雑学:原語から考えるホントの語原

俗に言われている言葉の語源説に、違うのでは?と思うものが多くあります。
ホントの語源を原語から探究しています。

引用の文献

2022-01-10 11:35:25 | 雑学
ここで書いている記事の参考文献は下記の筆者の書いたものです。詳しく知り、検討したい方はご覧ください。

 1.「豆腐の」名称由来について 
    松崎 修 会誌 食文化研究((社)日本家政学会 食文化研究会) No.5 2009 p25     
 2.著書「食文化雑学」原語から考えるホントの語源  松崎 修  文芸社 2015 p116「豆腐に何故「腐」を」
 3.「腐」の古籍解释(百度百貨:中国) https://www.zdic.net/hans/ その他、百度百貨での検索で得られる情報

豆腐になぜ「腐」を

2022-01-04 10:24:05 | 雑学
 以前にも詳しく書きましたが、また追加のことで書きます。
 食品の名に「腐」を使ったのは、中国から入ってきた「豆腐」以外ないと思います。
なぜ「腐」なのでしょう。ここでの腐の意味は?・・いろいろ言われていますが、「腐」は、食べ物が“くさる”ということだけなく、組織や政府等が“くさる”(汚職、賄賂、内紛等で)意味なのです。
古代中国では、どちらも“くさり易い”肉と府をあわせ「腐」という形成文字にしたのでしょう。現代日本でも、木の葉の組織をボロボロした土を腐葉土としています。
『豆腐は、消化の悪い大豆の組織(センイ質)を石臼で砕いて、煮て、布で濾してセンイ質を除いて固めたものです』。 食べにくい大豆のタンパク質をおいしく食べられるようにしたもので、後に「豆腐」と名づけられたのでしょう(600~900年?)。
日本豆腐協会のHPでは、違った解釈で、下記のように説明しております。
“『実は、「腐」の字の冠である「府」には「くら」という意味もあり、もともとは「庫」という字を冠にしていました。「腐」は捕った獣の肉を庫に入れて保存しておく状態を表わした字で、初めは死後硬直で固くなっている肉が、食べられるくらいに柔らかくなってくることから、のちに肉に限らず、ぶよぶよと柔らかいものを広く指すようになりました。つまり、「豆腐」とは「柔らかい豆」という意味だというのが真相だそうです。』” 
この中の、“もともとは「庫」という字を冠にしていました” ・・・中国語でいろいろ調べてもありません。(ご参考腐的解释|腐的意思|汉典“腐”字的基本解释 (zdic.net))


ヘチマの語源の新説

2017-09-18 13:10:58 | 雑学
ヘチマの語原について
 ヘチマの語源について、すでに下に書いておりますが、もう一度書きたくなりました。
それは、ネットで「ヘチマの語源」で検索すると、判で押したように、「江戸時代に中国から
入った糸瓜、愛称でヘチマと呼んでいる。なぜヘチマなのか? 江戸時代の方言集に
ヘチマはイトウリのイの上落しトウリと言った。トは「ヘとチの間だからヘチマという」と書かれた
本があったので、これが語源になっており、どこを見てもこの「ヘとチの間」が主流になっている。
 これに異論があることは広まっていないのです。
 この糸瓜(ヘチマ)が載っている資料を時系列でまとめてみます。
  1595年 《羅葡日対訳辞書》 fechima(ヘチマ)という単語が出ている。
        (ヘチマの初出) ポルトガル語のローマ字です。
  1604年 《日葡辞書》 日本語でfechima(ヘチマ)とある。〝カボチャ・ひょうたんの
                                 一種の愛称″とある。"
  1612年 《多識編》  本草書。巻三 菜部に「糸瓜」あり。俗に「倍知麻ヘチマ)」とある。 
  1775年 《物類称呼》 糸瓜、 「ヘとチの間」だからヘチマという。
室町時代の後期から「ヘチマ」であり、江戸の初期から糸瓜がでてきて、「ヘチマ」は「糸瓜」の俗名となっています。
  要するに、最初から「ヘチマ」とも呼ばれていたが、その由来は分からなかった、ということでしょう。
《物類称呼》にあるように、「ヘチマ」と言った人がいたのでしょう。 江戸っ子の言葉遊びと言う方もおりますが、
その200年も前、江戸時代前に「ヘチマ」と言ったのです。
  では、ヘチマは何で、どこから出てきたのでしょう? 筆者の説を紹介します。
 いろいろ調べてみて、どなたも正鵠を射るような説をお持ちでないことも分かりました。それだけ難しいことなのでしょう。
 とすると、「何かの間違い」であろうということが有力になってきます。渡来した他の物の名前と間違えたのでしょう。 
「ヘチマ」という(或いは、ヘチマにきわめて似た)名前のものと間違えたのです。
 渡来先で「ヘチマ」と呼ばれるもの(食べ物か薬類)があったのだろうか?
 なんと、「糸瓜」の渡来先、中国に、中国語で「ヘイチマ」という食べ物で、日本に「糸瓜」以前に伝わって、今でも食べているものがあるのです。それは「黒胡麻(黒ごま)」です。ゴマは中国語での正式名称は「胡麻フ‐マ」で、別名「芝麻」(チマ)といいます。中華料理にある、ごま団子は、中国では「芝麻球」といって、チマチュウと呼んでいるのです。また、「芝麻醤」チマジャン(ゴマ味噌)でもおなじみです。そして、黒ゴマは「黒芝麻」(へィチマ)なのです。
中国人が〝へィチマ〟というと筆者には〝ヘチマ〟と聞こえるのです。そう聞こえてもおかしくありません。
では、糸瓜と黒胡麻の接点はあったのだろうか? 大いにあります。それは、
(1)室町時代の日明貿易(1404~1547年)で色々なものが明朝(現中国)から入ってきています。推測ですが、ヘチマもこの貿易で入ったのでしょう。
   その時日本は、すでには黒胡麻(へィチマ)があったのです。
(2)どちらも漢方医学で薬用食物にもなっています。《江戸時代:本朝食鑑》にも書かれています。
(3)現代では「へちまの黒胡麻和え」という料理もあります。また、「ヘチマ田楽」という料理で、ゆでたヘチマの上に
黒胡麻(へィチマ)みそをのせているのです。 というように、お互いの接点は十分あったのです。
  この糸瓜と黒胡麻(へィチマ)の呼称がどこでどう取り違えられたかは分りません。見間違い、聴き違いはどこにでもあることです。検証もできません。 書物への記述の経過からみると、最初から「ヘチマ」と取り違えており、数年後後に「糸瓜」であることが分かったようです。
結局、「ヘチマ」を「糸瓜」の俗名として現在まで両方が使われていたということになります。
間違いはどこにでもあることです、この説が正しいとはいいません。
 が、1595年 《羅葡日対訳辞書》日本語でfechima(ヘチマ)という単語が出ていることを、真面目に考えなければならないと考えます。

