イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「 テクノロジーとイノベーション―― 進化/生成の理論」読了

2018年05月30日 | 2018読書
W・ブライアン・アーサー/著、 有賀 裕二/監修、 日暮 雅通/訳 「 テクノロジーとイノベーション―― 進化/生成の理論」読了

テクノロジーは進化するというお話で、よく考えてみれば当たり前でもある。
それを細かく分析してみようという試みの内容である。
前回読んだ本では、知性は単純な反応が複雑に絡み合って出来上がってきたものだという論調であったように思うけれども、この本では、テクノロジーの進化は単純なテクノロジーと単純なテクノロジーが癒合して新しいテクノロジーが生まれることを繰り返しながら複雑になってきた。そしてその単純なテクノロジーは必ず自然現象を利用して出来上がっている。と書かれている。
自然の中から生まれてきた。そして単純なものの複雑な組み合わせというところでは知性とテクノロジーは共通したロジックで進化をしてきたように思う。そして、知性もテクノロジーも「目の前にある問題を解決するためのものである。」という定義からするとさらに似通っている。コンダクターが自然世界であるか人間であるかというところは大きな違いがあるけれども、それは数億年と百数十年という時間の違いだけだとしたら、ゆくゆくはテクノロジーはひとり歩きをして進化を始めるのだろうか。
シンギュラリティとき言葉がセンセーショナルに取り沙汰されている一方で人工知能に人間が支配されることは絶対にないという意見もあるそうだが、やはりテクノロジーが進化を続けていると、知性を持ってくるのだろうか。そしてそのときには人間の敵になってしまったりするのだろうか。

話は変わるが、先日NHKで放送していたドキュメンタリーでホモサピエンスとネアンデルタールの話をしていた。よく言われていたのは、ホモサピエンスがネアンデルタールを滅ぼしたという話だが、そうではなく、家族単位の集団でしか行動をしなかったネアンデルタールに対して、ホモサピエンスは家族単位を超えた集団で生活をすることができた結果、気候変動に耐えて生き残ることができたらしい。殺し合いをするような衝突はなかったそうだ。
集団で生活を続けるとたくさんの知恵が集まる、そしてそれは原始的な世界でもテクノロジーの発達を促し、石器の形がほとんど進化しなかったネアンデルタールに対して用途別に進化した石器やアトラトルという槍を遠くに飛ばす発明は食料の確保を容易にした。このアトラトルという発明は画期的であったらしい。家族単位以上の集団生活を支えたのは宗教であったそうだが、しかしながらそれはまた同士で殺し合いをする原因にもなったというからそれは悲しいことである。

そうやって地球上に残ったテクノロジーを持った知性は1種類だけなのであるけれども、これがこの世界の必然であるのなら、さて、どちらが残るのであろうか・・・。


これから先の究極のイノベーションというのは宇宙に出て別の星まで行ってそこで生活をすることだと思うけれども、おそらくそのためには重力を操ることができなければならない。テクノロジーは自然現象を利用した単純なテクノロジーの集合だというけれども、重力を操るための前段になる単純なテクノロジーとはいったいどんなものなのだろうか。今でもその芽は出ているのか。それともこれから出てくるのか。そんな時代に僕は生きているわけではないけれども、重力の力で自ら作った空間ホールに落ちるようにして光速を超える人間の姿はぜひ見てみたいものだ。そんなものまで人間は作り出すことができるところまで行けるのだろうか・・・。

著者は科学者ではなくて経済学者だそうだ。経済もテクノロジーが組み上げられたものだという。それならどこまで組み上げられると予測できるのか聞いてみたいものだ。光速を超える旅ができるほどまで・・・。

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