イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「夫 開高健がのこした珱」読了

2010年04月13日 | Weblog
牧羊子夫 「開高健がのこした珱」読了
古本屋を覗いていて、時たま、お~、見つけた~。と思う本がある。
この本もそのひとつだった。
開高健の奥さんが作家の思い出を書いたものだ。
しかし、作家について書かれた部分はほんの3分の1ほどで、あとは書評であったり普通のエッセイであったりだった。
おまけに文章が難解だ。よくわからない。タイトルの「珱」いう字もずっと桜だと思っていた。開高健が生前に庭で桜を植えていてそれを見ながら思い出話を書いているのかと思っていたのだ。(考えてみると開高健というひとは花見なんかするような人ではないのだが・・・。)よく見ると木へんではなく、王へんだった。
実際は「よう」と読むらしいが、意味は皆さんで調べてください。普通なら一生お目にかからない文字ではないだろうか。こんな調子で文章が書かれているのだ。

昔、白州次郎の奥さんの白州正子が書いた次郎の回想録を読んだがやっぱり自分のことしか書いてなかったのでがっかりしたことがあった。
牧羊子もかなりな才女だったようだが、こんなひとが亡き夫の回想録を書くとこんなになってしまうのかもしれない。
確かに、こんな才媛が家にいたら息苦しくて家から出たいと思うだろうな。だから開高健も白州次郎も大きな仕事ができたのかもしれない。その点、僕んちは普通の奥さんだから家にいても息苦しくもなんともないのだ。だから仕事も大して出来ないのだ。

お~、見つけた~。という感動と読んでみて、なんじゃこりゃ?と落差の激しい本であった。
牧羊子はもう1冊回想録を書いてるようなので、今度こそはそれを探し出して感動したいものだ。
コメント
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