧以前の被災地の状態に言葉がない。

夏、「双葉を返せ」と霞ヶ関や永田町をデモ行進する町民たち。国会議員によろしくと声をかけるが、本音では少なくとも自分たちが生きてる間は帰れない、と悟っている様子。

少しずつ、騎西高校から被災者たちは出ていくが、それでもまだ100人以上もの人がいる。そして全原協の会議の場、海江田大臣と細野大臣は冒頭に挨拶だけしてそそくさと公務を理由に立ち去る。この逃げっぷりも見事なら、双葉町長が原発を受け入れた反省を切々と訴えている間、事務局席で腕組みして素知らぬ顔でふんぞり返っていた敦賀市長も感覚が麻痺しているのか、何も考えていないのか。

上映後には、舩橋監督と同じ被災地の南相馬市に滞在してドキュメンタリー『相馬看花』を撮った松林監督との対談があり、興味深い話が聞けました。敦賀市長が右翼みたいだとか、完全に他人事だと思っているから腕組みして聞いていられるんだということ、海外で上映すると必ず聞かれるのが、全原協の会議で海江田大臣と細野大臣が挨拶だけして帰るのを見て、彼らは何をしに来たんだ?というもの。

放射能との距離の取り方、というのも興味深い切り口でした。人類がコントロールできるのかできないのか、他の自治体はコントロール可能だと思ってせいぜい県内で避難しているけれど、双葉町はどんな影響がどのくらいあるかわからない、ということで一気に埼玉まで避難した、というのが放射能の前に人類は無力だと考えているかどうかの差なんじゃないか、とのことです。

どうやって舩橋監督が被災者の人たちと関係を築いたのか、ということでは、喫煙所で仲良くなり、その中のひとりが手持無沙汰で作っているどんぐり細工の撮影をするために中に入ったのがきっかけとのことでした。取材お断り、の貼り紙がしっかりとあったから、その内側に入るのにはしっかりとした信頼関係が必要なのでしょう。

まだ避難生活は続いているし、撮ろうと思えばいつまででも撮り続けられる題材だろうけど、映画としてまとめて世に出すきっかけは、野田内閣の「収束宣言」だったそうです。政府はもう原発事故は終わって後は東電が原発を処理するだけみたいに言っているけど、いやまだ何も終わってないぞ、まだまだ避難生活は続いているぞと世間に訴えるために、このタイミングで映画にしたそうです。

松林監督の『相馬看花』と構成はよく似ているみたいで、1時間過ぎたあたりに一時帰宅のシーンが入るところも同じだと言っていましたが、同じ題材を扱って時系列で構成すれば、そんな感じになるのかな。松林監督は、南相馬で被災者と一緒に避難所で寝泊まりしていたそうだけど、自分自身の内部被曝を考えてある程度で切り上げて映画にしたと言っていました。

一時帰宅の現場では、東電社員が被災者たちのお世話をしているわけだけど、被災者に文句(嫌味?)を言われたり、バスに最敬礼をしたりしながらも、取材をしていて現場の社員は一生懸命やっているのが伝わってきたそうです。日本の一般的な組織と同じように、本店の上層部は腐って使い物にならなくても現場はしっかりとまわっている、ということでしょうか。

原発事故から避難してきた人たちを撮っていますが、放射能の数字はほとんど出てきません。松林監督は、放射能に関する単位がころころ変わるので、後々見たときにわかりづらくなるから測定値は入れなかったと言っていました。昔はキュリーだの何だのいっていたのが、今はシーベルトやベクレルになって、この先もどう変わるかは分かりません。その上、測定値があったとしても、とくに低レベル被曝では危険かどうか判断がついていない、ということがあるようです。

当然長い取材だったので、使わなかった映像もたくさんあって、例えば文科省が子供の被曝限度を20ミリシーベルトと決めたときの抗議デモなんかも撮ったらしいのですが、全体の構成を考えて編集した結果、今の形に落ち着いたそうです。

5年後、10年後までもしっかりと原発事故の影響がどうなっているか、継続して確認しなければ、と思います。好評につき、2013年2月23日~3月15日までオーディトリウム渋谷で再上映が決定したそうなので、たくさんの人に見てもらいたい作品です。

公式サイトはこちら

10/18 オーディトリウム渋谷
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2 コメント

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TBありがとうございました! (uerei)
2013-01-08 20:57:28
TBのお返しが遅くなってしまいまして、申し訳ありませんでした。このドキュメンタリーにTBいただいて、とてもうれしいです。再上映されるんですね。より多くの人に見てもらえるといいですよね。
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uereiさんへ (まてぃ)
2013-01-11 23:24:19
コメントありがとうございます。
本当に、たくさんの人に見てもらいたい映画のひとつですね。
まだまだ被災地の復旧は道半ばで、原発事故は燃料棒の取り出しひとつ取っても、長い長い道のりが必要です。
マスコミが報道しなくなっても、しっかりと注視していきたいと思います。
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