休日の朝は朝寝坊したあと、よく近くの店に朝食を食べに行った。イタリア人のおばちゃんがひとりで経営している小さな店だった。朝食後コーヒーを飲みながら新聞をゆっくり読んだひと時はまさに至福の時間だった。おばちゃんは、英語がろくに話せない日本から来た青年にいろいろ教えてくれた。
半熟のゆで卵を注文するときは"Boiled egg, three minutes"といいなさいとか、目玉焼きを注文するときは、片面焼きは"Sunny side up"、両面焼きは"Turn over"だとか。
サンドイッチはBLT(Bacon,Letus,Tomato)、サラダはコールスロー(Coleslaw)をよく食べた。
半熟のゆで卵を注文するときは"Boiled egg, three minutes"といいなさいとか、目玉焼きを注文するときは、片面焼きは"Sunny side up"、両面焼きは"Turn over"だとか。
サンドイッチはBLT(Bacon,Letus,Tomato)、サラダはコールスロー(Coleslaw)をよく食べた。
先日浜離宮へ行ってコスモスを撮ってきました。
コスモスは別名秋桜というとおり、まさに秋らしい風景でした。
ひゅるっと伸びた茎の上でコスモスの花が、さわやかな秋風にのってゆらりゆらりとゆれている。
宇宙のCosmosと関係があるでしょうか、天上から舞い降りてきた宇宙人のようにも見えました。
事務所のメンバーは、日本から派遣されたスタッフが社長を含めて9人、現地の女性が2名という少人数の所帯だった。日本人スタッフは社長のほか営業関係が3名、技術関係が2名、調査、研究関係が2名、財務、総務関係が1名という構成だった。2人の女性スタッフは、一人がユダヤ人で経理を担当するベテランのおばさん。もう一人は受付やその他の事務を担当するイタリア系のかわいらしい女の子。彼女はまだ事務所に来たばかりで、おばちゃんによく怒られていた。
職場はとてもアトホームな雰囲気だった。
僕の担当は技術調査で、先輩に教えてもらいながら少しずつ仕事に慣れていった。
会社が事業拡大に熱心だったので、忙しかったが楽しく刺激的な毎日だった。
職場はとてもアトホームな雰囲気だった。
僕の担当は技術調査で、先輩に教えてもらいながら少しずつ仕事に慣れていった。
会社が事業拡大に熱心だったので、忙しかったが楽しく刺激的な毎日だった。
前に紹介した新宿御苑のリュウゼツランは30年ぶりに開花し、花茎が伸びて高さが10m以上になっていました。いささかグロテスクな印象もありました。
写真のリュウゼツランはまだ幼木で、とても同じ種類には思えません。
これも30年経てばにょきにょきと伸びて花を咲かせるのでしょうか?
事務所のあるビルは五番街の36丁目にあった。大変年季の入ったビルで、事務所はその10階にあった。エンパイアステートビルディングのすぐ近くだった。23丁目のアパートからは歩いて通勤した。老人がエレベータを操縦がしていた。「Tenth Floor, Please」というと、「Yes Sir」とだけ答えた。「ギーギーギーガタン」という音が今でも忘れられない。
ニューヨークのケネディー空港に着いたら、先輩が迎えに来てくれ、これから住むNY市内のアパートに案内してもらった。
アパートはダウンタウンに近い23丁目の1stと2nd アヴェニューの間にあった。通りは多少うす汚かったが、建物は比較的新しく内部は安全な場所だった。入り口にでっかい黒人の門番がいた。部屋はフラットというのか、だだ広い間取りだった。
いよいよNY生活が始まった。
ちょっと魅力的な花ですね。
学名はコルチカムといい、ユリ科に属しています。
球根にコルヒチンという痛風によく効く有毒物質が含まれており、誤って食べたために中毒事件がおきたというニュースも時々あるようです。
今回より約40年前のNY駐在員時代の思い出を適宜送ることにしました。ご期待ください。
1967年6月、初めて外国の土地を踏んだ場所がサンフランシスコ。
ニューヨークの事務所に赴任する途中だった。当時はニューヨーク直行便がなかったので、一晩サンフランシスコに泊まったのだ。
空港からダウンタウン行きのバスに乗った。窓から眺める風景はすべてが新鮮だった。ホテルはバスターミナルの近くにあったので、重いトランクを牽いて歩いて行った。
街は少し寒かった。Macy's百貨店でカーディガンを買い、夕方から出発する市内観光のバスツアーに参加した。すべてが腕だめしのつもりだった。
初めての外国だったので、その日の出来事を今でもはっきり覚えている。