時が過ぎてしまえば、
「俺たちの高校の卒業式ってコロナのせいで…」とか、
「3年生担任として気持ち良く卒業生を送り出すはずの卒業式が…」と、
当時卒業生だった人も、担任だった人も、
今のこの事態を懐かしく振り返る時が来るのでしょう。
日本だけでなく世界中で、
この異常事態の収束と、一刻も早い日常生活の回復がなされますよう、
祈るばかりです。
皆様、こんな時こそ、
せめて心は健やかにお過ごしください。
また、ある人と話して勉強になりました。
こういった異常事態を迎えると、
「政府はどうしてくれるんだ?」
「会社は仕事を休んだ分の金は補償してくれるのか?」
「学校(幼稚園)は子どもを預かってくれるのか?」
「学校は休校中の宿題はしっかり出してくれるのか?」
というように、誰が自分(自分の大切な人)のために、
何をやってくれるのか?で頭が一杯になる傾向があります。と。
抱えている現実と不安から、そのように考えるのはある意味当然です。
しかし、自分で考え行動を起こすこと、「自分のことは自分でする」
すなわち「自立」した状態を持てれば、
活路を見出せるものもあるはずです。と。
(個人の力では無理なものは当然ありますが)
それを聞いたオイラ、
大切なことはバランス感覚だと思うのです。
生き抜く上で、自分の自立は多数の人にお世話になること、
逆に多数の人のお世話をすることそれは自分の自立につながるのかもしれません。
高い次元での「持ちつ持たれつ」が真の自立ではないでしょうか。
G
みなさん、こんばんは。
暖かかったり寒かったり気温の変化が激しく体調管理が難しい今日この頃ですが、みなさんの体調はいかがでしょうか?
世間ではコロナウィルスの感染拡大が日々報じられています。マスクの品切れでしたくてもできないという方も多いのではないでしょうか。しっかりと手洗い、うがいをする、多数の人が集まる所へは行かないなど、今できることはしっかりとして対策をしておきたいですね。
あとは当然しっかりと栄養を摂って、たっぷり眠って健康な体を維持することが大切です。
無症状のまま感染を広めてしまうケースもあるようですが、まずは本人が気をつけることが一番重要だと思います。まずは自分、そして自分の身近な人たちを守って、その上で他の人にうつさないように心がけられれば多少なりとも感染拡大抑制に繋がるのではないでしょうか。
さてそんな中、高校3年生は卒業記念旅行が中止になり、今度は卒業式も虚構できるのか心配する状況です。
ある大学が今年度の卒業式と来年度の入学式を中止にしたというニュースも目にしました。
学校としてまずは生徒の安全が第一です。保護者の皆様も当然同じお気持ちでいていただいていることと思います。
それでもやはり高校3年間の集大成。できればしっかりとした式典を挙行して、卒業生を送り出したい。彼らにも晴れやかな気持ちで高校生活を締めくくってもらいたい。でも安全第一・・・
とても悩ましい毎日ですが、予定している卒業式当日はもう2週間後に迫っています。
自分一人ではどうしようもないことで悩んでも仕方はありませんが、それでもやっぱり悩ましいものは悩ましい。
残る登校日はあと8日。
悔いなく卒業の日が迎えられるように、できるだけ悩まずに、お互いにできることを、やるべきことを積み重ねて1日1日を大切に過ごしていきましょうね。最高の卒業式にしましょう。
それではまた、学園で待っています。
こーへい
みなさん、こんばんは♡
高等部では本日、後期試験(ANNEXは単位認定試験)1日目でした。
今日は、みなさんの努力の跡をなぞりながら採点しました。
明日も試験対策頑張ってね。
さて、ここ最近『きく』ということについて考えさせられました。
よくあるのは、『聞く』と『聴く』の違い。
門構えの中の小さな耳の『聞く』は『聞こえる』に等しく音として情報を耳に入れること。
対して大きな耳に十の目と心と書く『聴く』は、身を入れて『聴き取る』こと。
教員生活をしていて、生徒や保護者の皆さんが話してくれることに対して、
どんな『きき方』をしているかなぁと日々振り返りますし、逆に私自身が話をしたいとき、
目の前の相手の人は、聞いてるのか聴いてるのか、感じることもあります。
また、馴染みは薄いですが『掬(きく)』という字もあります。
『掬する』といって、水を両手ですくうことや、心持ちを推し量ることを意味する語です。
私がこの言葉を知ったのは漢字検定の勉強ですが、それ以来、
相手が言葉に出来ないことも推し量りながら『掬(きく)』ことが出来る人を
尊敬するようになりました。相手の心持ちを『こうなんだろう?』という決めつけではなく、
『こういう風に感じたんじゃないかな?』と共感と想像をもって、しみじみと感じること。
聞く、聴く、掬。
みなさんは普段、どんな耳をもっていますか??
