国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

次第に暴走

2024-08-19 | 番外
本の手持ちが少なくなってきたため、土曜日には食料品の買い出しのついでにブックオフへ寄り5冊買ってきました。そのうちの1冊を昨日から読んでいます。これです。その第三章「将棋の才能とは何か」ではこの人(女性の方)の著書からの引用として、こちらのブログ記事で紹介されている6分野がそっくりそのまま掲載されています。それらのうちで自分に当てはまるのはせいぜい「他者と違うことを気にしない」や「特定の興味のある分野に対しての幅広い読書」ぐらいかな(他に自惚れ気味ながら「一人で物事を考えられる」と「ユーモアのセンスがある」も該当する?)と思いました。(芸術への嗜好は人並み以上でも自分で表現する能力は明らかに欠如しているし、リーダーシップはないに等しい。)

ここからが言いたいことですが、もし少年時代の自分に何らかの才能があったとして、それを見出して伸ばそうとしてくれるような教育者には残念ながら一人として巡り合えませんでした。むしろ小中の教師には「こいつを何とかして矯正させなければならない」という悪しき意味での使命感を抱いていたとしか思えない教師が複数いました。もちろん例外なく大嫌いでした。(幸いにも高校からはそういう不愉快な思いをせずに済みましたが。)ちなみに、その中の最悪の一人が最終学年の担任だったため、同窓会の案内が届いても(注)断固無視することに決めていました。あるいは私の与り知らないところで開催されていたのかもしれませんが(苦笑)。(注:その当時の担任が十数年前にS川を渡ったと風の噂で知ったので、そのリスクはかなり減ったと思います。)あと「原子爆弾」という異名を持ち、今だったら一発アウトの暴言や体罰を頻繁に行っていた教師が担任だった2年間も苦痛でしかありませんでした。後年その男が市の教育長になったと聞いて「世も末だ」と嘆いたことをよく憶えています。(そういえば大学時代には「奨学金を返さなくてもいいから」という理由で教職課程を取ると言い放った同級生がおり、「そんなんが教師を志すんだから (不適格者が一定数生産されるのも) 無理はないわな」と思ったことも。)

既に暴走気味なのを自覚しているので、これを最終段落とするつもりですが、もし過去に戻れるとしたら、そういう連中に「自分の理解が及ばない生徒には下手に指導をするな。少なくとも足を引っ張るような真似だけは絶対に止めとけ。」と言ってやりたいです。おそらく今も学校で才能の芽を摘まれている子供がいるはずと考えたら胸が痛みます。
Comments (3)
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