イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「会社員とは何者か? ─会社員小説をめぐって」読了

2018年08月18日 | 2018読書
伊井直行 「会社員とは何者か? ─会社員小説をめぐって」読了


タイトルを見たときに、社会学みたいな内容かと思ったけれども、この本は日本文学の棚の中にあった。「現代日本における凡庸な人生の代名詞」であるそのものを日本の文学作品はどのように表現してきたか。という文学論である。
著者によると、文学作品を通して日本人の大多数を占めるその凡庸な人々というのは一体何者なのかを考えた著作だそうだが、それにはあまり興味がないのでこの本に書かれていることを断片的に利用して、そして著者が最初に書いている、「サラリーマン」と「会社員」は異なるのだという見解から僕なりの会社員像みたいなものを考えてみたい。そこにはかなりの偏見があるということを先に断っておく。
ビジネスマンという言葉もあるが、これはこれでMBAの資格を持っていて財務諸表なんかを一瞥するだけで何もかもわかってしまう人たちということで僕には無縁の世界なのでこれは割愛をする。

サラリーマンと会社員どちらが会社に対する忠誠心が強いかというとそれは紛れもなく会社員だろう。サラリーマンは表現上、とりあえずサラリーをもらうために会社に行く人々という印象がある。拘束時間をお金に変換する作業を日々繰り返す。だから会社から指示されたことだけをやっている。会社員となるともう少し会社の利益のために貢献しなければと考えている雰囲気が出てくる。給料以上の貢献をしなければという義務感であろうか。

だから、サラリーマンには何か会社から搾取を受けているのではないかという猜疑心が感じられる。これは小中学校で社会主義にかぶれた日教組の先生たちの影響と、何事にも批判と叱責しかもらうことしかできなかったこれまでの社会人経験がそうさせているのであろうか。給料は安くても図体は大きいので世間的には大企業であるけれども、大企業で生きてゆくために必要な能力とは、「年上や権力に物怖じせず、でも生意気にはならずに、懐に入り込める力」だそうで、つい人の目を気にしてしまう小心者にはなかなか泳ぎづらい環境ではある。

しかし、サラリーマンも会社員も、人から、「職業は何ですか。」と聞かれたら、「サラリーマンです。」、「会社員です。」としか答えないというのは共通している。先生は「教師です。」と答えるだろうし、警察官は、「警官です。」とかなり限定的、専門的に答えるのとはかなり違いがある。サラリーマンも会社員も専門性がない。大企業であれば、どこの会社でも数年で人事異動があり、そのたびに携わる内容が変わってしまう。とりあえずそこの部署の流儀をまねているうちに時間が過ぎてゆくが、会社員とはそこでも何か新しいこと、貢献できることはないかと模索ができる人であるのかもしれない。
しかし、そこで自己実現というものをどう実感するのだろうか。売上が多くなってゆくことが自己実現なのだろうか。そうだとしても26年間売上が下降し続けている業界にいては実感どころではない。

そして、会社員(これはサラリーマンも同じではあるけれども。)とは会社での人生と家庭での人生のパラレルな世界を生きている。両者はほんのときたま交差することもあるけれども、基本的には交わることがない。小説の世界でも主人公の会社員の私生活と仕事生活の両方が詳細に描かれることがないように現実の世界でも家族は会社での人生を知ることはごく希であり、同僚が家での生活を垣間見ることもまた希である。まあ、家族に見ず知らずの横暴な中国人に衆目の中で土下座をさせられている姿を知られるというのも酷な話なのでこれは小説の世界と同じでもいいのではないだろうか。

仕事とは作業から抜け出してさらに半歩踏み込んだことを言うと新聞のコラムに書いてあったけれども会社員は仕事と作業の境目をどう考えているのだろうか。
先にも書いたが、搾取されているのではないだろうかというような疑念と、何か罵倒するネタなないかと探し回っているような会議の中で半歩踏み込むような勇気が湧いてこないと思うけれどもそれは僕だけの感覚なのだろうか。
それとも彼らは半歩踏み込んでいるふりをしているだけなのだろうか、それとも、ここにしがみついていないと自らのレーゾンデートルが消滅してしまうとでも思っているのだろうか。
ジブリの鈴木敏夫は「適当に」とか「要領よく」生きるのがいちばんだと言っているそうだが、それがいちばん難しい。本当はそうしたいし、なんとなくそうしているような気もする。しかし、このふたつの言葉というのはネガティブに捉えられるような言葉でもある。それを押し切ってうしろめたさを感じることなく生きてゆくには悟りなのか諦念なのかそういうものが必要になってくるけれどもその境地に立てるのはいつの日だろうか?そもそも、何かを成し遂げた人が言うと格好がよいけれども、そうじゃなければただの言い訳にしか聞こえなくなってしまう。

ただ、救いであるのは、そんな人間でもなんとか給料をもらえるような、よい意味で昭和の時代を残してくれている会社が存在しているということだ。
もう少しの間、パラレルな世界を生きてゆかなくてはならない・・・。
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