1年を振り返って

2017-01-10 14:40:45 | 雑学
 豆腐に関する語原の考え方を投稿しておりました。
 この投稿から早くも1年になります。
  私のブログの1年間に読んでいただいた方は1500人をこえました。決して
 多くの方とは思っておりませんが、読んでいただいた方々に感謝いたします。
  今現在、まだまだ「豆腐と納豆は呼称が入れ換わった」「豆腐の腐は腐ったと
 言う意味ではない、中国では液体でも固体でもないものをいう」とか「コロイド
 状のものをいう」等、相変わらずの記述がネットに出ているのは残念に思って
 おります。 学校でも子供たちにさまざまなことを教えているのではと思います。
  豆腐は、950年頃の中国の「清異録」に「豆腐」と書かれており、皆さんご存じ
 の「東波豆腐」は1200年ころ、中国の詩人蘇東波が造ったものです。また、1600年
 頃の「本草項目」にも豆腐が出ております。
  さらに、食文化の好きなかた、研修者は、江戸時代に書かれた「豆腐百珍」を
 読まれていると思います。、豆腐料理百種の日本語で書かれて部分は よく読まれ、
 豆腐百珍を再現してみようと試みている方達もおります、
  が、残念ながら、本の後の方に書かれている、中国語の方は読んでいない方が多い
 のではと思います。ここにも、豆腐の歴史、「清異録」のことが書いてあるのです。
  現代の中国で中国で、魚腐(はんぺん、練り物)、腐皮(ゆば)、麻腐(胡麻豆腐)
 杏仁腐(アンニン豆腐)と呼んでいるので、「腐」は柔らかいと言う意味、などと
 解釈している方々がいるのです。この腐は皆豆腐を略した腐なのに。
  筆者の記事を読んでいただければ、反論はあると思いますが、本当の語源を探る
 議論が出来ると思いますが、反論は出てこないのです。日本豆腐協会や専門の方々も、
 議論しようとしておられないのも残念と思っております。
  筆者の結論は記事に書いてあるように、豆腐の腐は、消化の悪い大豆を食べやすく
 するために「腐熟」させてもの。この腐であろうというものです。「腐熟」という
 言葉は、現在の日本でもワラを腐熟させる、堆肥を腐熟させる、腐熟剤、等で使われ
 ております。
  せひ、議論を発展させ、ほんとうの語源を共有したいものです。
 

食に関する語原

2016-01-09 19:17:25 | 雑学
豆腐の語原の迷走に思う
  豆腐の「腐」の意味が迷走しているようです。ネットのホームページ、ブログ(個人・団体)で色々な説が
出てきます。おかしな、色々な説が一人歩きしている状況です。
 「腐」には中国では柔らかいという意味がある。 ぶよぶよ、ブルンブルンしたものの意だ、から始まり、
「腐」はコロイド状のものをいう等、コロイド状の意味も知らないで書いているのです。
古代中国、日本でも「腐」は、くさる、ただれる、くずれる(組織が)、変質するという意味しかないことを
どなたも知っているわけで、なぜトウフに「腐」を使ったかを考え、正しいと思われる答えを後世に残さねば、
と思います。学校でどう教えているのかを思うと心配になります。
 豆腐の「腐」は「胡語」だろう、ともありますが、これも変な話で、中国語の「腐」を論じているのですから、
胡語(西北遊牧民族での言語)とか他国語等は関係のないことではと思います。
 豆腐は6~9世紀に中国で作られたと推定され、当初は菽乳と呼ばれていたが、後に「豆腐」になりました。
日本にも豆腐と伝わり、江戸時代の《豆腐百珍》にその百種の料理が出ているのです。また、この書物の巻末に
「豆腐」と言う文字が《清異録》陶穀965年に出ていることの記載があります。これが中国で豆腐と書かれている
書物の、日本での発見と思います。
 中国での大豆の歴史は古く、紀元前からありました。が、大豆はそのたんぱく質、センイの消化が悪く、食べ
にくい豆です。《本草綱目》李時珍1590年の「大豆」の項に、「可為腐食」とあり、石臼で砕き粥等に入れたり
粉にして団子(餅)にするにして食べる意味と考えます。この「腐」は、ぼろぼろになる、変質する等の腐の
意味と思います。又、「黄者可作腐」ともあり、“黄色大豆は豆腐にすることができる”とも書いています。
 筆者は、豆腐の「腐」は腐熟の腐、組織がぼろぼろになる意味と主張しております。
ワラを腐熟させる、堆肥を腐熟させる、腐熟剤等、現在の日本でも腐熟という単語を使っているではありませんか。
「豆腐の語源」として、このブログに既に書いておりますが、インターネットのいろいろな説の記述をみて、
また書かせてもらっています。もう一度目を通していただけると幸いです。
 
目 次
1 豆腐の語原      2 ヘチマの語源       3 餃子の話し
   4 パンの語源          5 リンゴの漢字       6 文旦とザボン
   7 中国では薬を食べるという   8 油でもないのに醤油    9 饅頭の話
  10 蕎麦をなぜ打つという      11 急須の語原      12 ハッカの語原
 13 羊羹の話し 14  黄瓜(キュウリ)の話し  15 豆腐の異名「おかべ」について

 その他の語原 目次
   1 泥酔の語源    2 将棋は指すという    3 チマチマということ  4 君子遠庖厨
   5 ヘチマ野郎は誤解?  6 本末転倒


  1.豆腐になぜ「腐」を
   豆腐は中国で7~9世紀に造られ、当初は菽乳、豆乳等と呼ばれていたようですが、豆腐と書物に
  出たのは、清異録(陶穀965年)です。 現在も中国と日本で豆腐(トウフ)と呼ばれています。
  なぜトウフに腐という文字を使ったか、いろいろな見解があります。腐はブルンブルンするもの、
  ぶよぶよしているもの、コロイド状のもの等をいうとか、中国では腐には柔らかいという意味がある
  とも言われています。しかし、中国の古代から、日本でも、「腐」にはくさる、ぼろぼろになる(腐葉、
  腐植)の意味しかないのです。
   腐という文字は、府(倉という意味もある)に肉を入れておくと柔らかくなるので、腐には柔らかい
  という意味もあるとの見解も見ますが、倉(府)に肉を入れておくとくさるから腐だと思うのですが。
  いずれにしても皆豆腐の性状を念頭した考え方になっているようです。
   長くなりますので、結論を簡単に書きます。
   大豆は、そのたんぱく質、せんいの消化が悪く食べにくいものです。古代からふやかした大豆を石臼で
  ドロドロに砕き(磨爛という)、これを加熱してたんぱく質を変質させ(爛熟という)、繊維を取り除いて
  豆乳を造っていたのです。加熱しないものはそのまま粥に入れ一緒に煮て食べていたようです。
  さて、豆乳を西北遊牧民族の常食の乳餅(畜乳を脱脂して、酸で固めたもの)の造り方を真似て豆乳を
  固めたものと思います。これが菽乳(ここでの乳は乳白色の塊の意味の乳です、畜乳の乳ではないのです)、
  豆腐と呼ばれたものと思います。 
   なぜ豆腐としたかは、磨爛と爛熟から腐熟という熟語に注目しました。爛もくさるという意味があり、
  腐と置きかえられるのです。
   中国語辞書で腐熟を引くと、「胃の働きの初期消化のこと、白くドロドロした状態」とあります。
  正に、水でふやかした大豆を石臼でドロドロにして加熱したものと極めて似ています。古代中国の「難経
 (漢方医学の教書的な本)」に胃の働きの説明にこの腐熟がありました。
   豆腐は「大豆を腐熟したもの」であるから豆腐としたものと考えます。
   西北遊牧民族の常食に乳腐という食べ物があり、この乳腐の造り方を真似て豆乳(液状の)で作った
  ことから豆腐とした。という説がありますが、乳腐の説明はされていません。
  「本草綱目(李時珍1596年)」に乳腐は釈名:乳餅/乳団とあり、造り方は畜乳を用いて豆腐と同じ
  ように酸で固める。と書いてあります。
   筆者の解釈ですが、乳腐は漢人が、豆腐ができた後、乳餅/乳団を畜乳で造った豆腐のようなものとし
、 乳腐と呼んだものと思います。 漢人の上流階級のひとたちの話の中に乳腐が出てくるだけで(旧唐書
  第155穆宇伝)、西北遊牧民族に乳腐という食べ物があったという記録はないのです。乳餅/乳団のこと
  ですから。また高麗博学記(清異録(陶穀965年)に記載)に、ここでは医術に関したことで乳腐が出て
  きます。ここでも上記「穆宇伝・旧唐書」と同じように乳餅/乳団のことを乳腐といっているのです。

