『ゆれる』や『ディア・ドクター』『夢売るふたり』の監督、西川美和が小説を書いていることをたまたま雑誌の書評で見て、終戦の日の出来事ということもあり読んでみました。西川監督の伯父の実体験を元にした作品だそう。
身体が小さく徴兵検査で第二乙種と判定され工場で働いていた「ぼく」にも、5月半ばにいよいよ召集令状がきて陸軍通信隊に入ることになった。1ヶ月あまりの大阪での訓練の後、東京の通信隊本部に転属し、モールス信号の練習に明け暮れていたが、7/27にアメリカの短波放送を受信するとポツダム宣言が発表されていた。その後広島と長崎に新型爆弾が落とされて惨状が伝えられる中、8/11から機密書類や通信機材の処分が始まり、8/14の夕刻に陸軍通信隊初年兵25名は解散となった。「ぼく」と益岡はまだほとんどの日本人が終戦を知らない中、ひと足早く故郷へ向かう東京駅5:25発の東海道線に乗る。。。
上空から米軍機の掃射を浴びたり空襲警報が鳴ったりと戦時下の描写こそあるものの、大陸や南方、沖縄といった最前線と比べると牧歌的とさえいえる3ヶ月の軍隊生活には、こんな戦争体験もあったんだと軽い衝撃すら受けます。確かに第二乙種の兵隊さんがどこに行くかといったらあまり体力など関係ない後方部隊であり、当然そこにも人員は必要なんだけど、これまでほとんどといっていいくらい脚光があたっていない部分だし、作中にあるように関係資料は終戦前に処分されたようだから、なかなか書きづらい部分なのかもしれません。
8月15日の玉音放送の前に、もう戦争が終わっていた兵隊がいたことも驚きですが、考えてみれば玉音放送をするにもその準備が必要なわけだし前もって知っていた人は案外いたんじゃないかと思います。ただ前日の夕方に部隊が解散までしたのは、現場の温情だったのか上層部の隠蔽工作の一環だったのか、不思議といえば不思議な措置です。
『夢売るふたり』の撮影が始まる前、ちょうど震災の時期にこの小説を書いていたというのも不思議な因縁だと思います。8月15日と3月11日、日本の大きな転換点をまさにその時に書く、そのこともまたこの作品に独特の肌触りを与えている気がします。