えくぼ

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「迷ったら『万葉集』そして古典」 その二

2019-04-21 14:02:52 | 歌う
昨日は『万葉集』について秋葉四郎、秋山佐和子、池田はるみ、の解説を、今日は「そして古典」 について書く予定だが額田王の歌は記したい、

阿木津英 (八雁)
🔘快癒と導きと

三輪山を然も隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや (額田王)

長年歌を作ってきながら、歌というものがわからない。そんなときに甦るのが『万葉集』の歌。額田王の歌に潜むものを感じ分けようと試みる、「巻一」 私も万葉集には額田王が大切ですね、阿木津さん。彼女の存在はロマン!

島田修三 (まひる野)
🔘掟破り、境涯、生きざま

秋風にうき雲たかく空すみて夕日になびく岸の青柳

京極為為兼『風雅和歌集』巻五
「うぐいす」は春を、「ほととぎす」 は秋を背景にして「本意」を発揮、為兼のこの歌は歌学的には掟破り、主体の目の動きは実に自然でリアル、革新性に島田修三は惹かれると述べている。私は万葉の歌のほうが素直で馴染める

吉川宏志 (塔)
🔘嗅覚と動詞


梅の花にほひをうつす袖の上に軒もる月のかげぞあらそふ (藤原定家)

『新古今和歌集』巻一
定家の歌を読んでしばしば感じるのは、動詞の使い方の独特の工夫である。月の光が「あらそふ」もそうで「月光が射す」き 「月の光が照らす」 といった常識的な動詞の使い方から逸脱しようとしていると吉川宏志。斬新で複雑な表現を試みる新鋭の歌人は 万葉集より近代に近い古典に親しむのか。

わたしは、いま万葉集に親しみたい。とっぷりと万葉集に浸りたい。零和がわたしに近づいてくる!