 2 へちまの語原
   ヘチマは、中国、日本で糸瓜という瓜です。糸瓜の俗名をヘチマというのは日本だけです。
  現在でもそうですが、糸瓜は薬用として、「ヘチマ水」は美容に、若い糸瓜は食材、漬物として、
  また皮をむき乾燥させると強い繊維が網のように残るので、これをタワシとして使うので、中国で
  「洗鍋羅瓜」とも呼ばれていました(《本草綱目》李時珍1650年)。
   日本には中国から室町時代の後期に伝わり、薬用、「ヘチマ水」は美容水として使われていました。
  食用になったのは、江戸時代にはいってからと思います。
  この糸瓜(ヘチマ)が載っている資料を時系列でまとめてみます。
   1595年 《羅葡日対訳辞書》 fechima(ヘチマ)という単語が出ている。(ヘチマの初出)
   1604年 《日葡辞書》 日本語でfechima(ヘチマ)とある。〝カボチャ・ひょうたんの一種の愛称″とある。
   1612年 《多識編》  本草書。巻三 菜部に「糸瓜」あり。俗に「倍知麻(ヘチマ)」とある。
   1686年 《雍州府志》 糸瓜、俗にいうへちま。中華の村人呼びて「洗鍋羅瓜」とする。
   1697年 《本朝食鑑》 本草として糸瓜、(訓として邊知麻(ヘチマ)とある)、
   1775年 《物類称呼》 糸瓜、或る人曰く、トウリは糸瓜の上略、トは「ヘとチの間」だからヘチマという。
   こう並べてみと、室町時代の後期から江戸時代の初期にかけては「ヘチマ」、であり、江戸の初期から
  糸瓜がでてきて、「ヘチマ」は「糸瓜」の俗名となっています。
  ヘチマという言葉は何なのでしょうか? どういう由来で「糸瓜」が「ヘチマ」とも呼ばれたのか? 
  《多識編》《本朝食鑑》では、ヘチマに単に漢字をあてているだけのようで、意味がわかりません。
   要するに、最初から「ヘチマ」とも呼ばれていたが、その由来は分からなかった、ということでしょう。
  (ある時期は「ヘチマ」のみであった可能性もあります。)
  江戸時代の中期末(1775年)になって、この「ヘチマ」の由来が分からないから、《物類称呼》にあるように、
   〝と瓜は、いと瓜の上略、トは、ヘとチの間にあるから「ヘチマ」となる〟と言った人がいたのでしょう。
  江戸っ子の言葉遊びと言う方もおりますが、その200年も前、江戸時代前に「ヘチマ」と言ったのです。
  現在、この「へとチの間=ヘチマ」説が多くの著書、辞書、語源辞典、百科事典やネット上で主流の説に
  なっているのです。 
   では、ヘチマは何で、どこから出てきたのでしょう? 筆者の説を紹介します。
  いろいろ調べてみて、どなたも正鵠を射るような説をお持ちでないことも分かりました。それだけ難しいことなの
  でしょう。 とすると、「何かの間違い」であろうということが有力になってきます。渡来した他の物の名前と間違
  えたのでしょう。 「ヘチマ」という(或いは、ヘチマにきわめて似た)名前のものと間違えたのです。
   渡来先で「ヘチマ」と呼ばれるもの(食べ物か薬類)があったのだろうか?
  なんと、「糸瓜」の渡来先、中国に、中国語で「へィチマ」という食べ物で、日本に「糸瓜」以前に伝わって、
  今でも食べているものがあるのです。それは 「黒胡麻(黒ごま)」です。ゴマは中国語での正式名称は「胡麻フマ」で、
  別名「芝麻」(チマ)といいます。
  中華料理にある、ごま団子は、中国では「芝麻球」といって、チマチュウと呼んでいるのです。
  また、「芝麻醤」チマジャン(ゴマ味噌)でもおなじみです。そして、黒ゴマは「黒芝麻」(へィチマ)なのです。
  中国人が〝へィチマ〟というと筆者には〝ヘチマ〟と聞こえるのです。そう聞こえてもおかしくありません。
  では、糸瓜と黒胡麻の接点はあったのだろうか? 大いにあります。それは、
   (1)室町時代の日明貿易(1404~1547年)で色々なものが明朝(現中国)から入ってきています。推測ですが、
     ヘチマもこの貿易で入ったのでしょう。その時日本は、すでには黒胡麻(へィチマ)があったのです。
   (2)どちらも漢方医学で薬用食物にもなっています。《江戸時代:本朝食鑑》にも書かれています。
   (3)現代では「へちまの黒胡麻和え」という料理もあります。また、「ヘチマ田楽」という料理で、ゆでたヘチマ
      の上に黒胡麻(へィチマ)みそをのせているのです。 というように、お互いの接点は十分あったのです。
   といったように、糸瓜と黒ゴマ(ヘチマ)には料理と医薬で接点があるのです。
  この糸瓜と黒胡麻(へィチマ)の呼称がどこでどう取り違えられたかは分りません。見間違い、聴き違いはどこにでも
  あることです。検証もできません。 書物への記述の経過からみると、最初から「ヘチマ」と取り違えており、数年後後に
 「糸瓜」であることが分かったようです。
  結局、「ヘチマ」を「糸瓜」の俗名として現在まで両方が使われていたということになります。
   間違いはどこにでもあることです、この説が正しいとはいいませんが、「へとチの間=ヘチマ」説は正鵠を射て
  いないと思います。

 3 餃子の話し
   大人も子供もみんなが好きな餃子(ギョーザ)についてです。
   餃子は中国で古くからあった食べ物ですが、ここに二つの疑問があります。
    ①中国語ではチャオツですが、日本でなぜギョーザとなったか。②中国でなぜ餃子という名称になったか。です。
   まずギョーザという呼称ですが、明治末や大正時代の支那料理の本では、餃子にチャオツと仮名をふっています。
  ギョウザと呼ぶようになったのは戦後のようです。 これは、満州から引き揚げてきた人達が広げたものと思います。
  満州語で、交をGyoo(ギョウ)と発音し、餃子は一般にギョウズと呼んでいたようです(「満州の正月考」井岡大輔
  ・1939)。が、満州から引き揚げてきた叔父は、はっきりギョウザと言っていたので、満州でも地域によりギョウザと
  呼ぶ地方があるものと思います。
   中国のある地域の方言が変化してギョウザになったとしている記述もありますが、大正時代中はチャオツであった
  ことから、満州語説の方が有力と思います。
   次に、なぜ「餃子」という漢字になったのかですが、中国のネット上でいろいろいろいろ記載されています。
  三国時代の中国の或る地方で、厳しい寒さで貧しい多くの農民が凍傷で死んでいたそうです。また、凍傷で耳がなく
  なってしまう人たちが多くいたそうです。 その状況を見たある医者が、村人を集め、大きな釜を用意し、羊肉と野菜を
  きざみ、薬草と唐辛子を入れて煮たのです。 そして、別に麺(小麦粉)をこねて薄く延ばしたものを用意しておき、釜の
  中の味を取り出し、麺の皮で耳の形に包みました。 これを元の釜に入れ煮て、汁とともに皆に食べさせたのです。
   汁や薬草、胡椒で身体が温まり、肉と野菜の栄養との効果で多くの人たちの凍傷を救った。という話です。このことが
  神話のように伝わり、多くの地方で食べられ、色々な名前で呼ばれていて、清代になり餃子に統一されたようです。
   なぜ餃子かというと、交という文字には病気を治すという意味もあるのです(中日辞書でもあります)。食べ物で病気を
  治すということから食偏に交、餃という字にしたのです。餃子の「子」は、接字で意味はないのです(柚子、杏子、椅子
  辛子、等の様に)。
   現代になっても、餃子は身体を丈夫にする、病を治すということから、新年を迎える時には爆竹で鬼を払い、餃子を食べ
  健康を祈っているのです。

 4 パンの語源
   毎日のように食べているパンの語源ですが、どこを見ても「語源はポルトガル語のPAOと言われている」なのですが、
  疑問だと思っています。
   日本にパンが入ったのは、織田信長時代の南蛮貿易で入ってきたのでしょう。(南蛮はポルトガルやスペインのことです)
  キリスト教の布教を赦されたポルトガルは、インドにいたフランシスコ・ザビエルという宣教師を呼んだそうです。
   キリスト教とパンは切り離せないものです。この時にパンが日本に伝わったのでしょう。そしてパンの語源はポルトガル語
  のPAO(パオ)である、というのでしょう。 スペイン(ラテン系)語ではPANなのですが。 
   この頃のパンは「波牟・ぱむ」と呼ばれていました。「ぱむ」の発音は「ぱん」でPAO(ぱお)ではないのです。
  何故スペイン語のPANではないのでしょう。
   ザビエルはスペイン語を話すナバラ王国の生まれだそうです。この事からもPAN:ぱむであったとする方が無理がありま
  せん。
   当時、中国語はマカオでポルトガルと交易していました。中国語のパンは包(pao)です。ポルトガル語と音を合わせ「包」
  (pao)パオとしました。 食パンは「麺包」ミイエンパオと言います。
   江戸時代はパンは普及しませんでしたが、中国語の麺包であったようです。 明治6年の「家中経済(上)」に
  〝良品ノ麺包ヲ製スル法″とあり、この麺包にパンと仮名がふってあります。
    中国語の麺包(ミイエンパオ)からはパンは出てきません。 やはり、信長時代からスペイン語のPANのパン(ぱむ)
   だったのだと思います。
    
 5 リンゴの漢字
   りんごは漢字で林檎と書きますが、この名称は古代の中国にあるものです。 古代から小さいリンゴを林檎(中国語で
  リンチン)と呼ばれているものです。日本では和りんご(直径4~7㎝くらいの)で918年の「本草和名」に出ています。
  利宇古宇(りうごう)と呼ばれていたとあります。近代では江戸時代初期の「本朝食鑑」に利牟古(りむご)とあり、リンゴと
  呼ばれていました。
   中国語では、禽(チン)は鳥類の総称で、木に集まる鳥として形成文字で檎(チン、日本の漢名はキンとしている)
  があるのですが、リンゴにしか使わない文字です。
   明治に入り、米国から中国にも日本にも大きなりんごが入ってきました。 これを中国では苹果(ピングオ)と言い、
  日本では明治中ごろから、和リンゴも大きいリンゴもリンゴとし、漢字は林檎と苹果の両方が使われていました。
  現代仮名使いでは、リンゴの漢字は林檎に統一されています。
   しかし、林檎と苹果どちらでもリンゴと読めないのです。どこから「りむご、リンゴ」が出てきたのでしょう? 明確に
  答えている記述は見たことがありません。
   筆者が中国語で調べて得た結論は、リンゴは林果(リングオ)と取り違えていたようです。 中国で林果は、山林で採れる
  果物の  総称なのです(桃、梨、林檎、苹果、柑橘類等々)。 中国ネットで林果を検索すると、〝近年発展している梨・
  杏子・桃・苹果等の林果産業は‐‐‐‐″という使い方で林果(リングオ)が出てきます。
   リンゴの漢字は「林果リングオ」、山林で採れる果物類の総称だったのです。古代から誤解していたようです。

 6 文旦とザボン 
   文旦は1700年ころ、中国(台湾)から伝わったもので、九州の阿久根市に舟がついて、謝文旦という船長から貰い、船長の名
  をとって文旦とした。とされています。 1709年の「大和本草」では、これを朱欒(しゅらん)とし、ザボンともあります。
  ザボンの語源を百科事、辞書類、語源書等いろいろ見ると、判で押したように「語源はポルトガル語のZamboaと言われている」
  とあります。しかし、どんな葡日辞典を見てもZamboaに朱欒・文旦・ザボン等の意味は載っていないのです。 Zamboaの意味は
  「混血児、がにまたの人」しか出てきません。 ポルトガル語では、朱欒・文旦はCidraoのようです。
   古い英英辞典、1892年の「オックスフォード現代英英辞典」を見ると、英語でもZamboaがあり、〝スペイン、ポルトガルが南
  アメリカを植民地化した時代、現地民との混血児のこと″と解説がありました。 Zamboaからザボンは出てこないのです。 
   どうしてZamboaが語源といわれたかを推理してみると、日本人とポルトガル人がいて、日本人が文旦の話をしていたとき、
  文旦は自然交雑で品種が増える、中味が黄色の、赤いの(朱欒)、紫色の、大小さまざまな文旦類がある。といった話をして
  いた中でポルトガル人が、〝それはZamboa(混血児)のようだ!″と言った可能性はあります。 しかし、これでは語源と言え
  ないと思いますが。
   そんなに無理しなくても、謝文旦から「謝文」をとり、ビン南語(台湾、福建州の一部)で読むとジャボンになるのです。
  ザボンはジャボンが変化したものと思います。
   ちなみに、九州物産展に「ボンタンの砂糖漬け」がありました。ボンタンは文旦のビン南語読みと思います。

