ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

伊方ダム(伊方調整池)

2018-04-12 15:12:19 | 愛媛県
2018年3月25日 伊方ダム(伊方調整池)
 
伊方ダム(伊方調整池)は愛媛県西宇和郡伊方町川永田の伊方新川上流にある灌漑および上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
大河がない愛媛県南予地方では古くから用水確保は困難を極め慢性的に水不足に悩まされてきました。
これを打開するため農水省は建設省(現国交省)による肘川上流部への野村ダム建設事業に参加し、同ダムを水源とした南予地方全般にわたる南予用水農業水利事業に着手します。
伊方ダムはは同事業の一環として1989年(平成2年)に建設された調整池で、ここまでトンネルで来た南予用水北幹線水路は、調整池に併設された揚水機場からポンプアップされ佐田岬半島先端までパイプラインで導水されます。
ダム及び灌漑用諸施設は南予用水土地改良区連合が受託管理しています。
 
南予用水概要図(農水省HPより)
 
八幡浜から国道197号線を西進、川永田トンネルの先で左手の旧道に入ると伊方ダムが見えてきます。
農業用ダムではよく見られる自由越流式洪水吐1門だけのシンプルな構造。
 
転波越流で鱗が現れています。
 
天端は立ち入り禁止ですが、左岸の道路から俯瞰できます。
左手は伊方揚水機場でダムで貯留された水は揚水機場からポンプアップされ、佐田岬半島先端までパイプラインで送水されます。
 
手前が取水設備、右奥が低水位放流設備のバルブ、対岸は管理事務所になります。
 
上流から
貯水池は総貯水容量10万4000立米と小さな溜池なみ。
 
ダム左岸高台の道路から海が見えます。
天端は立ち入り禁止の為確認できませんが、間違いなく天端からも海が見えるでしょう。 
ここまでトンネルだった南予用水が、この先はパイプラインに変わります。
鉄道でいえば複線が単線に変わるための接続ポイント、それが伊方ダムです。
 
2278 伊方ダム(伊方調整池)(1307
愛媛県西宇和郡伊方町川永田
伊方新川水系伊方新川
AW
29.1メートル
108メートル
104千㎥/89千㎥
南予用水土地改良区連合
1989年

渕ヶ谷池

2018-04-12 14:19:29 | 愛媛県
2018年3月25日 渕ヶ谷池
 
渕ヶ谷池は愛媛県八幡浜市保内町宮内の喜木川水系宮内川右支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1952年(昭和27年)に土地改良区の事業により竣工と記されている一方、渕ヶ谷ダム記念碑では昭和25年完工となっています。
いずれにしても土地改良区による団体営事業、もしくは受益農家の持ち出しで建設されたと思われます。
現在の管理者は保内町土地改良区です。
 
八幡浜市宮内の国道378号線から枇杷谷集落を抜け、ダートの林道を500メートルほど進むと渕ヶ谷池に到着します。
池の左岸に記念碑があります。
 
天端は林道が通り道はさらに奥へと続いています。
 
上流面。
 
左岸の洪水吐
コンクリートで水路が切ってあります。
 
洪水吐の側壁は緑色片岩の石積。
 
導流部の両壁もやはり緑色片岩の石積で、導流部には石が張られています。
 
下から見上げると
右手石積の間から木が生え相応に成長しています。
この石積は竣工当時のものとみていいのではないでしょうか?
 
下流面
草がきれいに刈られておりいまだ貴重な水源であることが伺えます。
 
総貯水容量3万4000立米の小さな溜池です。
 
右岸の取水設備
水位が高く水没していますが階段式の池栓です。
 
通常割れやすい結晶片岩は石積みや石垣では使われないのですが、池のある佐田岬半島は三波川変成帯に属し結晶片岩しかないのでやむを得ずこの石を使ったということでしょう。
同様に片岩が使われている溜池としては福岡県八女市の金堀谷溜池がありますが、非常に珍しい溜池であることは間違いありません。
 
2239 渕ヶ谷池(1306)
ため池コード
愛媛県八幡浜市保内町宮内
喜木川水系宮内川右支流
16メートル
37メートル
34千㎥/34千㎥
保内町土地改良区
1952年(ダム便覧)1950年(現地記念碑)

大谷池

2018-04-12 12:26:47 | 愛媛県
2018年3月25日 大谷池
 
大谷池は左岸が愛媛県伊予市上三谷、右岸が愛媛県伊予郡砥部町七折の大谷川本流上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
大谷川下流域は天井川のため干ばつや洪水被害が頻発していました。
1925年(大正14年)に中、当時南伊予村村長であった武智惣五郎は私財を投じて耕地整理組合を設立し、大谷池築造事業に着手しました。
その後事業は県営に移管されますが、地盤の脆さや台風被害、さらには戦争突入による資金・人員不足の中、村民・組合員の奉仕的働により終戦間際の1945年(昭和20年)3月にようやく大谷池は完成し、流域住民の悲願が達成されました。
1967年(昭和42年)から道前道後平野農業水利事業からの補給がスタート、2000年(平成12年)~2005年(平成17年)にかけての県営ため池等整備事業により大規模改修が行われ現在に至っています。
管理は大谷池土地改良区が行い838ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
大谷池は総貯水容量175万9000立米と愛媛県内最大のため池で2010年(平成22年)には農水省のため池百選に選ばれています。
一方で、大谷池は松山周辺では知らぬものがないほどのミステリースポットとなっています。この根拠は定かではありませんが、築堤に際して多数の殉職者を出していることが主因ではないかと推察されます。
 
ダム下は工事のため立ち入りできませんでした。
 
下流面
堤高39メートル、堤頂長190メートルとアースダムとしては立派な堤体です。
 
右岸ダムサイトには10基近い記念碑や顕彰碑が並びます。
手前は池建設に尽力した武智惣五郎氏の顕彰碑。
 
右岸にある斜樋の操作室
六角形の洒落た建屋です。
 
総貯水容量179万立米は県下溜池としては最大。
この日は黄砂の影響もあり猛烈な春霞、こんな写真しか撮れませんでした。
 
天端は車両通行可。
 
左岸の洪水吐導流部。
 
横越流式洪水吐。
 
上流面は石で護岸されています。
 
左岸には築堤殉職者供養のための社と供養塔があります。
これがミステリースポットになった主因か?
 
池完成までに幾多の困難を乗り越えた大谷池、なによりも10基近い記念碑や顕彰碑が先人たちへの感謝と悲願達成の喜びを物語っていると思います。
一方で中予では知らぬものがないといわれるミステリースポット。それはそれで悪くはないかと思います。
なお天端から微かに海が見えるようですがこの日は猛烈な霞みのため確認できず、よって海が見えるダム認定は保留とします。
 
2237 大谷池(1305)
ため池コード
ため池百選
左岸 愛媛県伊予市上三谷
右岸 愛媛県伊予郡砥部町七折
大谷川水系大谷川
37メートル
190メートル
1759千㎥/1759千㎥
大谷池土地改良区
1944年

銚子ダム

2018-04-12 10:56:41 | 愛媛県
2018年3月25日 銚子ダム
 
銚子ダムは愛媛県伊予郡砥部町川澄の重信川水系砥部川左支流銚子川源流部にある灌漑目的のロックフィルダムです。
砥部町一帯は砥部川両岸に開けた斜面を利用して果樹園が広がり中予地区屈指の柑橘生産地となっていますが、水利に乏しく度々干ばつ被害を被ってきました。
特に1967年(昭和42年)の大干ばつは愛媛県全土に甚大な被害をもたらし、これを機に県は各地で灌漑施設の整備を進めます。砥部町でも農林省(現農水省)の補助を受けた県営かんがい排水事業が着手され、その水源として1977年(昭和52年)に竣工したのが銚子ダムです。
かんがい排水事業全体も1991年(平成3年)に完了し、ダムを含むかんがい排水施設は伊予郡砥部町土地改良区が受託し、当ダムで貯留された水は砥部町内472haの樹園地に灌漑用水と防除用水として供給されます。
 
国道379号線から銚子川の渓谷の奥に銚子ダムの堤体を遠望できます。
国道からの標高差は約150メートル、恰も谷間を埋め尽くす城壁のようです。
 
ロックフィルの堤体をズームアップ。
 
国道379号線に銚子ダム公園を示す案内板があり、これに従うとダムサイトに到着します。
安山岩が並ぶ下流面。
 
天端は車両通行可能。
 
ダム竣工記念碑とかんがい排水事業竣工記念碑が並びます。
 
右岸の洪水吐導流部
導流部はこの先で途切れ自然の岩盤を流下します。
 
円形越流式洪水吐。
 
上流面。
 
ダム下を望遠で切り取ると
砂防ダムか副ダムかはわかりませんが、洪水吐から流下した水はここで減勢されるようです。
 
トップの写真を撮った国道379号線が遠望できます。
 
よくこんなところにダムをつくったなというのが印象ですが、ここに作らざるを得ないほど砥部町樹園地の用水確保は困難を極めていたということなんでしょう。
松山市の立岩ダム、今治の朝倉ダム、そしてこの銚子ダムといい1967年(昭和42年)の干ばつが契機となって愛媛県内では規模の大きな灌漑用フィルダムが各地に建設されました。
 
追記
銚子ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに10万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2269 銚子ダム(1304)
愛媛県伊予郡砥部町川澄
重信川水系銚子川
47.2メートル
142メートル
780千㎥/770千㎥
伊予郡砥部町土地改良区
1977年 
◎治水協定が締結されたダム

面河ダム

2018-04-11 15:57:05 | 愛媛県
2018年3月25日 面河ダム 
 
面河ダムは愛媛県上浮穴郡久万高原町笠方の仁淀川水系割石川源流部にある愛媛県公営企業局が受託管理する多目的重力式コンクリートダムです。
愛媛県の道前・道後両平野は大河がないうえに、瀬戸内海気候により年間降水量が1300ミリ程度と少雨であり古くから灌漑用水の確保は困難をきたしていました。
戦後の食糧難から食糧増産が強く求められる中、農林省(現農水省)により仁淀川水系割石川上流にダムを建設し、同ダムより流域変更して道前道後地区に灌漑用水を導水する道前道後平野農業水利事業がまとめられました。
1957年(昭和32年)に国営事業として道前道後平野農業用水、道後平野工業用水、発電の共同事業として事業が着手され、1967年(昭和42年)に中核施設である面河ダムの完成をもって事業は無事竣工しました。
受益地である道前道後地区では水系を超えてもたらさせるこの水を、事業に協力した仁淀川下流の高知県への敬意も含めて『虹の水』と呼んでいます。
面河ダムで貯留された水はトンネル導水路で西条市丹原町の中山川逆調整池に送られ、この過程で愛媛県公営企業局が運営する道前道後第1~第3発電所にて最大出力合計2万5100キロワットの発電を行います。
道前平野へは逆調整池から放流された水が、道後平野及び工業用水は逆調整池の千原取水塔で取水された水が、それぞれの幹線水路にて受益者に供給されます。
面河ダム自体は農林省(現農水省)の事業によって建設されましたが、運用開始後は発電事業者である愛媛県公営企業局が受託管理をしています。
 
道前道後平野農業水利事業概要図(農水省HPより)
 
まずはダム下へと向かいますが、国道497号線からダム下へ続く道がが荒れており運転には気を使いました。
クレストにはローラーゲートが1門、昭和30年代着工のダムらしく導流壁は直線状。
ダム下には愛媛県公営企業局が運営する道前道後第一発電所があります。
 
クレストをズームアップ
ゲート操作室と取水設備建屋が並びます。
 
続いてダムサイトへ。
ダム手前100メートルほどに関係者以外立ち入り禁止の立て札がありますが四国堰堤ダム巡りのハンコがその先にあるためここは気にせず進入します。
右岸から
ゲート操作室と取水設備。
 
右岸親柱の『面河堰堤』のプレート。
 
天端
ゲート部分だけわずかに前面に張り出しています。
 
導流部と減勢工
左手は愛媛県公営企業局道前道後第一発電所。
 
総貯水容量2830万立米のダム湖
割石川本流のほか、11の取水堰を通じて支流からもくまなく集水しています。
 
巨大な取水設備
昭和30年代設計だとこんな大きな設備になっちゃいます。
今ならこの数分の1のスケールでしょうね。
 
 
右岸の艇庫、写真の裏側にクラインがあります。
 
追記
面河ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに584万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2258 面河ダム(1303)
愛媛県上浮穴郡久万高原町笠方
仁淀川水系割石川
AIP
73.9メートル
159メートル
28300千㎥/26800千㎥
愛媛県公営企業局
1967年
◎治水協定が締結されたダム

大明神池

2018-04-11 13:07:59 | 愛媛県
2018年3月24日 大明神池
 
大明神池は左岸が愛媛県西条市福成寺、右岸が同旦之上の北川水系北川上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1962年(昭和37年)に土地改良区の事業により竣工と記されていますが、記念碑等がないためそれ以上の詳細は不明です。
管理は西条市庄内土地改良区が行っています。
 
下流から
堤高25.8メートルのなかなか立派な下流面
昨秋に刈り払いが行われたようです。
 
堤体左岸にある底樋樋門
愛媛県では多くみられる扁額が入った立派なポータル。
 
天端。
 
コンクリートで護岸された上流面。
 
天端から
海越しに西条市中心部が遠望できます。
 
南には冠雪した石鎚山が望めます。
 
総貯水容量は45万立米。
 
左岸の斜樋。
 
右岸から下流面。
 
右岸の横越流式洪水吐。
 
2254 大明神池(1302)
ため池コード
愛媛県西条市福成寺
DamMaps
北川水系北川
25.8メートル
212.4メートル
450千㎥/450千㎥
西条市庄内土地改良区
1962年

除ケの堰堤

2018-04-11 11:38:05 | 愛媛県
2018年3月24日 除ケの堰堤
 
除ケの(よけの)堰堤は愛媛県東温市山之内の重信川本流上流部にある直線重力式石積砂防堰堤です。
道後平野を貫流する重信川は上流部は急流河川となっている一方、平野出口では扇状地を形成し通常は伏流水となりながら洪水の際には多量の土砂を流下させ、下流域に多大な洪水被害をもたらしてきました。
そこで愛媛県は砂防対策として重信川上流部での砂防堰堤建設に着手し1935年(昭和10年)に竣工したのが除ケの堰堤です。
堰堤本体には瀬戸内から取り寄せた花崗岩1万7000個が伝統工法によって石積みされ、建設から80年以上経過した現在でもその造形美と砂防機能を維持しています。
除ケの堰堤その技術的、土木遺産としての価値を評価して2001年(平成13年)に国の有形文化財に登録されたほか、Bランクの近代土木遺産に選定されています。
 
東温市の国道11号新横河原橋交差点から県道152号を北上すると、右手に砂防堰堤築造記念碑が現れます。
 
竣工記念碑の先に除ケの堰堤説明板と登録有形文化財のプレートが設置されています。
 
 
堰堤直下の河原に下りることができます。
堰堤は表面石張直線重力式堰堤2段で構成されており、数日前までの大雨で流量が増し激しく越流していました。
 
地元の方に伺うと、このあたりの重信川は伏流水となるため普段はほとんど水がなく、大雨になると一転水量が増すのだそうです。
 
ダムならば激しい越流は見ごたえがあるのですが,、ここの場合は肝心の石積みがほとんど見えず厄介な越流です。
 
左岸側になんとか石積みを確認することができました。
長方形の切石が丁寧に布積みされています。
 
越流自体は迫力あるものでしたが、やはり石積堰堤は石を見てナンボかと思います。
そういう点では残念な堰堤見学となってしまいました。
 
除ケの堰堤
重信川水系重信川
砂防堰堤
石積直線重力式堰堤(2段)
主堰堤高12メートル 副堰堤高7メートル
主堰堤長115メートル 副堰堤長92メートル
愛媛県
1935年

中山川逆調整池

2018-04-11 01:28:58 | 愛媛県
2018年3月24日 中山川逆調整池
 
中山川逆調整池は愛媛県西条市丹原町千原の中山川源流部にある愛媛県公営企業管理局が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
愛媛県の道前・道後両平野に仁淀川水系面河ダムから流域変更による導水を行う『道前道後平野農業水利事業』に合わせて建設された道前道後第1~第3発電所の逆調整池として1963年(昭和38年)に竣工しました。
発電による放流水の増減に伴う水位変動を緩和するとともに、逆調整池から放流された水は道前平野へ、調整池にある千原取水塔で取水された水は道後平野へ送られます。 
 
道前道後発電所概要図(愛媛県HPより)
 
国道11号線の『桜三里』を過ぎると右手に中山川逆調整池を示す案内板がありダムへの道が分かれています。
訪問時は工事中のため車の進入ができなかったので、路肩に車を止めて徒歩でダムへと向かいました。
歩くこと2~3分で右手に中山川逆調整池のゲートが見えてきます。
 
ズームアップ
実は中山川逆調整池を下流側から見れるのはこのアングルだけ。
 
右岸から
天端への道は立ち入り禁止。
 
道後平野土地改良区への灌漑用水と工業用水を取水する千原取水塔。
 
逆調整池ということで総貯水容量は17万7000立米とさほど大きくはありません。
 
堆砂対策および湖岸整備の工事中でした。
 
道前道後平野農業水利事業の根幹をなす貴重な施設ですが、工事中ということもありバタバタとした見学となってしまいました。
 
3682 中山川逆調整池(1301
愛媛県西条市丹原町千原
中山川水系中山川
20.8メートル
54.7メートル
177千㎥/150千㎥
愛媛県公営企業管理局
1963年

志河川ダム

2018-04-10 19:27:59 | 愛媛県
2018年3月24日 志河川ダム
 
志河川(しこがわ)ダムは愛媛県西条市丹原町志川の中山川水系志河川にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
少雨に加えて大河のない愛媛県の道前・道後両平野への水利を図るため、仁淀川水系から流域変更により両平野に導水する道前道後平野農業水利事業が1967年(昭和42年)に竣工し、両地区は安定した用水確保という悲願を達成しました。
しかし1980年代に入り施設の老朽化や稲作から園芸農業への転換など、社会・農業情勢の変化により新たな用水確保が迫られてきました。
そこで農水省は『道前道後平野農業水利事業Ⅱ期』に着手し、新たな道前平野向け水源として2010年(平成22年)に志河川ダムが竣工しました。
志河川ダムは道前平野における面河ダムの補給がない期間(10月7日~6月5日)における農業用水の補給を行っており、管理は道前平野土地改良区が受託しています。 
また2016年(平成28年)には利水放流を利用した志河川ダム発電所が増設され、最大49.9キロワットの小水力発電が開始されています。
 
道前道後平野農業水利事業概要図(農水省HPより)
 
国道11号線に志河川ダムを示す標識があり、これに従うとダムが見えてきます。
まず目につくのがコートの襟を立てたような漸縮型堤体導流壁。
 
導流壁は左岸に偏り左右非対称になっています。
加えて転波越流も美しい。
 
左岸上流から
満水です。
 
インクラインはなく浮桟橋に巡視艇が繋留されています。
 
転波越流の鱗がきれいです。
 
減勢工にはバッフルピアが5基並びその下流にエンドシルがあります。
右手は利水放流設備。
 
天端からは燧灘が遠望できます。
 
ダム湖は総貯水容量130万立米。
 
天端は車両通行可能
打ちっぱなしの取水設備建屋のデザインも斬新。
 
こちらから見ても取水設備のデザインが際立ちます。
 
新しいダムということでコンクリートが美しいということもありますが、特徴的な導流壁といい取水設備の斬新なデザインとしいスタイリッシュな志河川ダムです。 
 
3001 志河川ダム(1300
愛媛県西条市丹原町志川
中山川水系志河川
48.2メートル
117メートル
1300千㎥/955千㎥
道前平野土地改良区
2010年

黒瀬ダム

2018-04-10 15:17:59 | 愛媛県
2018年3月24日 黒瀬ダム
 
黒瀬ダムは愛媛県西条市黒瀬の加茂川水系加茂川中流部にある愛媛県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、加茂川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、西条市への工業用水の供給、住友共同電力(株)黒瀬発電所での最大出力2000キロワットのダム式水力発電を目的として1972年(昭和47年)に竣工しました。
 
西条市街から県道12号を石鎚山方面に進むと左手に黒瀬ダムの堤体が見えてきます。 
クレストに真っ赤なラジアルゲート2門を装備しています。
 
木の陰になって見えませんが、導流壁左岸側(向かって右手)に利水用の放流管、非常用ゲート、ホロージェットバルブがあります。
 
クレストゲートをズームアップ
左右でゲートの形状が異なり、右岸側(向かって左手)のゲートにはフラッシュボードがついています。
ダムで捕捉したゴミや流木を下流に流すためのものですが、河川法の改修で現在はゴミ・流木の放流は禁止されており、フラッシュボードを使うことはないでしょう。
 
導流部先端はジャンプ台式で先端にシュートブロックが設置されています。
 
あいにく電気ケーブルの工事のため天端は立ち入りできません。
 
取水設備。
ダム湖(黒瀬湖)は総貯水容量は3600万立米と県営ダムとしてかなりの規模です。
 
案内板。
 
工事のため見学場所は限定されてしまいました。
機会があれば再訪したいところですが、遠方ゆえそうもゆかないのがつらいところです。
 
追記
黒瀬ダムには800万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに740万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2262 黒瀬ダム(1299
愛媛県西条市黒瀬
加茂川水系加茂川
FNIP
61.7メートル
207.7メートル
36000千㎥/34000千㎥
愛媛県土木部
1972年
◎治水協定が締結されたダム

鹿森ダム

2018-04-10 14:00:58 | 愛媛県
2018年3月24日 鹿森ダム
 
鹿森ダムは愛媛県新居浜市立川町の国領川水系国領川(中上流では足谷川)中流部にある愛媛県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、国領川の洪水調節、新居浜市への工業用水の供給、工業用水の供給過程で住友共同電力(株)山根発電所での最大出力6700キロワットのダム水路式水力発電を目的として1962年(昭和37年)に竣工しました。
また1965年(昭和40年)に竣工した住友共同電力別子ダムで取水され東平発電所で発電に使われた水も鹿森ダムで受け入れており、吉野川水系銅山川の水を流域変更して新居浜に導水するいわゆる『別子分水』の調整池としての役割も持っています。
2010年(平成22年)には鹿森ダム直下で県道47号線の付け替えが行われ、ループ橋である青龍橋が完成、埼玉県の滝沢ダムや北海道の朝里ダムなどとともにループ橋とセットになったダムとして知られています。
 
県道47号の交通量はさほど多くなく、徒歩でループ橋を進みます。
 
クレストゲートをズームアップ。
 
非常用洪水吐としてクレストに赤いラジアルゲートが1門、その右手(左岸)に常用洪水吐のコンジット高圧ラジアルゲートがあります。
訪問前の大雨で水位が上がりクレスト放流が行われています。
 
天端の立ち入りはゲート手前まで。
 
天端から見たループ橋。
 
ダム湖は『別子の湖』
総貯水容量は159万立米と県営ダムとしてはさほど大きくありません。
 
昭和30年代竣工のダムらしく大掛かりな取水塔。
 
ラジアルゲートの左にコンジットゲートの予備ゲートがあります。
 
右手の仮設道路はダム湖のごみや流木を運搬するためのものです。
 
2253 鹿森ダム(1298)
愛媛県新居浜市立川町
国領川水系国領川
FIP
57.9メートル
108.6メートル
1590千㎥/1310千㎥
愛媛県土木部
1962年

別子ダム

2018-04-10 12:40:26 | 愛媛県
2018年3月24日 別子ダム
 
別子ダムは愛媛県新居浜市別子山の吉野川水系銅山川源流部にある住友共同電力(株)が管理する重力式コンクリートダムで、新居浜の住友グループ各社向け工業用水および電力供給を目的としています。
旧別子山村にあった別子銅山を起源とする住友財閥は戦前より銅山の表玄関であった新居浜を拠点とし、銅山川上流の水利権を行使して1912年(明治45年)には銅山川の水を流域変更して新居浜に導水する『別子分水』を開通させました。
戦後の経済発展を受け、住友化学のコンビナート建設をはじめとして住友グループは新居浜への集積を加速する一方新たな工業用水や電力確保に迫られることになります。
そこで当地の住友グループ向け電力を担っていた住友共同電力により1965年(昭和40年)に建設されたのが別子ダムです。
ここで取水された水は住友共同電力東平発電所に送られ最大出力2万キロワットの発電に使われたのち、国領川上流部にある愛媛県営鹿森ダムを経由して新居浜の住友グループ各社に供給されています。
 
別子ダムは県道47号線沿いにありますが、民間企業所有のダムということで立ち入はできず見学ポイントは限定されています。
富郷ダムから県道を西に進むと谷間の奥に別子ダムが見えてきます。
 
クレストに赤いラジアルゲートが1門、まっすぐな導流壁が特徴的です。
 
 
上流面。
 
ダム湖は総貯水容量562万8000立米。
 
県道わきの管理事務所。
 
別子銅山を起源として新居浜は住友の企業城下町として発展し、現在でも『工都新居浜』と表現されるほどです。
新居浜及び住友グループを縁の下から支えているのがこの別子ダムと言っても過言ではありません。
 
(追記)
別子ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2257 別子ダム(1297)
愛媛県新居浜市別子山
吉野川水系銅山川
IP
71メートル
143メートル
5628千㎥/5420千㎥
住友共同電力(株)
1965年
◎治水協定が締結されたダム

