イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ミズノ先生の仏像のみかた」読了

2019年06月24日 | 2019読書
水野敬三郎 「ミズノ先生の仏像のみかた」読了

本書は、どの仏様がどんな姿をしているか、どんな持ち物を持っているかということの解説ではなく、時代の変遷とともに変化した表情、作成法、使われた素材というものをインタビュー形式で解説している。著者は、仏像美術史学者という肩書を持っている人だそうだ。

美術品として仏像の様式は、鎌倉時代の運慶や快慶のころから以降は大きな変化がないそうだ。たしかに、江戸時代の仏像で、「これはすごい。」というものを聞いたことがなく、奈良や京都の仏像が紹介されることが多いのは、その後はあまり大きな変革というものがなかったからだということがわかった。話題に乗せようとしても大きなトピックスになるものがなかったということだから僕みたいな知識がまったくないものには触れる機会がなかったのは当然だ。

日本で造られた仏像で最古のものは法隆寺にある釈迦三尊像であるのだが、お顔を拝見している(写真でだけだが・・)とどうもアンバランスな感じがしていた。これは僕の思い過ごしではなく、仏像のデザインがガンダーラから東に伝わっていく過程でそれぞれの国の人々の顔の特徴を取り入れながら少しずつ表情が変わってきたのだが、それが日本に伝わったとき、鼻梁のはっきりした形やガンダーラ風のアルカイックスマイルの口元の表情が残ったけれども、目は日本人っぽく造られたというのがあのお顔だそうだ。西洋人は二重瞼の人がほとんどだが、日本人は一重まぶたの人が多い。法隆寺の仏様も一重まぶただそうだがそういうところにどうもその原因があるようだ。それでもやはりその荘厳さになんのほころびもないのだ。
その後、日本の国では様々な時代背景を経て定朝様ひとつの完成を見せることになる。丸みを帯びた輪郭とふっくらとした体つきは平和な時代と極楽浄土の世界を体現した。
時代は武士の時代になり、質実剛健さが加わる。そして密教では憤怒の像が加わりここで日本の仏像のデザインは固定され、のちの時代は円空仏のようなものを除いてはほぼすべてどの時代かのデザインを踏襲するようになる。
おおまかだが、こんな歴史があるそうだ。

その中で、定朝の時代の前、世の中の災いは怨霊や呪詛、疫神の仕業であり、そういう恐ろしい存在を鎮めるために厳しい表情の仏様が現れる。

僕は定朝よりもそんな表情の仏様に魅かれる。やはり仏様には世の中を厳しい目でみていただいてそして僕をそんな世界から救い出してほしいのだ・・・。
コメント   この記事についてブログを書く
« 加太沖釣行 | トップ | 双子島沖釣行 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

2019読書」カテゴリの最新記事