イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「江戸前の素顔―遊んだ・食べた・釣りをした」読了

2018年07月05日 | 2018読書
藤井克彦 「江戸前の素顔―遊んだ・食べた・釣りをした」読了

いつも粋な言葉に聞こえる、「江戸前」とは何かということと、どんなところであったかということをつり雑誌の記者をしていた著者が考察している本だ。

著者は、「身がそっくり返らないような魚は捨ててしまえ。」というような環境でそだった。だからなおさら、江戸前という言葉にこだわりがある。
いま、江戸前というとすぐに鮨を連想する。そして、ネタに使われる材料というのはなんとなく東京湾全体から水揚げされた魚介類だと想像するけれども、本当の江戸前というのは、江戸川から隅田川、広くても多摩川の河口の間のごくわずかな水域を指して使われた言葉だそうだ。それだけの面積で江戸の100万人の胃ぶくろを支えることができるほど豊穣な海であった。
浦安や神奈川の三崎で水揚げされた魚は江戸前の魚とは言えないのである。
しかしながら、もっと以前、“江戸前”というとうなぎの蒲焼に使われた言葉が最初だったそうだ。それが、うなぎの需要が増えてきて他所からの材料を使わなければならなくなってくると、“江戸前”という言葉を使いづらくなってきて、いつの頃からか、鮨の接頭語になっていったという。
そう言えば、今年はウナギが高くて代用品が注目されているらしい。生粋の江戸っ子が聞いたら怒り狂うのではないだろうか。

そして江戸前という言葉は産地偽装を防ぐ意味でもあったと著者は考える。防ぐ理由はふたつ。ひとつは鮮度の保障だ。冷蔵技術がほぼなかった時代、都会の目の前で獲れる魚は他所から入ってきた魚(これを「旅もの」と言ったそうである。)よりもはるかに鮮度がいい。もうひとつは脱税対策だ。江戸前の中心地、佃島の漁師は将軍家に白魚を献上する役柄から租税の免除を約束されていたそうだ。あっちから来たもの、こっちから来たものをみんな江戸前と名乗らせてしまうと税金を取りっぱぐれてしまう。だから厳格に範囲を決めてそこの漁師が獲ったものを江戸前と名乗らせた。
なんだかこれはかなり説得力のある理由のように思う。
そのほか、上方の食文化に嫉妬した江戸の人々が俺たちも負けてはいないとこの言葉を使ったという説もあるそうだ。なんといっても、京や大阪からやって来るものは、“下がりもの”と言われていたそうだからそれは嫉妬もするというものだ。

キス、カレイ、ハゼ、フッコ、そしてボラなど、浅い砂地の海域ではそれほど多くの魚種はないけれも文献を見る限り、それはそれは大量の水揚げがあったようである。明治から昭和ひとけたの頃まではアジ、サバ、真鯛、ほか日本で一番の水揚げを誇っていた魚種はかなりの数に上っていたようだ。
十数年前、東京へ、出張と称してよく出かけていた頃があったが、羽田空港からモノレールに乗って車窓から見える景色がまさにその江戸前であるけれども、護岸だらけで真っ黒い水を見ていると、かつてそんな豊穣な海が広がっていたということがまったく想像できない。わずかに屋形船や乗合船が停泊しているのをみるとああ、そういう文化があるのかと垣間見るだけである。
僕の港の水も夏になるとどこまで汚いのだと思うほどであるけれども、少し沖に出てみるといろいろな魚が遊んでくれる。新しい釣りを覚えるたびに釣れる魚種も増えてくる。

そう思うとまだまだ捨てたものではないと思えるのだ。



著者は釣り雑誌の記者ということで、江戸前とは関係ないけれども、釣りに関する面白いエピソードがいくつか書かれている。

アオリイカについて、
薩摩の国ではアオリイカ釣りが賭けになっていたそうで、その賭けに勝つために武士や豪商はエギを作る職人をかかえていたそうだ。今でも数百万単位のお金が動く賭けが行われているという噂があるらしい。

和竿について。
東作というと、僕も知っている江戸和竿の名門だが、初代東作は紀州徳川家の下屋敷詰めの武士であったそうだ。武士という堅苦しい肩書を捨てて竿師になったというのだからうらやましい。

脈釣りの語源。
医者は患者の腕を直接つかんで脈を取るけれども、高貴なお方だとそれがはばかられるのでそんなときは患者の腕に糸を巻いてその端をつかんで脈をとったそうだ。これを「糸脈」というそうだが、ウキを使わずにアタリを取る方法がこれに似ているというので脈釣りとなったとか。

雑賀崎の漁師。
房総勝浦に真鯛釣りを伝えたというのは有名な話で、それはビシマ糸をつかった釣りだけれども、そこで尊敬されていたのかというと、ひと通り技術を吸収した地元民からやっかいもの扱いされ、となりの大原に移住をよぎなくされたそうだ。

ボラ釣りについて。
著者がボラ釣りをしていると、「ボラ釣りだけはやめておけ。」と、とある老人から声をかけられた。その老人は、かつて、毎日のようにボラ釣りに通い、店も家族もなくしてしまったという。お金がかからないので毎日でも遊べる(ぼらの引っ掛けをやっていたらしい。)から最期は身を持ち崩してしまう。
船の釣りはお金がかかるからそれほどはのめりこめないからそっちび転向しなさいと言われたそうだ。
う~ん。奥が深い!
ぼくもそう言えば、ボラ釣りからのめり込んでいったんだよね~。



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