国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

秘策再び

2018-01-06 | 帰省(2017〜18)

部屋に戻ってパッキングを始めました。サンパウロでスーツケースを一つ捨ててきましたが、ご家族へのお土産の分だけ荷物は減るので上の二つプラスデイパック二つで余裕のはずでした。ところが、こちらでも怒濤の勢いで買い物したのとご家族からお土産をたくさん頂いたため入りきらなくなってしまいました。

そこで小デイパックの代わりに一番上のお姉さんから借りたキャリーバッグを使うことに。(最初はLindaがニューヨークから持って来たのを引っ張り出してきたのですが、残念ながら下のサイズ制限を超えていました。)

これでボリューム的には解決しましたが、Lindaの大きいスーツケースは30㎏あり、ボリビアーナ航空はOKでもエアチャイナには積めません。そこで帰りも秘策を使います。こちらは事前に考えていたものではなく、苦肉の策として捻り出したものです。やはり詳細は後日に。

帰国後追記
 ということでその秘策について。Lindaが来る時に担いでいた小デイパックは私が長年土曜の日本語教室で使ってきたものです。「もう使わないからこちらに置いてくる」(捨てるか貰い手がいれば誰かにあげる)というのを「愛着があるから」などと説き伏せ、1枚目の画像のように小スーツケースに挟んで持って帰ることにしました(サンドイッチ作戦)。が、重量オーバーが発覚したため急遽陽の目を見ることに。つまり往路と同じようにボリビアーナ航空(一人1個)とエアチャイナ(一人2個)の預け荷物制限の違いを利用しようと考えた訳です。
 サンパウロまでは2個のスーツケースに詰められるだけ詰める(各30kgまで)。機内持ち込み荷物は大デイパックと借り物のキャリーバッグ。そしてサンパウロに着いたらまず小デイパックを取り出してキャリーバッグの中身を移す。入らない分は大デイパックへ。次に二つのスーツケースから中身を7kgずつ取り出してキャリーバッグに詰める。(スーツケース2個に加えてキャリーバッグも名古屋までの預け荷物になります。)大小デイパック(機内持ち込み)は7kg以内なので、最後に超過分をキャリーバッグに押し込む。これで完璧です。
 ただし、この詰め替え作業をスムーズにするため、事前に「重い物はこっち、嵩張る物はあっち」と入念なシミュレーションとリハーサルを行いました。それでも実際にはコチャバンバで預ける際にスーツケース大が31.5kgあり、持ち込み荷物も(計測はされなかったものの)制限を少し超えていたようですが、大目に見てもらいました。が、その時に判った正確な数値のお陰でサンパウロではギリギリ収まりました。(ただし重い物を集中的に詰め込んだキャリーバッグを預け荷物にしたのは迂闊でした。他に方法はなかった訳ですが、こちらの落ち度にされたため詳しく書きたくはありません。癪に障るので。)
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最終日は大盤振る舞い(画像41枚)

2018-01-06 | 帰省(2017〜18)

朝食で肉が出なかったのはいつ以来でしょうか?(ハムはありますけど。)少し前から下痢気味だったのを配慮してもらったのかもしれません。それにしてもカイワレがこちらにもあったとは。

滞在中ほとんどコチャバンバ市内から出ることがなかったので気を遣っていただいたんでしょうね。またしても末の妹さんの御主人の車で、今度は少し遠出をすることになりました。ほぼこのルートだったと思います。当初はリンク先地図の国道4号線をさらに進んでチモレ(国際空港もある街)まで行こうという話だったようですが、それだと片道4時間かかるため夜中に出発しなければならないということで、結局ほぼ半分の行程になりました。(ちなみにボリビアの国土面積は日本の約3倍ながらこちらにある通り県は9しかありません。つまり一つ一つがかなり大きいということ。なので仮にチモレまで行ったとしても比較的小さなコチャバンバ県を出ることはなかったのでした。)


ガソリンスタンドの警告。禁煙は当然としても携帯禁止はなぜ?(火花が飛ぶ?)






途中から山道になります。大型トラックは時速30km程度のノロノロ運転なのでどんどん追い抜いていきます。登坂車線があれば、というのは無いものねだりですね。



やがて霧がかかってきました。コチャバンバ市内よりは明らかに湿気が多い感じ。次第に周囲の緑も増えていきます。二番目のお姉さんの説明に寄れば、高地の乾燥気候から熱帯気候への変わり目を走っているということでした。(Googleマップの航空写真でも植生がガラッと変わるのがわかります。)

車内からの撮影なので風景が流れるのは当然ですが、猛スピードで坂を下るサイクリストはこうなりました。


マラガ橋(Puente Malaga)を渡ってすぐのところで右折して土道に入り、しばらく進んだら河原に出ました。(既に先客がいました。)



そして滝も。小規模ながら観光スポットのようです。


Lindaの末の妹さんは背格好も髪の色も違っていて普段は明らかに別人28号(©山下洋輔?)と映るのですが、さすがは姉妹ですね。こうして見るとよく似ています。

ここで折り返し、予約を入れていたLaguna Esperanza(希望の湖)というレストランで昼食を取りました。




料理が出来上がるまでの間、湖の周囲を散歩し、ちょっとだけボートにも乗りました。

この奥で鱒の養殖をしているらしいのですが、猛犬が何頭もいたため撤退。

ベラスケス四姉妹です。(あと二人おられます。)



メニューは鱒の塩焼きとフライの2種類だったので私はLindaとシェアしました。こちらに来て初めてまともな魚料理を食べました。ご馳走様でした。

帰路で交通事故現場に遭遇。やっぱ怖いわ−。

ピンクの花が咲いているのはジャガイモです。


そして村の市場で買い物。



再び緑の乏しい景色へと変わり、コチャバンバ市に戻って来ました。

帰還後しばらく休憩し、それからお父さんの家へ別れの挨拶に行きました。何年後になるかは分かりませんが、再会の日が来ることを祈っていますよ!

最後の夕食は子羊(cordero)。元日の子豚とは対照的にカリッと焼き上がっていましたが、それもまた美味でした。連日いろんな肉料理を出してもらいましたが、これで食べ納めです。

そして夜はお別れのお茶会がありました。Lindaの表情も少し寂しげでした。短い間だったけど皆さん本当にありがとう。
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