今年の東京都立高校の卒業式で「君が代」斉唱時、不起立の教職員が激減したとの報道があった。
その背景には厳しい都教委の処分がある。昨年は約250人が処分を受けた。今年も続けて不起立なら更に厳しい処分は必至と思われ、仕方なく起立したのであろう。苦渋の選択を迫られた先生たちに同情する。
私が教員になったとき、日教組のスローガン「教え子を再び戦場に送るな」を知って感動したのを思い出す。戦時中、お国のため、天皇陛下のためにということでたくさんの命が奪われた。いや、奪われたばかりでなくたくさんの命を奪いもした。戦争とはそういうものである。
大切な子どもたちをもう戦場に送りたくない、その気持ちがかつて戦時の象徴であった「日の丸・君が代」の強制に対して反対を唱えるのが教師の戦いであった。
しかし、今や「日の丸・君が代」に反対する教師は少数派になってしまった。昔は、職員会議で遅くまで議論を闘わせたが、近年は話題にものぼらない学校が多い。特に若い先生たちは全くと言っていいほど関心がない。日教組の組織率も低下の一途を辿っているらしい。
今はまだ新聞を少しにぎわしているが、あと数年して団塊世代の先生たちが定年を迎えたら、君が代斉唱と日の丸への敬礼は当然のことになっているに違いない。
そして、着実に「教え子を戦場に送る」日が近づいてくる。
その背景には厳しい都教委の処分がある。昨年は約250人が処分を受けた。今年も続けて不起立なら更に厳しい処分は必至と思われ、仕方なく起立したのであろう。苦渋の選択を迫られた先生たちに同情する。
私が教員になったとき、日教組のスローガン「教え子を再び戦場に送るな」を知って感動したのを思い出す。戦時中、お国のため、天皇陛下のためにということでたくさんの命が奪われた。いや、奪われたばかりでなくたくさんの命を奪いもした。戦争とはそういうものである。
大切な子どもたちをもう戦場に送りたくない、その気持ちがかつて戦時の象徴であった「日の丸・君が代」の強制に対して反対を唱えるのが教師の戦いであった。
しかし、今や「日の丸・君が代」に反対する教師は少数派になってしまった。昔は、職員会議で遅くまで議論を闘わせたが、近年は話題にものぼらない学校が多い。特に若い先生たちは全くと言っていいほど関心がない。日教組の組織率も低下の一途を辿っているらしい。
今はまだ新聞を少しにぎわしているが、あと数年して団塊世代の先生たちが定年を迎えたら、君が代斉唱と日の丸への敬礼は当然のことになっているに違いない。
そして、着実に「教え子を戦場に送る」日が近づいてくる。