イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「旅をする木」読了

2016年08月25日 | 2016読書
星野道夫 「旅をする木」読了

この本を読むのは3度目くらいだろうか。
そして、はじめてこの人の文章に惹かれる理由がわかった気がする。
「孤独」と「死」、そこからにじみ出てくる真反対の言葉「人とのつながり」、「生きる事の喜びと尊さ」そのヒリヒリとした現実感が迫ってくるのだ。

アラスカというところでは過酷な自然環境の中で生きてゆかなければならない。しかし、誰かに頼れるほどみんな余裕がない。かといってひとりでは生きてゆけない。ここでいうひとりでは・・というのはもたれ合うという意味ではなく、それぞれが別々に同じ困難に立ち向かっているという、同士のような共感のようなものだ。
彼らがいるから自分もがんばれる。そんなところであろうか。

そして、「死」についてはふたつの意味があるように思う。ひとつは過酷な環境で生きてゆかなければならないという死と隣り合わせの世界。もうひとつは生きてゆくためには何かを殺して食料にしなければならない。それは残酷ではあるだろうけれどもそうしなければならない。だからよけいに生きているということを実感せざるをえない。
そういったものを現地の人々との交流やアラスカの大自然の描写を交えて綴られてゆくのがこの本だ。

そんなヒリヒリとした現実感と引き換えに現代社会の人々は安全と安心を得たように思える。しかしそれもつかの間の安心で終わってしまったかのようだ。安心はどこかへ行ってしまい、ヒリヒリとした現実感の代りに真綿で首を絞められるような、水に濡れた絹の布を口に押し当てられているようなそんな息苦しさを感じているのは僕だけだろうか。

僕たちの世代は、「ゆでガエル世代」と最近では言われているそうだ。
社会人になってまもなくバブルが崩壊してその後もITバブルの崩壊、リーマンショックなど不況の波がやってきた。
しかし、好景気の時期を知っているがため、また、その上の世代の人たちは無難に定年まで勤め上げた姿をみていたことで、それでもなんとかなるのではないだろうかと思いながら50代を迎えてしまった。楽観的な幻想を抱いてきたのだ。
その間にも景況は悪化し企業もみんな厳しくなった。人事制度も変わり、年功序列が崩れ成果主義、そしてもっと厳しくなり、ウチの会社も採用を始めたが職務等級制度などというものまで現れ、気づかない間にものすごく厳しい時代になってしまった。
ぬるま湯の時代を長くすごしていて、いつの間にか熱湯のような時代に気づくことができないでいたのでゆでガエルなんだそうだ。
すべての同世代がゆでガエルだとは思わない。自己顕示欲が強くて上昇志向も強い同世代もたくさんいるのでそれは個人の問題かもしれないが、「これって僕?」と思えてくる。

50歳も過ぎると大体先が見えてくるし、この業界も厳しくてそれでもなんとか逃げ切れるのだろうとたかをくくっていたが、それもどこまで維持できることやら・・・。
職務等級制度というのは仕事のできる人にはそれなりのポストと収入を約束してやるが、それ以外の人間はそれなりの仕事とそれにみあう収入しか与えないというものだ。それなりの仕事はいいのだが、収入となると・・。
自分がどんな評価を受けているのか本当のところがわからない。血のにじむような努力をしていないのは確かなことなのでいつかどこかで逃げ切れなくなるのではないかという不安はつきまとう。
残業が多いほど評価が上がるのなら僕は失格だ。やることはやって(やってなくても)一時でも早く退散したいのが昔からで、入社当時、新人類といわれた世代の典型的な形でもあったのだ。休みは休むのが当然と思っていて、それがダメなんだと言われてしまうともうダメだ。小さいころから養われている価値観を今さら変えることはできないし、今さら変えたとしてももう遅い。


著者は26歳から18年間アラスカで暮らし、1996年8月8日にヒグマに襲われて亡くなった。奇しくも著者が無くなってちょうど20年目の同じ月にこの本を読み返しているのも何かの導きだったのだろうか。
この本を読み返してみようと思ったのは、今年の春ころ、「旅をする本」というBSのドキュメンタリーを見たからだ。著者の「旅をする木」の表紙の「木」の中棒に横線を1本引いた誰かが、「この本に旅をさせてあげてください」というメッセージを添えたことからたくさんの人々の手を渡ってこの本が世界を旅することになる。その旅を追った番組だった。
そこにもそれぞれの人々のヒリヒリとした人生があった。すべての人が過酷な自然と人生の運命に対峙したドキュメンタリーだった。
そして僕が読んだこの本、古本で買ったのか新刊で買ったのかは定かでないが、ところどころに青いインクで印が付けられている箇所があった。例えばこんな文章。
友人の死、「それがつかめないと前へ進めなかった。一年がたち、あるときふっとその答えが見つかった。何でもないことだった。それは「好きなことをやっていこう」という強い思いだった。」
「バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人の出会いとはつきつめればそういうことだろうが・・・」

一体誰が付けたのか。この本は僕の息子も読んでいるのは間違いがない。彼が付けたのか、それとも古本屋に売り飛ばした前の持ち主が付けたものなのか。息子に「君が印を付けたの?」なんて野暮なことは聞くことはないが、この本も間違いなく小さいながら旅を続けているようだ。
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