- 松永史談会 -

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8月6日の西町界隈

2017年08月06日 | 断想および雑談
往時は商業施設が立ち並んでいた新小路


小路 S.H.さんの駐車場.この旧桑田家屋舗は明治末に綾筵社(綾筵舎)の店舗があった処だ。

Xは船町、黄色線は鞆往還。


内小代と外小代の境(『松永村古図』に小代古堤の記載)をなす松永中学敷地沿いの道路、から見た北側⇒正面の山は広岡山。


上記の道路から南を見ると明治24に開通した山陽鉄道線路敷。高さ3メートルの大堤防上に線路敷が造成されたたため、干拓地:元禄期の「西島」(⇒小代島)はこの線路の南北で大きく環境が変化。鉄道線路のコースは船町辺りで入江屋石井一族の屋敷群を避けるかのように微妙に変更(屈曲)されたか。

船町の共同井戸

かつて下駄を運んだ大八車。

旧石井忠屋敷はいまはこの通り、分譲住宅地に。


小代島立入川は埋め立てられ、割烹大吉前は大通りになった。祠横に共同井戸:増川。むかしは七夕に日に共同井戸の一斉清掃が行われた。


参考資料
地域概念図



旧石井四郎三郎屋敷の地番(明治34年段階)///屋敷地番≠地番。 

注意)地番と屋敷地番とは異なる。石井四郎三郎家住宅は現在の西町「大吉」一帯にあった。このあたりの明治8年の野取帳が現存(福山市歴史資料室)。これにより地番確認は可能だが、これには屋敷地番の記載はなし。
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