Sparkring Life

旧・京都Sparkring Life
通って住んだ足掛け10年の京都生活を終え、横浜に住まい中。
書く人:maiky

【祗園祭】還幸祭(1)

2008年07月25日 | 【京都】祗園祭


いつもの場所で、ほんとうの祗園祭が始まる。




八坂神社の祭神・スサノオノミコトの魂を乗せた神輿、「中御座(なかござ)」を先導するのは、
神の使者として位を授かった、久世駒形稚児。
胸元に、白幣に包まれた馬の首(駒形)を抱きます。
還幸祭の先導をするのは、12日にお位を授かった、竝川(なみかわ)峻輔君。



そして、神輿を担ぐ與丁(よちょう)さんの掛け声が聞こえてきました。



子どもたちが、大人に続いて声を張り上げます。



三基の神輿は四条寺町の御旅所を出た後、氏子区域を練り歩きます。
神様の渡御です。

祗園御霊会(祗園祭)の起源となった神泉苑に、中御座が到着しました。
担ぐのは、神泉苑以南の三条通を中心とした若衆、「三若神輿会(さんわかしんよかい)」。



そして、発祥の地である「御供社(ごくうしゃ・おともしゃ)」は、三条会商店街の中にあります。
そう、私の行きつけの喫茶店「てらまち」を始め、週に何度も出かけるお馴染みの場所。

御供社は往時の神泉苑の南端にあたり、平安京の大内裏にありました。
ここ、三条大宮は平安時代より「祭の行列を点検する場所」だったようです。
そのため、今でも三基の神輿が御供社に参じ、奉饌が執り行われているそうです。
(詳しくは、八坂神社のHPにて)

まず始めに中御座が到着し、鳥居の前で激しく神輿を揺する「差上げ」が行われました。
私はすぐ横の店の前にいたので、物凄い熱気に窒息しそうになるほどでした^^;

神輿は相当な重量です。
何人もの與丁さんで担いでも、それぞれの肩には血がにじんでいました。



続いて、スサノオノミコトの奥様であるクシイナダヒメノミコトを乗せた東御座が到着。
担ぐのは三条京阪東南の若竹町を中心とした「四若神輿会(しわかしんよかい)」の方々。

神輿を担ぐために取り付けられた長い柱を「長柄(ながえ)」というのですが、
新調したばかりの四若さんの長柄はとんでもなく長い!!
大宮通から三条へ入るのにちょっと時間がかかりました。



いったん仕切りなおして・・・



「ホイットーホイットー」の掛け声で御供社へと向かいます。



そして最後は。



スサノオノミコト・クシイナダヒメノミコトのお子さんであるヤハシラノミコガミを乗せた、
西御座が御池通から大宮を南下して三条へやってきました。

担ぐのは、錦市場の若衆を中心とした「錦神輿会(にしきしんよかい)」です。



こうして三基の神輿が御供社へ参じ、氏子区域をそれぞれのコースを進んで、
八坂神社へと還ります。



(あ、てらまちマスターが写ってる…写真左下の帽子の人)

神輿が全て行ってしまうと、商店街はたちまち静けさを取り戻します。

本来、神様が氏子区域にお渡りすることが御霊会の形。
「祗園祭=山鉾巡行」のイメージが強いですが、この神輿渡御こそ祗園祭の姿。



7月の終わりに、本当の祗園祭が輪郭を示します。





っということで、今年もてらまちさんのご好意で「みこし弁当」を分けていただきました!
(去年も…



「みこし弁当」とは、神輿を担ぐ與丁(よちょう)さんのための夕食です。
竹の皮に包まれた白飯に梅干、たくあん、そして黒胡麻。
このお弁当には無病息災と安産の霊験があるそうです。
作るのは、中御座を担ぐ「三若神輿会」の男衆の方たち。

ご飯にお漬けもんの香りと色が移って美味しいのだ~^^
私もこれで活力がつきました!!

還幸祭の詳しくは、去年の記事をぜひ見てみてくださいね。【過去記事(1)(2)
トップ写真の金具が何なのか、お分かりいただけると思います。



神輿が八坂神社に還るまでに、私もこのお弁当を食べて。
再び夜の八坂神社へと向かいました。
花傘巡行で始まった7月24日は、まだまだ終わりません。


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【動画のみどころ】
神輿差上げのとき、担ぎ手以外の人が担ぎ手の腰を支えてサポートしていました。
「ホイットーホイットー」の時の足の運び。
現場の熱狂感!!