(聴くといえば、落語が好きな)マリオより。
深夜、あるお店に入りました。
そのお店は、
オイラがここ春日部で勤め始める前からありました。
「いつかお昼ごはんでも食べよう」とは思っていました。
しかし、つい最近まで立ち寄ることなく時間が過ぎていました。
オイラともう一人、深夜にフラフラと歩いていると、
ちょうどその店の前を通りかかりました。
「前から気になっていたお店なんだが…入らない?」
と相方に聞くと、
「いいっすよ!」との答え。
階段を上り、そのお店へ。
店主は気さくなオヤジさんで、いろいろと話しました。
「1981年からここでこのお店をやっているんだ。」
「オイラたちも1981年生まれです!」
「お店と同い年だ!」
などなど。
楽しかったです。
春日部では、
オイラが知っている限り、
2つの老舗飲食店が最近になって閉じました。
どちらも創業40年以上とのこと。
お疲れ様でした。その商売年数に尊敬します。
そういえば東武動物公園も1981年開園でしたね。
時代のニーズをよみ、改良に改善に、手を加えて、
お客様を獲得しているとのことです。
G
元号は古代中国の前漢の武帝の時代に始まったとされています。これは、皇帝の統治権を象徴する称号であり、皇帝権力の集中を内外に示すこととなります。したがって、政権の批判勢力はこれを否定するために、独自の元号を建てて使用することもあったようです。
日本でも、天皇による統治の正当性の証として元号が使われましたから、室町幕府と対立した古河公方足利成氏が改元を無視して以前の元号を使い続けたという例もあります。もっと遡れば、平安時代の南北朝時代にはそれぞれが天皇の直系を示すために、独自の元号が用いられました。北朝では、暦応(りゃくおう)・康永(こうえい)・貞和(じょうわ)・観応(かんのう)・文和(ぶんな)・延文(えんぶん)・康安(こうあん)・貞治(じょうじ)・応安(おうあん)・永和(えいわ)・康暦(こうりゃく)・永徳(えいとく)・至徳(しとく)・嘉慶(かきょう)・康応(こうおう)、南朝では延元(えんげん)・興国(こうこく)・正平(しょうへい)・建徳(けんとく)・文中(ぶんちゅう)・天授(てんじゅ)・弘和(こうわ)・元中(げんちゅう)がそれぞれの勢力範囲で使われました。
南北朝が統一された後、南朝の元号はなかったのもにされたのですが、明治天皇が自身も属する北朝の正当性を否定したので、逆に北朝の元号が皇統から外されました。
明治期から元号は天皇の存命中のみ使用すると皇室典範で決められていましたが、戦後皇室典範が改められたときに法律的根拠がなくなりました。しかし、元号法の制定により昭和の元号の法律的根拠が成立しました。
そして、平成が新しい皇室典範で民主的に選定され、生前退位により平成から令和に時代が移りました。今回の生前退位は1度限りの制限付きで法的に認められましたが、今上天皇の代替わりではどのような処置がとられるのでしょうか。
女性・女系天皇の問題もまだ決着がついていません。令和の時代では新しい日本の皇族の在り方が議論されることになるでしょう。