 7 中国では薬を食べるという
   中国語の「吃飯(チ-ハン)」は、日本語のごはんを食べるということです。が、薬をのむことも「吃薬(チ-ヤオ)」
  というので、中国では薬を食べると表現すると、日本語との違いを取り上げている書物やネット記事が多くあります。
   この違いを意味ありげに説明していますが、本当は意味がないのです。 「吃」は「喫」の簡単字です。
  日本では喫茶といい、 日本もお茶・コーヒーを食べると言っていることになります。
  中国の辞書に、吃(チ‐)の意味は、食べ物を咀嚼すること、咽下すること、吃飯は食事をすることあります。
  飲むことも食べることも「吃」なのです。
   中国で「吃水」と書いた水道を見たことがあります。飲める水のことで、飲めない水と区別する表現だそうです。
   中国もやっぱり薬は「のむ」と言っているのです。

 8 油でもないのに醤油
   日本の醤油は美味しさ、種類、生産性で世界一となっています。が、醤油も中国から醤油という名で伝わっています。
  中国では、紀元前の古代から肉や魚を保存のために醤(ジャン・しおから)にしたのです。煮豆を塩漬けにして醗酵させ
  た豆醤は紀元後からです。醤油はこの豆醤(ひしお)に浮いてくる汁(たまり)で、540年ころの「斉民要術」等ではこれ
  を豉(大豆)汁、醤清(清:澄んだ液体)と呼んでいました。 醤油としたのは1100年頃となっております。
   日本伝わったのは室町時代ようです。 さて、この醤油の油ですが、
  中国語の油油(ヨ-ヨ-)という熟語がゆったりと流れる、つややかに揺れる等の意味で、醤を搾った液は、とろりと
  流れ、つややかなので、油油これから油をとり、醤油とした、と説明しております(醤油情報センター)。
  が、違うのではと思います。第一、醤油はさらっと流れます。油ならとろりと流れると言っても違和感がありませんが。
   「油」という文字は揚子江(現、長江)の支流で、つややかに悠々と流れる様子を表す文字(氵偏にユ-、油)で、この
  河の名前を「油江」としたのが始まりなのです。 三国志の地図に「油江」があります。 
  豆・胡麻・菜を搾って得られる液が、つややかで、ゆったりながれるので油としたのです。 しかし前述の通り、醤から
  出る液はさらっとしていますので、前述の説明には納得できません。
   醤から出る汁には醗酵で分解されない油が残っているので、醤油としたものと思います。 同じように蝦(エビ)醤の
  上澄み液を蝦油といい、沈んだどろどろしたものは蝦醤といいます。
 
 9 饅頭の話
   饅頭の語源、謂れは知っている方が多いと思います。三国志に出てくる諸葛亮(孔明)が南方(南蛮王:孟獲(もうかく))
  を平定した時の話です。孟獲を降伏させ、蜀(成都)に戻る時、濾水と言う河を上って帰ろうとしていた時、濾水はしばしば
  荒れて害をなすので、祈祷を勧められました。古来からその河を鎮めるには、生贄として三人の頭を河に沈め祈祷すると聞き
  ました。 孔明は思案し、馬を屠ってその肉をきざみ、麺粉をこね、肉と混ぜて頭の形にし、これを河に鎮め祈祷したのです。
  孔明はこれを「饅頭」と呼んだというのが謂れです。1370年頃の「三国志演義」にも書いてあります。
   しかし、この時は225年頃であり、その当時は麺をこねて作るたべものは皆、「餅」と言ったはずなのです。540年の「斉
  民要術」には餅法という項目で、いろいろな麺類の加工品の作り方が書かれています。
   中国のインターネットでもっと古い話を見てみると、孔明は「瞞頭」、欺瞞(ぎまん)のまん、と言ったとあります。
   孔明が人の頭にみせかけたにせもの頭なので「瞞頭」といったといい、後に食べ物にした時に、食偏に曼の「饅頭」にした
  ものと思います。
   次に「饅頭」をまんじゅうという疑問です。 近代・現代中国のではマントウ)と読みます。頭という文字を漢和辞典で
  みると、唐音(鎌倉時代以降に中国から 入ってきた字音。宋代以降の字音)で、「チュウ」発音するというのです。
  ですから饅頭はマンチュウとなるのです。「饅頭・マンチュウ」は日宋貿易(平安~鎌倉時代)で中国から入ってきたので
  しょう。室町時代の歌に「まんぢう」が出てきます。 明治中ごろまでの著書では「マンヂウ」「まんぢう」で見られます。

10 蕎麦をなぜ打つという
   近年、手打ち蕎麦・うどんの愛好者が急増しています。特に、蕎麦・うどんを自分でつくることがブームであす。
  筆者はこの “手打ち”という語意はどのようなものなのかに興味を引かれました(分からないということです)。手打ち蕎麦に
  関する種々の解説、由来、歴史等に関する著書は多くあります。ネット情報も多く出ており、ブームを物語っているようです。
  しかし、何故“手打ち”あるいは、うどん、蕎麦をつくることを“打つ”というのか、解釈、記述は非常に少ないのです。
   手打ち蕎麦(うどん)を作る工程に打つ、叩く、突くという動作はあるのでしょうか? ないのであればどうして“打つ”と
  いうのか疑問なのです。少なくとも、現代江戸流蕎麦打ちでは打つ、叩く、突く等の動作は含んでいないと思います。
  筆者は、これは漢語を日本語に直した時にこうなったものと推定しました。 動作の内容に関係なく「~~を打つ」というのは
  いっぱあります。日本語の後に( )の中に対応する中国語を書いてみました。心を打つ(打動)、水を打つ(打溌)、
  ばくちを打つ(打博)、電報を打つ(打電報)、注射を打つ(打針)等等書ききれないほどあり、必ず対応した中国語の、
  打~~があるのです。
   中国語で、名詞を動詞にする「打」+「名詞」→ 動詞詞組(Phrase)というのがあり、「打麺」は麺を作る、「打餅」は餅
  を作る等です。蕎麦・うどんを打つというのは、中国語の「打麺」を日本語に直したものと言えます。手打ちの手は、手ずから
 (自ら)の手であることは明白です。 手打ち蕎麦は自分で作った蕎麦ということです。 

