イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「人類が消えた世界」読了

2019年02月05日 | 2019読書
アラン・ワイズマン/著 鬼澤 忍/訳 「人類が消えた世界」読了

タイトルを読むと、なんだか空想科学もので、想像上のクリーチャーが地上を跋扈している姿を描いたものを想像するけれども、その内容はもっとクリティカルだ。大きなテーマは環境破壊だ。この地球上から人間を突然排除した状態を想定して、地球の環境が、人類が科学文明を興す前の状態になるまでにどれだけの時間がかかるのだろうかというその長さを尺度にしてどれだけ人類が地球環境に悪影響を及ぼしてきたかということを浮き彫りにしようという内容だ。

コンクリートや鉄骨の建築物はまだかわいい。長くても数万年もすればほぼすべて自然界へ元素というかたちで還元されてゆく。木造建築はなおさらだ。地下鉄などの構造物は砂や水に埋もれてしまい、酸化による崩壊は免れるかもしれないが、人類の文明が発達している中緯度地域までは氷河の成長によって地表ごと削り取られ、細かく粉砕されてしまう。それを脱がれたとしても、ほとんどの場合は数千万年の地殻プレートの動きによってマントルの奥深くに吸収されて地球に戻ってゆく。
人間に囲われていた家畜たち、その影で勢力を奪われた動物たちも本来の姿に戻ってゆくかもしれない。そうして人類が残した爪痕は地上から少しずつ消え失せてゆくのである。

この本ではすでに元に戻りつつある世界の場所をいくつか紹介している。キプロス島、マンハッタンの鉄道跡などがそういった場所であるのだが、人がいなくなり、建物が崩壊してゆく速度の速さというのは以外と早い。むしろ、古代の天然石で造られたもののほうがはるかに長い年月を持ちこたえることができるというのが皮肉でありまた、どれだけ不断の努力をしながら人間は自然に抗っているのかということを物語っている。

そして、人間が作り上げた巨大建造物、例えばパナマ運河、英仏海峡トンネル、そういったものは人間が管理をしなくなるとどんなプロセスを経て崩壊していくのか、そういったことも書かれている。朝鮮半島の38度線は逆にDMZ(軍事休戦ライン)として真っ先に人のいない環境が出来上がり原初の世界を取り戻しつつあるというのは皮肉なものである。

しかしながら、もっともやっかいなものは化学物質だ。プラスチックはほとんどが炭素と水素の重合体であるけれども、現在のところ、様々な種類のプラスチックをその元素レベルまで分解してくれる微生物は地球上には存在しない。海に流れ込んだプラスチックは波にもまれるうちに小さく粉砕される。すでに問題になっているマイクロプラスチックである。これは海がある限り海水の中を漂い続け永久に海洋生物に悪影響を与え続けるのだ。また、PCB、ダイオキシン、フロンなども同じように分解されることなく生物の体を蝕み、はたまたオゾン層の破壊による紫外線の増加を引き起こし環境に悪影響を及ぼす。

放射線も同じだ。核兵器や発電所は維持電源の消失や外殻の劣化などで放射性物質が大気に放たれると、当然のことながら環境は汚染される。半減期を繰り返しながら自然界の放射線レベルまで落ち着くには数十万年~数億年、地球が寿命を迎えるまでずっと残り続ける元素もあるらしい。
この本は2008年に書かれた本なので福島のことは取り上げられていないけれども、放射能汚染で人がいなくなり、広大な街が自然に飲み込まれていく姿と、その中で放射線がどのような影響を及ぼしているのかということは人間が消えた後の世界を予測するために、悲しいけれども格好のシミュレーションになってしまったのではないだろうか・・。

これを読みながら、魚釣りを愛好する身としては非常に肩身が狭い思いをしてしまうのだ。海の底に引っ掛けて落としてしまうナイロン糸や鉛の錘はいかほどの量になるのだろうか。ナイロン糸は陸の上では鳥の足に絡まり、海の底では海草の生長を妨げる。鉛は海水に溶け出すことはないのだろうか・・。真鯛を釣るビニールの疑似餌は魚のお腹の中に入って死に至らしめることはないのであろうか・・。万が一それを免れたとしてもマイクロプラスチックと化して永遠に海中を漂う。船の底に塗る塗料も銅イオンを含み環境にはよくなさそうだ。

しかし、少しずつでも地球はそれを吸収しながら元の状態に戻ろうとするだろうが、ほぼ人間がかかわったことが原因であるのだろう、途絶えてしまった種というのは未来永劫復活することはない。

人間も自然の一部なのだから環境に変化を与え、また利用して種を存続させてゆくのは当たり前だと考えることもできるけれども、それも度を越してしまうと環境保護に熱心なエイリアンからは、“星を汚染し破滅に導く不要な炭素体ユニット”して認識されて、本当にこの本のように地球から突然抹殺されてしまうのかもしれない。
じゃあ、どこまでが許容範囲なのかというと、日本には「里山」といわれる環境があるけれども、まあ、やりすぎてもそこまでじゃないだろうかと思うのである。

最後の章では、そもそも人間が消えてしまうことがあるのだろうかという疑問に対する現状が書かれている。
恐竜が絶滅した確かな理由としては巨大隕石の衝突が上げられ、それ以外にも過去数回の地球上の生物の大量絶滅の原因は同じものであった。しかし、NASAは事前に地球に衝突しようとしている小惑星を把握できるまでになっている。2018年には実際に軌道計算をして落ちてきた隕石のサイズと位置をきっちり割り出すことができたとテレビのドキュメンタリーでやっていた。だから、これから先、隕石の衝突による環境破壊で人類が絶滅することはなさそうだ。環境汚染やパンデミックでもすべての人類が消えることはない。99.99%の人類が消えたとしても5万年あれば元の人口に戻るという計算もあるそうだ。
意思をもつコンピューターに支配され抹殺されるというストーリーは信憑性がありそうだが、実際、自己増殖してかつ意識を持った機械というのもなかなか完成しそうにない。
人類自ら消滅への道を選ぶという選択をするというのはどうだろうか。それこそ、人体を捨て、シリコンウエハーの中に意識を移してしまうであったり、「自主的な人類絶滅運動」というなんだか怪しい団体もあるそうだ。
まあ、これもなかなか現実味はなさそうなのでやっぱり人類はしたたかに生き残っていくようだが、著者は、今のままでは人口が増えすぎてしまうので世界規模で産児制限をしなければならないと言う。具体的には生涯に女性が産む子供の数をひとりに制限せよというのだが、これはあまりにもエキセントリックすぎるのじゃないだろうか。
こんなことをしようと思うと、全世界統一独裁国家が成立しなければならない。と、いうことは人間は自由な生き方をし続ける限り、永遠に環境を汚染し続けるという結論になる。
世間でどんなに環境を守ろうという声が上がっても総和としてはそれをとめられない。
なるほど残念だがわかる気がする。

これから30億年くらい後には太陽は終末期をむかえ、赤色巨星へと変貌してゆき、地球の軌道を飲み込むそうだ、そのとき、人類はどうやって生き延びているのだろうか。
恒星間へ出て行くにしても、地球自体を動かして赤色巨星から逃げ延びるにしても、超絶した科学技術が必要だ。そのために環境を破壊し、生物の覇者として君臨し続けなければならないとしたら皮肉なものだがそれも致し方ないのかもしれない。
それとも著者の言うように、人類が生きた証として地上から発せられた電波が永遠に宇宙空間を漂うだけなのだろうか・・。

どちらにしても僕が心配することではないのであるけれども、ちょっとだけ気になるのである。
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