富郷ダム

2018-04-10 10:24:38 | 愛媛県
2018年3月24日 富郷ダム
 
富郷ダムは愛媛県四国中央市富郷町津根山の吉野川水系銅山川上流部にある水資源機構が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1953年(昭和28年)の柳瀬ダム、1975年(昭和50年)の新宮ダムの完成により、銅山川から流域変更して愛媛県東部の宇摩地区へ導水する銅山川分水事業は一段落を迎えました。
しかし瀬戸内海臨海工業地帯の発展による水需要増加はなおも続き、さらなる水源確保が迫られることになります。
水資源開発公団(現水資源機構)は柳瀬ダム上流への新たな多目的ダム建設に着手し、2000年(平成12年)に竣工したのが富郷ダムです。
富郷ダムは水資源機構法による多目的ダムで、柳瀬ダム・新宮ダムと連携した銅山川及び吉野川中下流を対象とした洪水調節、四国中央市への上水道用水と工業用水の供給を目的とするほか、愛媛県公営企業局富郷発電所で利水従属発電を行っています。
 
下流から
堤高は106メートルで銅山川3ダム中最高を誇ります。 
 
右岸から
非常用洪水吐としてクレストにラジアルゲート4門、常用洪水吐としてオリフィスに高圧ラジアルゲート1門、コンジットに高圧ラジアルゲート2門を装備。
 
減勢工とエンドシル
対岸は左から利水放流用のジェットフローゲート、その右手は愛媛県公営企業局富郷発電所。
 
右岸の展望公園へと続く螺旋階段。
見た目はおしゃれですが実際に歩くとかなり傷みがひどく荒れています。
 
螺旋階段を登り切った展望台から。
 
天端の各建屋は柔和な四角形で統一され高さを抑えたすっきりとしたデザイン
扇型の管理事務所はなんだかリゾートホテルみたい。
 
天端から減勢工。
 
ダム湖の銅山湖は総貯水容量5200万立米で銅山川3ダム中断トツの規模。
 
天端は歩行者のみ通行可能
右岸斜面には水資源機構らしく富郷ダムの文字。
 
上流から
4門のラジアルゲートに挟まれてオリフィスおよびコンジットの予備ゲートが並んでいます。
 
建設省により『開かれたダム』に指定されたこともあり、環境整備はも素晴らしく居心地のいいダムです。
ただせっかくの公園整備も利用者が少ないようで、ダム下公園は立ち禁。右岸展望広場への螺旋階段も痛みが目立ち、こちらも早晩立ち入り禁止になりそう。
人里離れた山中のダム故やむを得ないところはありますが・・・
 
追記
富郷ダムには1250万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに375万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2275 富郷ダム(1296)
愛媛県四国中央市富郷町津根山
吉野川水系銅山川
FWIP
106メートル
250メートル
52000千㎥/47600千㎥
水資源機構
2000年
◎治水協定が締結されたダム

柳瀬ダム

2018-04-10 01:46:28 | 愛媛県
2018年3月24日 柳瀬ダム
 
柳瀬(やなせ)ダムは愛媛県四国中央市金砂町小川山の吉野川水系銅山川にある国交省四国地方整備局が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
四国は四国山脈を挟んで多雨地域と少雨地域に分かれ、吉野川流域や太平洋側では洪水被害が頻発する一方、瀬戸内海沿岸では慢性的な水不足に悩まされてきました。
宇摩地域と呼ばれる愛媛県東部、現在の四国中央市も長く水不足に悩み、法皇山脈南側を流れる吉野川水系銅山川の水を導水する『銅山川分水』が悲願となっていました。
1928年(昭和3年)に愛媛県は灌漑・発電を目的とする柳瀬ダム建設計画を採択しますが、戦争により事業は中断、終戦後、愛媛県は灌漑・発電に加え洪水調節目的を付加して建設省の補助を獲得し、補助多目的ダムとして柳瀬ダム建設事業が着手されました。
その後建設省所管の国営事業に格上げされ1953年(昭和28年)に柳瀬ダムは竣工、江戸時代末期に銅山川疏水事業が請願されて約100年、宇摩地区の悲願である銅山川分水がここにようやく実現しました。
 
柳瀬ダムは新宮ダム富郷ダムと連携した銅山川及び吉野川中下流を対象とした洪水調節、四国中央市への灌漑・上水道・工業用水の供給、四国中央市への分水を利用した愛媛県公営企業局銅山川第一発電所での水力発電を目的とするほか、河川維持放流を利用して銅山川第二発電所で利水従属発電を行っています。
柳瀬ダムの完成より銅山川分水は実現しましたが、その後の瀬戸内海臨海工業地帯の発展による水需要増加を受け1975年(昭和50年)に下流に新宮ダムが、2000年(平成12年)に上流に富郷ダムが完成しました。
なお柳瀬ダムは国交省四国地方整備局が管理を行っていますが、当初愛媛県により事業着手されたことから特定多目的ダムではなく、補助多目的ダムという括りになります。
 
今回は新宮ダムから酷道と言われる国道319号線を西進して柳瀬ダムに至りました。
右岸高台にある管理事務所から堤体を俯瞰できます。
クレストには4門のローラーゲートが並びます。
ダム右岸では改修工事に備えボーリングによる地質調査が行われていました。
 
扶壁上にゲート操作室が乗っかています。
このスタイルは昭和10年ごろから登場し、昭和30年代にかけて特に中国電力で多く採用されています。
 
管理事務所から階段を下ってダムへと降ります。
上流面。
 
天端から
一番上が管理事務所。
 
金砂湖と名付けられたダム湖は総貯水容量3220万立米。
右手はインクライン。
 
特徴的なゲート操作室。
 
ゲートピアにはスリットが入っています。
 
減勢工
河川維持放流は取水口から発電所経由で行われるため、ダム下は水無川の様相。
 
ダム湖に並ぶ2基の取水塔
左手は四国中央市への銅山川分水路の取水塔
右手は銅山川第二発電所経由の河川維持放流向けの取水塔。
 
天端左岸から
ゲートピア上部の管理橋へは螺旋階段が続いています。
 
柳瀬ダムは日本100ダムにも選ばれていますが、見学ポイントが限られ特にダム下から眺めることができないのは残念です。
 
追記
柳瀬ダムには760万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに440万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2243 柳瀬ダム(1295)
愛媛県四国中央市金砂町小川山
吉野川水系銅山川
FAWIP
55.5メートル
140.7メートル
32200千㎥/26600千㎥
国交省四国地方整備局
1953年
◎治水協定が締結されたダム

新宮ダム

2018-04-09 17:00:45 | 愛媛県
2018年3月24日 新宮ダム
 
新宮ダムは愛媛県四国中央市新宮町馬立の吉野川水系銅山川にある水資源機構が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
四国は四国山脈を挟んで多雨地域と少雨地域に分かれ、吉野川流域や太平洋側では洪水被害が頻発する一方、瀬戸内海沿岸では慢性的な水不足に悩まされてきました。
宇摩地域と呼ばれる愛媛県東部、現在の四国中央市も長く水不足に悩み、法皇山脈南側を流れる吉野川水系銅山川の水を導水するいわゆる『銅山川分水』が悲願となっていました。
1953年(昭和28年)の柳瀬ダム完成によりようやく銅山川分水が実現しますが、その後の瀬戸内海臨海工業地帯の発展による水需要増加により新たな水源確保に迫られることになりました。
そこで建設省は柳瀬ダムの下流5キロ地点に新たな多目的ダム建設に着手しますが、吉野川水系水資源開発基本計画(フルプラン)採択により事業は水資源開発公団に移管され、1975年(昭和50年)に竣工したのが新宮ダムです。
新宮ダムは水資源公団法(現水資源機構法)によって建設された多目的ダムで、富郷ダム柳瀬ダムと連携した銅山川及び吉野川中下流を対象とした洪水調節、四国中央市川之江地区への灌漑用水の供給、新宮工業用水道による四国中央市川之江地区および伊予三島地区への工業用水の供給、新宮工業用水道を利用した愛媛県公営企業局銅山川第三発電所での水力発電を目的としています。
 
下流から
堤高42メートルとさほど高さはありませんが、4門の赤いラジアルゲートが映えます。
 
左岸のハウエルバンガーバルブ
低水位放流管です。
 
国道319号から俯瞰
対岸右手はインクライン。
 
左岸から。
 
天端は車両の通行ができます。
それにしても管理事務所はずいぶんと高台にあります。
 
上流面。
 
『和』の文字が書かれたモニュメント
銅山川分水については長く下流の徳島県の反対が障害となっていました。
永年の恩讐を乗り越えてダムが竣工したことについて『和』の文字を用いていると勝手に考えます。
 
ゲート越しの減勢工
 
解体された予備ゲート。
 
ダム湖は総貯水容量1300万立米。
特に名前はない。
 
追記
新宮ダムには500万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに107万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2267 新宮ダム(1294)
愛媛県四国中央市新宮町馬立
吉野川水系銅山川
FAIP
42メートル
138メートル
13000千㎥/11700千㎥
水資源機構
1975年
◎治水協定が締結されたダム