国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

久々の番外がこれ(苦笑)

2017-08-07 | 番外
前にも書きましたが、今年2月から町の自治会役員(広報委員)をしています。業務は月2回発行の「広報ながはま」の配付(組長さんの家に必要部数を持って行く)で、その仕事自体は大したことがないものの、日曜夜に役員総会や評議委員会がしょっちゅう開催されるのには参ります。そのため南米礼拝に顔を出す回数も激減し、月1〜2度に留まっています。が、その数少ない参列機会における私の関わり方も以前とは違っています。

当初は聖書を持って行って該当ページを開いたりしていましたが、とくに心に訴えかけてくるような話は聴けなかったので、そのうちに止めました。また説教の通訳をされていた方が多忙のため来られなくなってからは、毎回何かのテーマについて母国語の異なるグループ(西語、英語、日本語)に分かれて議論するというスタイルに変わりましたが、これも最初の数回こそ西語グループの会話を聴いていたものの、やはりつまらないので抜けました。(今はその間持ち込んだ文庫本を読んでいます。)ここで開き直りですが、説教にしても議論にしても結局は「中にいる人」しか相手にしていないのだから、「部外者」の私が退屈と感じるのはむしろ当然ではないかと思うのです。

ということで、最近の礼拝では皆が祈っている時に自分も何かお願いしたくなったら心の中でこう言っています。

「Lindaが信じているらしい神様、もしいらっしゃるならどうか彼女をお守り下さい。」
(間違っても自分のことで頼み事はしません。曲がりなりにも仏教者ですから。)

ついでながら、私は少し前(数年前)からこんなことを考えるようになりました。(長いことああでもないこうでもないと考えた末でのことです。)

「自分は神(絶対者)がいてもいなくてもどっちでもいいような生き方をしよう」と。

後になって「神がいたからこうなってしまった」とか「神がいなかったからこうなってしまった」などと愚痴をこぼすような真似だけはすまい、とも思います。要は「自分の人生は自分で責任を取る」ということです。(月並みですが。)

これはドストエフスキーの小説(とくに後期の長篇)を読んで朧気ながら感じてきたことです。その登場人物のうち滅びへと向かっていったのは例外なく「どちらかに徹しきれなかった人間」と思われてなりませんでした。あと大きいのは同じくGooブログを運営されているお坊さん(禅宗)の影響でしょうね。(前にも何か書いていたなと思い当たって探してみたら2年前の同じく「番外」のコメント欄でした。なお明日も番外ですが、内容は全然違います。)
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