イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「神様 2011」読了

2018年05月02日 | 2018読書
川上弘美 「神様 2011」読了



直近で数冊、東日本大震災の前後に書かれた本を読んだのだが、この本もそんな本だ。
ただ、かなり変わっている。2編のごく短い短編で構成されている。
1編は「神様」というタイトルで、1993年に書かれた。そしてもう1編は、「神様2011」というタイトルだ。これは2011年の春の盛りを迎える前には書かれていたそうだ。
ストーリーは両方ともほぼ同じで、隣に引っ越してきたすごく気配りの利くクマと主人公である「わたし」の何気ない1日が書かれている。とある日、そのクマとふたりで川へ散歩に行くというものだ。
神様という言葉は、最後のシーンでクマが言うセリフの中に入っている。「熊の神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように・・」。
「2011」のほうは原発事故の影響であろうか、通りすがりの人が防護服を着ていたり、クマが獲って干物にした魚が汚染で食べられなかったり、日記に被爆量が書かれていたりする。
さて、このクマが神様であったのだろうか、それともクマの神様は別のところにおわしたのだろうか。

著者は少し長いあとがきの中で、何気ない日常の中に異質なものが入ってくる。その日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性を持つということを、3.11を目の当たりにして感じ、以前に書いた「神様」をもう一度書き直したと説明していた。

ここで出てくる神様は西洋の神様のように唯一の神様ではなく、日本古来から続く八百万の神様たちだ。
筆者は問題になったウラン235もあるひとつの神様としている。その神様は本当は目覚めさせてはいけないものであったはずだが人は目覚めさせてしまった。
著者はその行為を自分自身に向けた怒りであると書いている。今日の日本を作ってきたのはほかならぬ自分自身であると言っている。


しかしながら読んでいてゾッとするのは、その異質なものが当たり前のように「わたし」の日常のなかに普通に組み込まれてしまっていることだ。
筆者も言う、この怒りをいだいたまま、それでもわたしたちはそれぞれの日常を、たんたんと生きてゆくし、意地でも、「もうやになった」と、この世をほうりだすことをしたくない・・と。
人間というのは、異質なものに対して抵抗はするけれどもそれがかなわないとわかるとそれに寄り添って生きる道を選ぶ。そんな生物であると聞いたことがある。例えは悪いかもしれないが、そうでもしなければ拉致被害者の人たちは20年以上も生き延びることができなかったであろう。

個人的には、長い人間の歴史と未来を考えると原子力エネルギーというものはおそらく、数千年、数万年以上人類が生き延びるためには自由にコントロールできなければならないテクノロジーのひとつなのではないかと思う。それらを利用して宇宙に出ることをしないと間違いなく人類はどこかの時点で滅びることになる。(地球は数十億年先には必ず老化して膨張をはじめる太陽に飲み込まれることはわかっている。)
しかし、ひとりの人間の人生の単位でみると、やはり異質なものは恐ろしいものであるとあらためて思い知らされる39ページである。
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