『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

仁科盛信(にしなもりのぶ)[1/2]

2018-08-19 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
仁科盛信(にしなもりのぶ)[1/2]

〔現代仮名遣い〕にしなもりのぶ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


五郎。武田勝頼の弟。信濃高遠城主。

1561年武田信玄が仁科盛政を滅ぼし、子息晴清

に仁科氏をつがせ、「盛信」と名乗らせた。

1573年武田信玄の死後、兄勝頼を助けて高遠城

主となる。


1582年3月織田信忠は飯島から貝沼原まで、

    小笠原長嶺・河尻秀隆・毛利秀頼・

    団忠直・森長可らと足軽を先陣とし

    ておくる。自身母衣衆を引き連れ仁

    科盛信の籠もる高遠城の様子を見計

    らい貝沼原に布陣する。


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