『アクト・オブ・キリング』で描かれた1965年インドネシアの共産主義者大虐殺。本作はその時殺された被害者ラムリの弟アディが、今も同じ村に住む当時の加害者を訪ね歩き、その時のことを聞くという異色作。
「共産主義者だから殺した」「信仰心がない奴らだった」と語る加害者に、「ラムリって知ってる?」「僕はラムリの弟なんだ」と伝えると、「あれは仕方なかったんだ」「過去のことは忘れよう」と皆逃げ腰になり、一人として後悔や反省を感じる者がいない。
インドネシア社会では当時の加害者側が今も権力を握っていて、議員や村長になっている者もいる。当然、警察や軍もそちら側だろうし、学校教育でもあの事件は悪い共産主義者を鎮圧したもので、あの時殺された者の子供は警官や軍人、公務員にはなれないという教育を平気でしている。そういう社会だからこそあの虐殺は悪いことだったなんて言えないのだろうし、言ってしまったら却って身の危険を感じるから被害者側が口を噤んでいるのかもしれない。
加害者も心のどこかに疚しさを少しでも感じるからこそ、アディが弟だと告白すると少し態度が変わるものの、謝罪の言葉が出ないのは社会全体の雰囲気がそうさせるのか。自分の犯した罪を直視するっていうのは相当勇気がないとできないことだと思うから、「やったことが絶対的に悪なんだ」という認識がないと難しいのでしょう。
戦争で人を殺すことにも繋がる本質的な問題だと思います。
公式サイトはこちら。
8/13 渋谷シアターイメージフォーラム
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます