■先週、山本小鉄選手に続き、星野勘太郎選手の訃報が・・・。
軽快なタッグチーム「ヤマハブラザーズ」を思い出しました。
■ヤマハブラザーズ
(ウィキペディアより抜粋)
○山本小鉄選手 170cm、100kg
高校卒業後、民間会社に勤務しながら、ボディビルに打ちこみ、1963年(S38)日本プロレス
に入門、力道山最後の弟子。
○星野勘太郎選手 170cm、104kg
高校時代ボクシングに打ちこみ、卒業後、ジムに入るにはリーチが足らず断念、1961年(S36)
日本プロレスに入門。
※アメリカ遠征(1967年(S42)1月)時、小型でもパワフルであると評判だったヤマハのオートバイにあやかって名付けられた「ヤマハブラザーズ」のタッグチーム名で名を上げた。
※手元にレスリング・オブ・ジャパンの雑誌が3冊あります。
パラパラめくると懐かしい写真が・・・。
▼山本小鉄選手が田中忠治選手に猛攻を加えています。
▼東京国際空港(羽田)が大雪で閉鎖され、外人勢がいないまま日本人同士の対決となった。
相手チームは、ミツ平井選手、高千穂明久選手(後にグレートカブキ)、A猪木選手がレフェリー。
▼日本プロレス時代、“ゴッチ教室”を開き、日本人レスラーの猛者達を鍛えたカールゴッチ選手
▼新日本プロレス時代の突貫小僧と鬼軍曹
Web上の写真を検索すると。
▼1970年(S45)にアントニオ猪木選手とのコンビで第1回NWAタッグ・リーグ戦に出場、決勝
戦でニック&ジョニー組を破り優勝している。
▼ミル・マスカラス“千の顔を持つ男“と戦う星野勘太郎選手
確か、日本プロレス初来日(1971年(S46))の相手は星野選手で、華麗なる空中殺法(ドロップキ
ック、フライングクロスチェップ)で強烈な日本デビューとなる。
▼1970年(S54)には国際プロレスのG草津、A浜口組からIWA世界タッグ王座を奪取した。
日本プロレス時代、外人も大型(ヘビー級<105kg前後>)のため、外人組との対戦は殆ど放映
がありませんでしたが、日本人同士、特に若手との試合があったのでしょう。
新日本プロレス移籍後は、メキシカン(軽量級)との対戦がありましたが、やはり日本人同士との
対戦、それが、新日本プロレスと国際プロレスの協会対戦となったのでしょう。
山本小鉄選手のトップロープからのフライングボディープレス、星野勘太郎選手のヘッドロックを
固めてからのマシングンパンチやフライングヘッドバッド、タッグの名手でした。
リング外では、猪木追放、新日本プロレス移籍、在日等の情報がありますが私には、興味がありません。
私が少年時代、テレビ放映や専門雑誌(ゴング、プロボク)の情報だけで満足していました。
まぁ、人それぞれですが・・・。
二人とも新日本プロレスの発展に寄与したと思います。ご冥福をお祈りします。
軽快なタッグチーム「ヤマハブラザーズ」を思い出しました。
■ヤマハブラザーズ
(ウィキペディアより抜粋)
○山本小鉄選手 170cm、100kg
高校卒業後、民間会社に勤務しながら、ボディビルに打ちこみ、1963年(S38)日本プロレス
に入門、力道山最後の弟子。
○星野勘太郎選手 170cm、104kg
高校時代ボクシングに打ちこみ、卒業後、ジムに入るにはリーチが足らず断念、1961年(S36)
日本プロレスに入門。
※アメリカ遠征(1967年(S42)1月)時、小型でもパワフルであると評判だったヤマハのオートバイにあやかって名付けられた「ヤマハブラザーズ」のタッグチーム名で名を上げた。
※手元にレスリング・オブ・ジャパンの雑誌が3冊あります。
パラパラめくると懐かしい写真が・・・。
▼山本小鉄選手が田中忠治選手に猛攻を加えています。
▼東京国際空港(羽田)が大雪で閉鎖され、外人勢がいないまま日本人同士の対決となった。
相手チームは、ミツ平井選手、高千穂明久選手(後にグレートカブキ)、A猪木選手がレフェリー。
▼日本プロレス時代、“ゴッチ教室”を開き、日本人レスラーの猛者達を鍛えたカールゴッチ選手
▼新日本プロレス時代の突貫小僧と鬼軍曹
Web上の写真を検索すると。
▼1970年(S45)にアントニオ猪木選手とのコンビで第1回NWAタッグ・リーグ戦に出場、決勝
戦でニック&ジョニー組を破り優勝している。
▼ミル・マスカラス“千の顔を持つ男“と戦う星野勘太郎選手
確か、日本プロレス初来日(1971年(S46))の相手は星野選手で、華麗なる空中殺法(ドロップキ
ック、フライングクロスチェップ)で強烈な日本デビューとなる。
▼1970年(S54)には国際プロレスのG草津、A浜口組からIWA世界タッグ王座を奪取した。
日本プロレス時代、外人も大型(ヘビー級<105kg前後>)のため、外人組との対戦は殆ど放映
がありませんでしたが、日本人同士、特に若手との試合があったのでしょう。
新日本プロレス移籍後は、メキシカン(軽量級)との対戦がありましたが、やはり日本人同士との
対戦、それが、新日本プロレスと国際プロレスの協会対戦となったのでしょう。
山本小鉄選手のトップロープからのフライングボディープレス、星野勘太郎選手のヘッドロックを
固めてからのマシングンパンチやフライングヘッドバッド、タッグの名手でした。
リング外では、猪木追放、新日本プロレス移籍、在日等の情報がありますが私には、興味がありません。
私が少年時代、テレビ放映や専門雑誌(ゴング、プロボク)の情報だけで満足していました。
まぁ、人それぞれですが・・・。
二人とも新日本プロレスの発展に寄与したと思います。ご冥福をお祈りします。
私は学生から成人まで熱中しました。
勿論、日プロ四天王(馬場、猪木、大木、吉村)の試合も観戦。
懐かしく思い出しました。
天袋には、マラソン・音楽・楽器・プロレスetcの雑誌がうずたかく、本棚にも・・・。
時々、埃だらけの雑誌を見るも良いです。
PS:12/12 亀山湖畔ロードレース(君津ロードレース)楽しく走りましょう。</色>