イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「黙殺  報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い」読了

2019年09月14日 | 2019読書
畠山理仁 「黙殺  報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い」読了

いつもニュースを見ていて不思議に思うのが、政治家の方々というのは、あれだけマスコミや街頭の人たちに悪口を言われてやっていてバカバカしくならないのだろうかということだ。不倫をしたり使い込んだりしましたとなるといろいろ言われてしかりだけれども、総理大臣までもいろいろ言われている。かの国では写真が踏みつぶされたり焼かれたり・・。
そしてもうひとつ不思議なのが国政選挙や知事選なんかに出てくる不思議な人たちだ。奇抜なかっこうをしたりとんでもない政策をぶち上げてほとんど得票することなく消えてゆく、いわゆる「泡沫候補」という人たちなのだが、おふざけをするにしても供託金を数百万も出してもったいなくないのだろうかといつも思うのだ。

この本は、そんな泡沫候補、この本では敬意を表して「無頼系独立候補」と呼んでいるけれども、そういう人たちがどういう思いで選挙戦に臨んでいるのかということを2014年と2016年の都知事選を中心に取材をしている。
2017年第15回開高健ノンフィクション賞受賞作なので、候補者をゲテモノ扱いしているというものではない。候補者たちの思いは、マスコミはどの候補者も公平に扱うべきだ。そして、すべての候補者は少なからず、世の中をよくしたい、不公平や不満を解消したい。この二点を広く知ってもらいたいという思いで戦っているのだということを読者に語っている。
前半はけっこう有名なマック赤坂への密着取材、後半は2014年16年の都知事選での無頼系独立候補者への取材内容という構成になっている。
朝日新聞の内部文書では大体、3ランクくらいに分けて報道するそうだ。当選が有力視される一般候補、とりあえずまじめなミニ政党などの準一般候補、それ以外の特殊候補。これには、売名や営利、自己のマニア的欲求を満足させるために立候補したと思われる候補者と書かれている。一般候補は頻繁にとりあげられて報道されるけれども、特殊候補にいたってはほとんど報道されず、ひとくくりで、「独自の戦いを繰り広げています。」なる。2016年の民放主要4局の泡沫候補に割かれた選挙報道はわずかに3%だったそうだ。

マック赤坂は同じ供託金を納めているにも関わらずそれは不公平だと奇抜なコスプレや有力候補者の街頭演説に割り込んでいくなどという奇策を案ずる。タレントやスポーツ選手などは知名度があるから何もしなくても十分目立つけれども、悲しいかな、それ以外の人たちはそうでもやらないと誰も振り向いてくれないのが今の世の中であり、制度であるそうだ。マック赤坂も、スーパーマンのコスプレで、「人は売名行為だというけれどもこうでもやらないとだれも自分の声を聞いてくれないのだ。」としみじみ言う場面が悲しい。

マック赤坂はロールスロイスを広報車に使うくらいだからかなりのお金持ちのようだがもっと知名度のない候補者たちはアルバイトで貯めた貯金を使い、また、サラ金から借金をしたり別荘を売ったりして選挙に臨む人もいる。それはひとえに今の社会に不満があり、少しでも世の中をよくしたいという様々な公約を掲げて選挙戦に臨む。それでも街頭演説ひとつしない候補者もいるというのが不思議だ。
この都知事選のころは東京オリンピックや築地市場の移転問題が話題になったころだ。その他、待機児童や最低賃金についてこれはもっともだという公約を掲げている候補者もいるけれども、恋愛特区を作るだとか、独身税、肥満税だとかいうようなトンデモ公約みたいなものも出てくる。ちなみに恋愛特区案はマック赤坂の公約だったそうだ。玉石混交というのも仕方がないとは思うけれども、それがあまりにバカバカしいものになってくると、無頼系独立候補はみんなトンデモ公約ばかりを主張していると思われてきてしまうのが悲しい。しかし、逆に考えると、こういう候補者たちは我々にもっと政治リテラシーを持ちなさいと言っているのかもしれない。そいう僕も、選挙公報なんてほぼ読まない。後々になって当選した知事が採用したと(いうかパクった?)思われる公約もあったということだからやはりすべてがトンデモというわけではなさそうだ。

どちらにしても、有力候補者の公約でも、それ、ほんとにできるの?お金はどうなるの?と思えるようなものもあるのだから、有権者はもっと政治に関心をもって世の中を見ないといけないと思うのだ。一般人が選挙に無関心だというのは制度にも問題があるらしく、立候補に必要な供託金は世界と比較して日本は突出して高いそうだ。これは戦前、共産党排除のために設けられた制度がそのまま尾をひているのだと著者は言っているけれども、そのほか、他国ではもっと選挙期間も長いそうだ。その間に有権者は候補者の考えをじっくり審査できるという。アメリカ大統領の選挙もそういえば1年間続く。最終の候補者は一人に絞られるが、じつは有名無名合わせて数十人規模で立候補しいているそうだ。それだけ門戸が広いということだ。そういうことは見習わないといけないのだろうなと思う。

しかし、人の上に立とうと志すものなら、品位も必要だろうと思う。全裸の選挙ポスターやスーパーマンのコスプレで尊敬を集められるわけがない。この前の参院戦でも人をバカにしたような政見放送があったけれども noblesse oblige という言葉を彼らは知らないのだろうか。それを見て投票する人間もその品位を疑われる。政治はその国の民度を表すそうだが、この国の民度はそんなところだろう。きっと。
ただ、この人たちの言葉がすばらしい。マック赤坂は、「自分が正しいと思ったことをしろ。やりたいことをやれ。そうすれば底に責任が生まれるし、逃げ道もなくなる。だからこそ真剣になれる。」供託金が270万円足らなかった候補は、「有権者はなぜ立候補しないのか。民主主義とか選挙制度って、これまでの人たちが命をかけて得てきたものです。これを守り続けるためには文句を言ってるだけじゃダメ。」たとえ勝ち目がなくてもそれを社会に身をもって示しているのだ。

そして、民度というと、2016年の都知事選に落選したあと、地方議会の議員になった人と国会議員になった人がいる。2013年にインターネットでの選挙運動が解禁されたことで世間ではもっぱら、その拡散力が民意を掬い取ったのだと評価されているけれども、はたしてそうだろうか、SNSの世界は極論がもてはやされる、とにかくセンセーショナルな言葉を打ち放てばみんな喜ぶ。そして何かひとつのものを叩けば叩くほど一部の人間は躍起になって喜ぶ。そして広がる。
おそらくそんな人はどこかで高転びをして消えることになり、それを権力に押しつぶされたというのだろうけれどもそれは品位の問題だとはきっと自覚しないのだと思う。

変なことをしないと目立たない。そして変な行動がすべてを変なものとして認識させてしまう。そしてまっとうな小さな意見は日の目を見ない。きっとこの国はそんなことにしかならなない国になってしまったのだろう。
著者はどんな候補者にもそれなりの思いがあるというけれども、どんな思いも好き勝手にやっていいわけではないと僕は思うのだ。
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