 11 急須の語源
   お茶を入れる「急須(きゅうす)」が、どうして急須というのか、その用途や形・材料等から連想できません。
  「大言海」で「きゅうす」を引くと、〟急須、キビショウ〝と、「広辞林」では〟きびしょう、急須(急焼の中国の福建省音)
  と出てくるだけで語源や由来は出ておりません。
  中国の現代では、名詞としての「急須」という単語は使われていないと言ってもよいほどで、日中辞書で「きゅうす」を引くと
  「小茶壺」と出てきます。 しかし、中国語の大辞典、《漢語大詞典》には「急須」が出ており、【煮茶・暖酒器名 急須:
  東南茶器】とあります。中国の東南地域というのは、浙江省、福建省あたりでしょう。いずれも焼き物の産地で有名です。
   動詞・副詞的に使う「急須」は、文字通りの意味、急遽、緊急に等の意味で現在も多く使われています。
   中国で茶を飲むようになったのは紀元前からで、薬用として飲んでいたのです。 嗜好として飲むようになったのは、三国志
  にも出てきますが、一般に普及し発展したのは唐代のようです。唐代では、茶を入れる茶壺は主に「注子Zhu zi チユウツ」と
  呼んでいたのです。
   唐代は、唐三彩」で知られていますが、素焼きに色付けをし、釉薬(うわぐすり)を塗ってまた焼き、模様をつけた陶器が
  多くありました。 唐三彩(赤・緑・青)の陶器は有名です。
   福建省で呼ばれた「急須」は青釉急須が多く、火にかけて煮茶をする茶器、或いは酒を暖める為のものであったようです。
  明代に入り、煮茶から煎茶に変わり、今までの急須は使わなくなりました。煎茶用として、紫泥、朱泥といわれる粘土の素焼き
  の急須が多く作られました。もちろん、釉薬仕上げをしたきれいな急須も作られ、茶壺と呼んでいたようです。
   さて「急須」の語源に戻ります。 キビショウの漢字を推測すると、「急焼」、すなわち、厳しく(きつく、硬くの意)焼い
  た茶器のことと思います。これは福建語でキップス、キップショウと呼ばれたものと推測できます。
   「須」は、呉須(呉州とも書く)の「須」ではと思います。 呉須・呉州ともに日本語読みでゴスとなります。前述の焼物の
  素地の着色に使う特殊な土で、古代では中国の呉(中国東南地域)で産出していました。呉須赤、呉須青、藍呉須、紫呉須等が
  あります。焼いて金属の酸化物の色を出すのです。現代では日本産の呉須も多く使われています。
   例えば、「呉須赤土」を〝呉州産の赤色を出すに必要(須)な土″とすると、これらの着色用特殊な土を「呉須」としたこと
  が理解できます。
   「急須」は〝硬く(急)焼いた茶器で呉須を使って仕上げたものから「急須」となった。と考えます。後に朱土、紫土を使っ
  た素焼きの急焼き物も区別なく(形が同じなので)「急須」と呼んだのでしょう。 これが筆者の考えた語源説です。

 12 ハッカの語源
   ハッカは、漢字で「薄荷」と書きます。薄荷は湿地に生息する多年草の花です。池のほとりなどで、淡い紫色の小さ花を咲か
  せるハッカ(薄荷)の花を見ることがあります。
   ハッカは種類が多く、香りを楽しむもの、調理に使うもの、ハッカ精(メントール)、ハッカ油としてミントチョコレート、
  飴やチュ―インガム、タバコに使うもの、また、解熱、清涼剤、胃等の薬に使っています。
   日本の書物に初めて「ハッカ」が出たのが「撮壌集1454年」(室町時代の国語辞書いわれる書)であると文献にあります。
  「薄荷」の語源は書物類、ネットで見ても正鵠を射ているようなものは見当たりません。ハッカは、漢名の「薄荷」の日本語
  読み  で、「ハクカ」と読めるので「ハッカ」と変化した。とよく書かれています。
   問題は「薄荷」の漢字の意味です。「薄荷」は中国語で、「薄荷bo he ポ ホヲ」です。中国ではこの薄荷の種類と別名が
  多くあります。読み方は省略しますが、野薄荷、夜息香、南薄荷、水薄荷、魚香菜(四川)、蘇薄荷、蕃荷菜,等々です。 
  では、どうして「薄荷」と命名したのであろうか。中国語での「薄」と「荷」という文字の意味と用法等を調べてみました。
   まず「荷 heホヲ」ですが、日本の漢和辞典に出ている意味とは別に「荷」の意味は植物に、荷花、莲花、芙蓉----等
  いっぱいあります。 要するに蓮(はす)のような植物に「荷」という字を宛てているのです。 「何heホヲ」の意味に、
  なに?という疑問詞の他に、反語的、副詞的な用法方があります。 例えば、「有何美麗花?」は〝こんなきれいな花がある
  のか?(何ときれいな花でしょう!)″のように、使われます。 この「何」に草かんむりをつけて「荷」という字に蓮や
  芙蓉等の花の意味にしたようです。
   「薄」の方は、四声(アクセント)により二種類の意味があり、薄い、少ない等の「薄」と、ハッカにしか使われていない
  「薄」があるのです。 この「薄」だけでハッカの意味があり、メントール入りのタバコを「薄烟」といいます。「薄」は、
  形声文字で、草冠をとると「溥pu プ 」になり、広大な、平原を覆って、という意味で、草冠を付けて、「薄」としたのは、
  ハッカや芙蓉、蓮等が池や草原を覆っている様子を表したものと考えます。
   中国語の辞書を見て考えると、こういうことでは、と思います。
   ハッカは、きれいな花で、池の周りや草原を覆っているので「薄荷」としたものと思います。

 13 羊羹の話  
  甘い、美味しい羊羹にどうして羊が出てくるのでしょう? 不思議に思う方が多いと思います。
 現代の日本の羊羹(ようかん)は、中国の古代からある「羊羹yan gengヤン コン」です。
  中国で、「羹」は肉と野菜等をよく煮つめた、あつもののことです。 スープを意味するのは「湯tang タン」ですが、肉や
 野菜、色々な物を混ぜよく煮込んだ、濃いスープは「羹gengコン」と呼んでおります(現代中国の普通話で)。
  日本には日宋貿易で鎌倉時代にいろいろな「羹」が入ってきました。《日本植物史》に詳しく書かれていますが、猪(豚)羹、
 白魚羹、鶏鮮羹等色々あります。豆腐羹、辛辣羹等は精進料理として出てきます。
  羊羹にどうして「羊」が出てくるのか不思議ですね。この事を書いてみます。
  古代中国では、羊(ヤギかヒツジ)の肉と野菜等を煮込んだ「羹」が冷めると、ゼラチン質が固まり、煮凝り(にこごり)状
  になったのです。 この煮凝り状のものも「羊羹」と呼んだのです。
  日本の僧侶たちにこの煮凝り「羊羹」も伝わりました。、固まり状の「羊羹」を作ろうとしたのでしょうが、肉・魚を食しない
 僧侶たちは、小豆を煮て葛で凝固させ、これを「羊羹」、日本語読みで、「ようかん」と呼んだのです。 唐音では「羹カン」
 ですので、日本で「ようかん」となったのも不思議ではありません。甘いものも作られ、現在の羊羹になったのです。現代では、
 蒸羊羹、芋羊羹、栗羊羹等いろいろな羊羹が作り出されています。
  しかし、肉を野菜等と一緒に煮込んでも煮凝りはできにくいのではと思います。 肉を煮込んだシチュ―を作っても、煮凝り
 はできにくいのではないでしょうか。 ゼラチン質が多いか、コラ―ゲン(煮熟すると分解してゼラチンになります)が多く
 含んでいる材料でないと煮凝りができにくいのです。 日本では魚での煮凝りの料理が多くあります。
  肉であれば、皮、腸、骨、筋等はコラ―ゲン、ゼラチン質が多く含まれているので、これらを一緒に煮込むと凝固するのです。
 (腸もつの煮込みは煮凝りが出来ます)
  古代の中国では家畜として、主に羊(ヤギ・ヒツジ)が多く飼われ、肉と乳の源としていたのです。家畜の解体も料理もおお
 ざっぱで、肉も皮、筋、腸等、も丁寧に分けず煮込んでいたので煮凝りができたのではと推測できます。
  

