ふたりの永田紅①
「癌になると、白米を玄米に変えたり、有機栽培の野菜を選んだり、食物を見直そうとする人は多い」から始まる永田紅の「病気と食べ物」は、うた新聞11月号に掲載されている。歌人の永田紅ではなく学者の永田紅のエッセイなのか。検索しながら驚く。わたしの苦手な才女、スゴイ才女なのだ。多剤耐性および膜指質動態に関わるABCタンパク質の解析により京大より農学博士号を取得、現在助教授。その永田紅の文が読みやすいのである。
「母(河野裕子)は乳癌が見つかったあと急に食材を変えるということはなく、家族の食事を作ってくれた。そんな中で自分の食べ物を詠んだ」。
◉ 卵かけごはんを二杯かけこめり滋養じやうと呪文をかけて
「癌の手術後しばらくの歌である。滋養じやう が懇ろで切実だ。単に体に栄養を取り込むという意味を超えて、滋養には何かじんわりしたありがたみがある。卵かけごはんは、シンプルながらもおいしいものだが、あのあたたかな黄色には祈りのような気配さえ感じる」。
※ 私は詩を読んでいるような心地がした。永田紅にとって卵はただの卵ではないのだ。母と彼女を強く結びつける食べ物なのだ。
「家族のいない日中、あるいは家族の帰りの遅い夜、一人ですませた食事だったのだろう。今更ながら、そのような一人時間の不安の処し方に思いをいたすものだが、そこに卵かけごはんが登場することに、安堵する」
※ 私も安堵する。河野裕子が世を去ったのは64歳だったと思う。平均寿命より20年も早い死。歌人として注目されている時期に何とも無念な死だ。しかも完治したかに思えた時に再発、一人娘の紅は母と共に苦しんだであろう。亡くなったのちも、母の作品は慰めになる歌より辛い歌のほうが多いのでは、。「病気と食べ物」のエッセイは学者としてではなく河野裕子の娘の歌人・永田紅である。13歳から詠んでいるらしい。あゝ二刀流!
11月14日 松井多絵子