国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

何かの縁

2016-01-05 | 結婚@Bolivia〜来日
この日はコチャバンバ在住のこの方を訪問することになっていました。コチャバンバへ行くことが決まってからは、どうしてもお目にかかりたいと思っていたのです。(私もこの番組をたまたま観て非常に感動した一人なので。)日本で支援をされているお姉さんを通じて訪問の了解は得ていました。が、当日になって落とし穴にはまりました。

私が場所を確認しておかなかったのが一番良くないのですが、乗り合いタクシーで市の中心部にある "San Martín de Porres" という名のカトリック教会を訪ねたものの、そこは本来の目的地「聖マルティンの家」とは全くの別物。途方に暮れた私たちはLindaのお兄さんに連絡を取って調べてもらったところ、その施設にいる障がい者の子供達が作った工芸品を売っている店が近くにあると判明。まずはそこを訪れ、店の人に電話で野原さんを呼び出してもらいました。

判ってみれば何のことはない、「聖マルティンの家」は私たちが滞在していた場所からさほど遠くないところにありました。(まったくの無駄足を踏んで2時間以上ロスしました。繰り返すように任せっきりにしていたのが敗因です。)ちょっと自信がありませんが、たぶん場所はここだと思います。

この施設で精神・身体のどちらかまたは両方に障がいのある8人の世話をしているとのこと。いずれも親はいないそうです。施設内を見学させていただきましたが、中にとても気性の激しい子がいると聞いたのでカメラを向けるのは自粛しました。(建物の外壁ぐらいは撮っても良かったのでしょうけど、その気になりませんでした。)それでこの記念撮影2枚だけです。


Lindaは午後ラパスへ行く必要があったのでここでお別れ。

その後、野原さんの車で施設が管理・運営しているという畑を見に行きました。本来は新しい施設を建てるために購入された土地だったのですが、近くに下水処理場ができたために建設許可が下りなくなってしまい、仕方なく畑として使うことになったとのこと。また、その処理場とやらが汚水を垂れ流しているせいで夏は悪臭が漂ってきてたまらないのだとか。実に酷い話です。それでも施設で必要な食べ物をなるべく自給できるようにと野菜栽培および家畜飼育を始められたそうです。(家畜は豚と鶏の他にアヒル、ウサギ、そして「クイ」という食用のネズミがいました。)残った野菜や肉の加工品は販売もしているとのこと。実に前向きでバイタリティーのある人です。見習いたい。





お昼は持参したのですが、穫れたてのダイコンとキュウリを御馳走になりました。昼夜の温度差が大きいお陰だと思われますが、畑では夏野菜と冬野菜が同居していました。日本ではちょっと考えにくいことですね。ちなみに健康を考えて可能な限り無農薬・無化学肥料の栽培を行っているという話でしたが、さらに無除草でも何とかならないか試行錯誤&悪戦苦闘中とのことでした。確かにそのような自然農法もあるにはあるのですが、その提唱者以外が試みて上手くいくケースは珍しいようです。

父は輪切りにして醤油をかけただけのキュウリの美味しさに感動していました。有機栽培ゆえの良食味とボリビアに来てから生野菜に飢えていたこととが相乗効果を発揮していたのかもしれません。

車で「聖マルティンの家」に戻り、しばらくしたら迎えが来ました。何とLindaでした。結局飛行機には乗れなかったのでラパスへは翌日お姉さんに行ってもらうとのこと。(髪の毛が酷いことになっていると姪御さんから言われ、直してもらっている内に遅れてしまったのだとか。おいおい。ただしオープンチケットなのでパーにはならなかったようです。)

乗り合いタクシーで帰りましたが、足の悪い父がいなければ歩いても戻れる距離でした。こんな近くにあったとは! K君からLindaの実家がコチャバンバにあると聞かされた時もそうでしたが、その時以上に何かの縁を感じない訳にはいきませんでした。

おまけ
 コチャバンバにいる間にこの方にもお会いしたいと思っていました。一昨年この番組を観て感銘を受けていたので。(それにしてもボリビア第3の都市を「辺境の地」はひどいなあ。)こちらで紹介されているように私と同じ協力隊OBということで親近感も湧きました。しかしながら、その方が校長をされている音楽学校があいにく休業期間中で門は閉ざされたまま。面会は叶いませんでした。
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