北尾トロ 「キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか」読了
この本は、「“小さな勇気”を出して日常の生活の様々なことに挑戦する。」というテーマのものだ。様々なこというのは、まったくしょうもないことでありながら、けっこう、たしかに小さくないほどの勇気がいるものじゃないかと思うものばかりだ。
たとえば、電車の中の迷惑な人に注意する。街や電車の中でひとりでいる人に声をかける。鼻毛が出ている人に、「鼻毛が出ていますよ。」と声をかける。母親に結婚前の恋愛観を尋ねる。高校時代の片思いの女の子に、「好きでした。」と告白する。
というような内容だ。アングラ雑誌の連載のための企画であったらしいが、ちょっと勇気を出せば胸のつかえが取れるかもしれないのに、何もしないまま死んでいくのは悔しいではないかと著者は言う。
確かにそうなのだ。僕もずっとそんな後ろめたさを引きずって生きている。それもとても小さなことに対してだ。たとえば電車の中の迷惑行為。ペチャクチャしゃべるうるさい女、体臭や口臭の臭いやつ。イヤホンからカシャカシャ音を出すやつ。通路に荷物を置くやつ。長時間の通勤ではそんなやつが横に座ったり横に立ったりされるとずっと苦痛が続くのだ。(座席に座っていて横に立たれると、音や口臭というのがちょうど僕の頭の上に直撃となる。)
そんな相手にはきちんと、「あなたは人に迷惑をかけている。」と言ってやれれば僕の心の中の後ろめたさや自分はなんと弱い人間なのだろうと思う悔しさが解消されるのだろうけれども、たまに我慢ならなくなっても相手を見てしまう。「こいつならケンカしても勝てるんじゃないか。」と思える相手にしかそれをできない。
赤の他人と話をする。これも難しい。またまた電車の中の話になってしまうけれども、ぴったり体をくっつけるほど近くに座っているけれども一言も口を聞かない。不自然と言えば不自然。たまに思う。このひとはどこへ帰ってゆくのだろう。今日は何をしてきたのだろうと。小さな勇気を出して聞いてみれば新しいコミュニケーションも生まれるのだろうけれどもこの国ではそっちのほうが不自然だ。
ただ、釣りに行くとちょっとそれが変わる。共通の話題があるからなのだろうけれども、どこから来たひとかとか、いつもどこで魚を釣っているかというわずかながらの会話が生まれる。知らない人と話をすることは自分の幅を広げることができるいい機会だ。
今、四国遍路の録画を見ながらこのブログを書いているのだが、ここではそれが当たり前の姿になっているようだ。これが人々を引きつける理由のひとつかもしれない。
知らないものどうしはお互い旅人同士。旅人は昔から様々なことをもたらしてくれる希人と言われるが、そうしたいと思うと小さな勇気がやっぱり必要になる。
人に謝る勇気。告白する勇気・・・。アングラ雑誌のフリーライターなどというと失礼だが、そんな人が書いた、おそらくは奇をてらったネタなのだろうけれども、子供から、「あなたはいつも逃げている。」とののしられるこの身にはこの小さな勇気が欲しいと思うのだ。
そう思って小さな勇気を振り絞って理不尽な客に対峙しているから、会社からは危ないやつだと警戒されて現場から外されてしまったのではないかしらなどと、力の入れるところが違うんじゃないかと後悔するのだ。
笑いながら、その裏でう~んと唸ってしまう1冊であった。
今日の休みも朝から雨だ。1週間前の予報では曇り、おとといの予報でも午前中はなんとか持つ感じで、昨日の予報でいきなり朝から雨になっていてそのとおり午前4時に起きてみると本当に雨が降ってきた。今日はタラノメを採りに行ってから加太へ行こうと思っていたのにすべての予定がダメになってしまった。ここでも少しの勇気を出して雨の中出撃すればいいのだろうけれどもやっぱりそんな勇気は出て来ない。
ずっとこんな調子で悔しさを噛みしめながら人生終わっていくんだろうな・・・。