- 松永史談会 -

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この一年間に集めた高島平三郎関係の文献史料と論文原稿(2014年7月投稿)

2016年06月03日 | 高島平三郎研究
この一年間に集めた高島平三郎関係の文献史料と論文原稿、July 21 [Mon], 2014, 19:32
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松永村小代地区において砂畑を共有した惣右衛門・又三郎・孫右衛門・市郎兵衛

2016年06月03日 | ローカルな歴史(郷土史)情報

孫右衛門・惣右衛門・市郎兵衛・又三郎の三人による共有地がある。
剱脇新開は今津村と西村との論所となってきたところだが、新開面積田畑合計1町1反8畝27歩の65%に当たる7反7畝(大半が畑地)を惣右衛門が保有していた。この惣右衛門は安毛の住人だ。この惣右衛門が小代の砂田を共有したご本人かどうかは俄かには断じ難い。


孫右衛門は未確認だが、3番目に名前の記載されている市郎兵衛は居住地の注記はないが今津村・東剱脇の住人かな。


又三郎は西村の住人にもいたが・・・・

元禄13年西村検地帳より


名前だけ書かれているだけなので(同姓)同名ということは大いにありうる。


本郷村には津つら地区に上畑8畝2歩を保有する惣右衛門という名前の人物もいたし・・・。今津村検地帳に登場した神村在住の惣右衛門と延享3年「今津村剱脇新開地詰帳」にたくさんの畑を登録されている惣右衛門とはおそらく別だったろうし・・・・(同一人物であった可能性も排除せず、さらに検討が必要)。松永村の検地帳から出作・入作状況(その後の研究で松永村槇村新涯は神村の五左衞門=和田石井氏が請人=開発者であることが判明(墓石:一番ジャンボな笠付墓)は今津薬師寺本堂裏・西端にある)。そういう藩政村を超えるケースもあった)が判れば面白いと思うのだが・・・この点のチェックはようやく緒に就いたばかりだ。




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