 14 黄瓜(キュウリ)の話
   日本でキュウリを漢字にすると「胡瓜」とも書きます。黄瓜も胡瓜も漢語です。キュウリは中国から伝わったものです。
  現代の中国語では、「黄瓜」「青瓜 」などと呼びます。
   日本では、ネット上の記述で「ウリ科の1年草のつる草。熟すと黄色く変わるので、黄瓜(きうり)といわれ、日本では
  平安時代から食べられていたという記録があります。」とあります。また「黄色になってから食べるので黄瓜となった」と
  いう記述もあります。
  「黄瓜」の呼称由来が違うようではと思います。中国でも黄色になってから食べるわけではないのです。
   いろいろ調べてみると古代中国では「胡瓜」でした。「胡 hu フ」は中国の西北地帯(現内モンゴル)この地方のこと、
  胡族が住んでいた地域を言います。胡椒(こしょう)、胡桃(くるみ)、胡麻(ごま)、胡瓜は「胡」でとれたものです。
   しかし中国では、ある時期から「黄瓜」と呼称が変わったのです。それは、熟して黄色くなるから、黄色くなったキュウリを
  食べるからではないのです。
   中国の後趙という国は、五胡十六国 時代(304~439年)に石勒(日本ではセキロクと呼ぶ)によって建てられた国です。
  「黄瓜」の呼称由来は、このころのお話です(本当の話なのか確認できないのです)が書いてみます。
   皇帝石勒は「胡」という字を使うことを禁じたのです。当時、胡族は野蛮で、漢族を脅かしていたためです。この時に、
 「胡瓜」から「黄瓜」に変わった、とされています。「黄瓜」になったいきさつの概略は下記の通りです。
  皇帝(石勒)が地方に出かけた時に、地方役人の中に胡族に似た服装で態度も悪いのがいて目についていた。その後食事を
 ともにした時に、石勒はキュウリの料理を指し、その役人に「これは何という食べものか?」と聞いたのです。
 その役人は「胡瓜」とは答えられなく、困り、思案した後「皇帝の瓜、黄瓜です」と答えたのです。
  皇帝は満足し、その役人を不問にした。という話です。 皇帝の色は黄色です。 「黄‐‐」は、皇帝の、あるいは中国を代表
 するという意味でつけられているものが多いのです。黄山、黄河、黄海、黄酒(紹興酒)、黄豆(大豆)等のように。
  「黄瓜」は「黄‐‐」と呼ばれるほど重要なものではなかったのですが、前述のいきさつで「黄瓜」となったというお話しです。
  が、皇帝が〝胡〟という文字の使用を禁じたのは史実であり、この時代から呼称が「黄瓜」に代ったことも明らかなことです。

 15 豆腐の異名「おかべ」について
  江戸時代から豆腐に「おかべ」という異名があったことは、書物やネット記事によく載っております。この語源を、豆腐は壁の
 ように白いので「おかべ」と言った。女房ことばの様だ。とあります。が、ちょっと違うのではと思います。
  江戸時代の書物に《豆腐百珍》があります。天明2年(1782年)に刊行された、百種類の豆腐料理の調理方法を解説した本です。
 豆腐料理が江戸時代からいろいろ工夫されていたことが良く分かります。豆腐を研究、製造されている方、料理や食文化を研究
 されている方等多くの方に読まれていると思います。
  この《豆腐百珍》の巻末の方に漢文で書かれた豆腐の歴史や異名等が書かれています。「豆腐」が中国の《清異録965年》に
 書かれていることも記述されております。また、中国での異名の一つに「方壁」があります。
  中国の壁は白が主です。豆腐に「方壁」という異名があったことは中国のいろいろな書き物にあります。この「方壁」の方は、
 立方、平方の「方」で、豆腐を「四角い壁」と表現していると思います。
 「方壁」を日本読みにすると、「ほうかべ」です。 これが「おかべ」となったものと思いますが。
  1688年長崎郊外に「唐人屋敷」ができ、2000人の中国系の人が住んでいました。長崎市民との交流のあり、中国、台湾の
 いろいろな物品や文化が伝わっていました。


  その他の語原

 1 泥酔の語源
   泥酔の語源は、どんな著書・辞書類で海底に住むドロ(泥)という虫が、泥にまみれて正体がわからなくなることから、
  酔って正体をなくすほど酔うことを泥酔という、としています。
   私は違うと考えています。 中国古代から泥の意味には、泥土等の他に軟弱、獣名等があります。 中国の辞書、辞源
  (1915北京)では、泥について軟弱の意味で「長い背は泥」と古代からの引用があります(ヘビやキリンの首のようにと
  考えます)。要するに、グニャグニャした軟弱な状態を「泥」としています。
   中国語でも泥酔という熟語が唐代あたりから出ております(辞源より)。酒によって、筋肉が働かず身体がグニャグニャ
  した状態になることを泥酔、ぐっすり眠り 筋肉が働かない為にグニャグニャした状態を「泥のように眠っている」
  というのでは、と考えます。
   海底に住むドロという虫は伝説的な虫と言われています。泥酔は、ドロを根拠とするより「軟弱」
  という意味を根拠にするべきと考えます。

 2 将棋を指すという
   囲碁は”打つ"、将棋は”指す”というのは一般的に云われることですが、特に将棋を"指す”という云い方はどういう
  ことなろうかと疑問を持っている方が多いのではと思います。この事を、私なりに考察してみました。
   囲碁は古代中国から伝わったものでしょう、三国志にもよく語を打っている場面が出てきます。
 将棋は、インドあたりから伝わったとありますが、色々な国で、それぞれ特徴のある将棋があるようです。西洋将棋が
 「チェス」なのでしょう。(日本将棋連盟のHP・将棋の歴史参照)
 将棋はいろいろ変化しながら発展しかようですが、現代の将棋は江戸時代に一般的になったもののようです。
 将棋を指すということに関しての、ネット上の記述でもいろいろ記述があります。
   囲碁の場合は盤上の石は移動することがなく、必ず石を盤上に置くことになります。つまり、打つという動作の意味と
  して「囲碁を打つ」ということに違和感がありませんが、将棋の手は駒を移動する手が主で、かつその動作が指で指す
  ような動作があるので「将棋は指すという」ということになった。  という考え方が一般的なようです。
   しかし、筆者は違うのでは、と考えているのです。そのことを書いてみます。
   明治20年の本にある「将棋の指方大概」を見ると(江戸時代も同じと思います)、
   この資料から
 ① 将棋の指し手には、打つ、突く、行く、取る、退く(ノク)、上がる、下がる等がありますが、「指す」は
   ないのです。
 ② 駒台から盤上に置くのは全て「打つ」です。
 ③ 将棋する動作の中に「指す」はないのです。 従って、「指す」は将棋をするということに使うと云うことになります。
   駒を指で進めるから「指す」ではないということです。
  「将棋の指方」というのは、「将棋の指南」と同義と考えます、江戸時代に「剣術指南」があったように、「将棋指南」
  という言葉があったのです。 明治2年に「西洋将棋指南」という書が出ております。
   指南は指導という意味で、将棋の強い人、将棋を職業にしている人を「将棋指し」と呼んでいたのでしょう。のちに広く、
  将棋をすることも「将棋を指す」というようになったのではと考えます。
  
