先週の木曜日通夜、金曜日本葬(表葬儀)に参列しました。福田先生とは新人の時代より、公私にわたり色々お世話になりました。
年齢的に近いこともあり、コンピュータ導入の時期には教務関係のお仕事で、協力したことがついこの間のことのように記憶しております。常に温厚なお人柄で、生徒指導においても、諭しを基本とした寛容の精神に満ちた指導であったと記憶します。部活動では、スキー部の顧問として30年近く指導にあたられました。筆者が一旦東海学園を辞したのち、再度お世話になり始めた10年ほど前、私の復帰をお聞きになり、「良かったら、スキー部の部活を手伝っていただけないでしょうか?」と打診がありました。教務関係のお仕事が立て込みはじめ、サブの指導者が必要だったのでしょう。あいにく、数学研究部の指導を始めt時期に重なり、スキー部の指導をお引き受けできませんでした。
昨夏、体調を崩され、入退院を繰り返され今年の年明けに学校に復帰されたけれど、胸腺癌の進行は足早で、脳への移転が認められた。娘さんの結婚式の3月2日に出席された折には、同じ内容の話を繰り返しするところがあったり、まっすぐに歩けなくなった旨を、奥様が近しい方にお話になった。3月11日の東日本大震災の翌日、再度の入院をされたが、意識は混濁状態であったとのこと。
先生の真面目なご姿勢が目に焼きついております。自寺、誓願寺の来歴についてお聞きしたのが、つい昨日のことのように思い出されます
これまでのお導き、有難うございました。どうぞ安らかにお眠りください。 合掌。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀部。