松本健史の「生活リハビリの達人」になろう!

超高齢社会の切り札「生活リハビリの達人」になる!講師・原稿依頼は matumomo@helen.ocn.ne.jp まで

講座に参加されるみなさんへ少し長い手紙を書きました

2013年10月11日 | Weblog

10月20日(日) 大阪にて介護現場実践の認知症ケア学習会を開催します。 場所:大阪府私学教育文化会館 主催:関西看護出版

http://www.e-kaigonavi.com/freeseminar/products/detail.php?product_id=7981&cate=175

まだ席がありますので、興味のある方はぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。聞いた次の日から役立つ、認知症ケアのアイデアが満載です。

今回参加してくださる皆さんに、手紙を書きました。会場で配ります。ブログにもアップしておきます。これを読んで行ってみようかな?と思っていただけるとうれしいです。今の医療について感じる疑問、認知症ケアに見え隠れする不安、そんなものを言葉にしてみました。

ぜひ読んでみてください。

この研修をうける皆様へ ごあいさつに代えて

ボケを測定しようと近づいてくる人に誰が心を開くでしょうか?

みなさん、ご参加いただき大変ありがとうございます。本日は、認知症ケアについての講座です。私は今、近代に発展した医療について、大きな疑問を抱いているのです。

哲学者ミシェル・フーコー(1926-1984)は「診断」はとても危険なものであることを見抜いていました。認知症のケアにも関係することなので、まずは「診断」について考えてみたいと思います。近代医療には、とても暴力的な側面があります。古くからの医術にはない役割が与えられたからです。その役割とは症状を分類し、命名する「診断」です。疾患名がついていないものは医師が頭をひねって、疾患に名前をつけていきました。いわば疾患をつくりだしていったわけです。

「診断がついた」っていう言葉、なんか少し安心の響きがあるでしょ。

逆に「診断がつかない」「原因不明の難病」そんな言葉には、なんか不安で得体のしれないもの、という感じがしないでしょうか?

「診断」はそういう意味では現代人の安心のお守りとしても人気を得て、ちゃくちゃくと発展していくわけです。

でもその診断は「鬼っこ」でもあったのです。人を分類し、感染の危険、周りに危害を加えそうな患者は日常生活空間から外へ追いやる、あるいは一般社会からみえないどこかへ閉じ込める、そんな暴力的な側面も持ち合わせていました。

精神疾患では診断がついたら閉じ込める、という「治療」が横行しました。そして治療に携わる専門職はこう思っています。「閉じ込めてもいいんだ、だってこの人○○(精神病の病名)なんだもの・・・」

これ免罪符、ですね。

昔、日常的に町内にいた、「すこしおかしいカナ?」という人を今はあんまり見かけなくなりました。

あの人々はどこへ行ったのでしょうか・・・?

そうです。疾患名をつけられ、分類され、収容されていったのです。

僕は思います。今、認知症にこの風潮がないでしょうか?

認知症にも診断名があります。アルツハイマー病、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、ことこまかに分類する傾向にも注意が必要です。

なんせ診断がつくと周りは安心します。安心だけならまだいいけど、「この人、認知症だから」と線が引かれる。「施設の3階行き、決定!」なんて・・・。

この線が引かれることの精神的影響が、認知症状を落ち着かせるどころか、火に油を注ぐことになっていないでしょうか?次の新たな「問題行動」へとつながってないでしょうか?

僕は思います。「ボケを測定しようと近づいてくる人にだれが心を開くか!」と。

自分に置き換えて考えてみてください。たとえばアナタが失恋したときに、なぐさめようと、近寄ってきた人が実は、噂にできるネタ集めをしていた。そんなときどう思います?心が開けますか?

そんな人より、一緒に泣いてくれる人に心を開きますよね。

あと、次の人を紹介してくれる人に心を開きます(笑)。

認知症を悪化させないためには、線を引かず、どうしたらコミュニケーションが維持できるか、この人にこの「役割」をしてもらったら落ち着いて過ごしてもらえないだろうか?周囲の人がそんな気持ちでいることが安心感につながるはずです。そんな試みを本講座ではたくさん紹介していきます。

よくチマタで認知症の勉強会などをするとき、まず疾患の分類、中核症状、周辺症状って勉強しますよね。あれにちょっと違和感を感じていたんですが、謎が解けました。人を診断して安心したい、線引いて隔離して安心したい、という近代医療のお決まりのコースに違和感を感じていたわけです。医療側がいくら安心してもいけませんね。だって認知症を患った方こそが不安でしかたないはずなのですから。そして僕らも実は心の中ですごい不安をかかえることになります。なぜなら、いつか線を引かれて、あっち側に分類されるのでは?と感じてしまうからです。みんなが不安を抱える空気を医療がつくりだしているとするなら、ちょっと考え直さなければなりません。今回の研修では、そういったあっち側とこっち側のような線を引きません。コミュニケーションの取り方、力を引き出す介助法、居場所と役割づくりの関わり、そんな介護側からのリハビリアプローチをふんだんに盛り込んでみました。認知症の深さを診断するのではなく、今ここからできる、その人を中心としたコミュニケーションづくりを考えます。どうかしばしお付き合いください。


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