  駄足
   この「指南」という言葉の語原はご存じでしょうか? 
   中国の4大発明(火薬、羅針盤、紙、印刷)の羅針盤は方位を導く(指す)もので、北極星に向けると針が南を指すので
  指南針とも言われていました。
   すなわち、南を指して(導いて)くれる針から指南という。
   日本では指導という意味で使われるようになった、 ということと考えます。

 3 チマチマしたこと

   ヘチマの語源を追いかけている中で、違う収穫がありました。
  細かいことを、「チマチマしたこと」という人がいます。書いたのを見ることもあります。ひらがなで「ちまちま」が正しい
  のか分かりません。
   ネット上では、「ちまちま食べるな!」、「ちまちまとした考え」「チマチマしたことより根本的なことを‐‐」、
  などいっぱい出てきますが、要するに細かいこと、些細なことで使われているようです。
   またネットの日本辞典では「小さくまとまっている様子をいう」としていますが、ちょっと違うと想います。
  いろいろ調べても、語源ははっきり分かっていないようで、どこかの方言ではといっているのが大半です。
   この「チマチマしたこと」の語源がわかった(つもり)のです。
   ゴマ(胡麻・芝麻)を中国語辞典《応用漢語詞典》で「芝麻」で引いて見ていたら、引用で『拾了芝麻、失了西瓜』という
  ことわざが出ていました。日本語に訳すと、『ゴマを拾って、西瓜(スイカ)を失う』ということです。
   芝麻(ゴマ)は小さい、小さい粒です、これを拾っていて、もっと価値のある大きな西瓜を見逃すことのないように
  しなければ、という教えでしょう。
   中国では「只見樹木,不見森林(木を見ているだけで、森林を見ていない)」と同じ意味に解釈しているようです。日本でも
  ありますね、「木を見て、森を見ていない」などと。よく聴きました。
   また、前に書きましたが、芝麻は〝チマ〟と言いますから、細かいことは〝チマチマしたもの〟と言っても不思議ありません。
  『拾了芝麻、失了西瓜』は、チマチマしたことにこだわって、大事なことを見逃すな! というような格言的なものでしょう。
   日本のチマチマ(ちまちま)の語源はこの芝麻(ゴマ)〝チマ〟でしょう。

 4 君子遠庖厨

   孟子(紀元前372年~前289年)は戦国時代中国の儒学者です。この孟子が言った言葉に「君子遠庖厨」があるのです。
  これは、「君子は厨房に近づかない」と訳せます。
  どこかで聞いたことのある文句です。 日本では、40年くらい前までは「男子厨房に入らず」という人がいました。
  これは、武家社会での男女役割分担が元になっていたものと思っている人が多いのではないでしょうか。
   しかし、日本の「男子厨房に入らず」は、孟子の「君子は厨房に近づかない」の意味を知らず、君子を男子に言い換え
  たのではないかと推測できます。 文字通りの意味は同じなのです。が、日本でいう「男子厨房に入らず」という意味は、
  “男子たるもの女子のようなことはするな”“台所の仕事は女の仕事だ、男のすることではない”というような意味合い
  でしょう。
   中国の「君子は厨房に近づかない」の意味は、『徳(仁)の高い者は、牛馬や鳥等の家畜がされる厨房には近づく
  べきでない。高徳(仁)の人が食事を安寧に食べられるようにと配慮した言葉である』というのが一般的な解釈でしょう。
  中国の庖厨(厨房のこと)は古代から家畜が飼われており、厨房内で生き物をし料理するところです。
   生き物をするところを目にしたり、声を聞いたり、臭いを感じたりすると、いろいろな食べ物を食べられず、健康を
  害することになるからです。 高徳の者ほど厨房には近づくべきではない。ということでしょう。


 5 ヘチマ野郎は誤解?

   「ヘチマ野郎」、この謂れが分からないのです。ヘチマは薬やタワシになり、食べられるし、言われる筋合いが無いのです。 
  そして、著書やネット上でも納得できる説がないのです。「ヘチマの皮」のこと、役に立たないのは皮だけ、ということなら、
  「へちまの皮野郎」とならなければなりません。これは、なにもヘチマだけではありません。他の瓜や他の食材の皮と同じで、
  ヘチマだけ言われることもないのです。
   問題は、何もしない、役に立たない、バカ者と呼ばれることで、どうしてヘチマが出てきたかです。
   ヘチマの語源を探究しているなかで、このことが分かったような気がします(確信はありませんが)。
   織田信長は「うつけ者」といわれていました。 問題は「ヘチマの語源」の項で述べた、1595年の≪羅葡日対訳辞書》です。
  ラテン語でCuculusは「ホトトギス」、次のCucumaは「うつわ者のたぐい」、次のCucumerは「キュウリ・かも瓜」と「うつわ者
  のたぐい」、Cucumisとして「ヘチマのたぐい」とあるのです。
  「ホトトギス(後の辞書ではカッコウ)」、「うつわ者」「キュウリ・かも瓜」「ヘチマのたぐい」が連なっているのです。
   現代英語でカッコウ(Cuckoo)は学名がCuculusです。英語の辞書でカッコウ(Cuckoo)を引くと、「鳥のカッコウ、ばか者」
  とあります。ホトトギスやカッコウは托卵で、生んだ卵を他の鳥の巣に置き孵化、育ててもらうからです。欧米では男を罵しる
  言葉の一つに「カッコウ」があるのです。「うつわ(器)者」は「うつけ者」と同意です。これに「ヘチマのたぐい」が連なっ
  ているのです。 この《羅葡日対訳辞書》を見た方が、ヘチマとうつけ者を一緒にしてしまったのでは、と思いたくなります。

 6 本末転倒
 
   よく聞く、言われる「本末転倒」ですが、中国から伝わった4文字熟語です。中国語で「本末倒置」といいます。
  意味は日本で言われていることと同じです。
   この「本」、「末」はご存じですよね。 「本」は大事なこと(本質的なこと)、「末」は末端の些細なこと。と解している
  方が多いのではと思います。正確にはちょっと違いますので書いてみます。
   「本」は、樹木の根っこのことです。生育にもっとも重要な根のことです。辞書では「本」という字の意味はまず「根っこ」
  が出てきます。 根本という熟語があります。根も本も両方とも根っこです。中国語は同じ意味の漢字を重ねた熟語が多いので
  す。身近なところでの例は、樹木、根本、腐敗、道路、研磨、店舗等々です。
  「末」は樹木の先の細かい枝葉のこと事です。「末」という字は細かいという意味にも使います。粉末(これも同意字の重ね)
  のように。
   木が倒れる、樹木にとって大事な根っこのような話と、毎年枯れ落ちるような細かい枝葉のような話をわきまえていない。
  あるいは扱いを逆にしていることを「本末倒置(転倒)」といいます。